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セビーリャ責任国

基本情報
元首バレリア最高行政評議会議長(1128年 2月-)
英名Responsible Nation of Sevilla
首都リベルタ
政治体制議院内閣制
第一公用語コーデクス語
第二公用語ロムレー・フランス語 、スペイン語
「科学の光よ、セビーリャに輝け」
人口3949万人(1135年)
面積23.9万sq.Km
収支規模257兆Va(1135年)
産業農業、銀、燃料、商業

概要

セビーリャ地域は、626年にサルバドール元帥率いるスペイン系の住民が移住して開発された地域である。 その後、数々の政変、混乱、戦争を経て、リアライン条約(セビーリャの降伏及び解体に関する条約)をもって連合国の管理下に置かれた(共同管理区域セビーリャ)。 セビーリャ自治政府は、764年の自治拡大によって設置され、これらの定める範囲で一部の自治が委任された。 964年、セビーリャ責任政府に改組され、自治が拡大する。 1135年10月、正式に独立を宣言し、セビーリャ責任国となる。 1135年、SLCN(神聖なる協働的国家聯盟)加盟 1136年、WTCO(国際交易協力機構)加盟。

沿革

・ホセ代表時代(764-785) ホセ氏は764年の自治開始とともに自治政府代表(現在の行政長官に相当)に就任。国土の開発や社会保障の充実により極めて高い生活水準と幸福度を実現したとして高い評価と支持を得た。また、警察予備隊の設置にも携わりセビーリャの安定を確立した。一方で原理主義的なコーデクス主義者として知られ、計画経済の追求を目指したものの農業生産の予測に失敗し、大量の食料を海に投棄し続けるなど非効率な資源配分に非難が出た。785年に退任した。

・ペドロ行政長官時代(785-792) 785年の試験において行政長官に就任した。元自治政府通商部長で経済・貿易分野に明るかったが、計画経済を志向するホセ氏とは対立することが多かった。議会派の有力者としても知られており自由な経済を目指し、経済分野での改革を行った。 ペドロ行政長官による農業生産の算出方式の変更、国内商品市場の開拓により、農業輸出と国内経済が拡大した。経済界を中心に支持が根強かったが、792年の試験で落選し職を追われ、政界を引退した。

・アントニオ行政長官時代(792-833) 792年の試験で行政長官に就任。都市開発の分野での功績が広く知られていたほか、積極的なメディアへの出演で市民の人気も強かった。 中立に近い穏健な評議会派で就任前期には、ペドロ行政長官時代の路線を踏襲し食糧輸出を拡大するなど現実的な政策運営が行われていたが、800年のリアライン条約違反の不祥事以降、政府内で議会派が勢力を増し互いに対立するなど政治的に不安定な状況が発生した。この間アントニオ行政長官は、評議会派へと傾倒していき、814年の自治50周年式典での演説では評議会派としての立場を明確にした。 814年以降、CDX権の強化と計画経済の実行を目指したが、政府内の対立が深まる結果に終わり行政能率は更に落ち暴動や市民の逃亡が発生するなど、セビーリャは混乱状態に陥った。833年8月、93歳で死去。セレドニオ副長官が職務を代行した。

・セレドニオ副長官時代(833-857) アントニオ行政長官の死去を受け、セレドニオ副長官が職務を代行した。穏健な議会派である同氏は早期の治安回復とインフラの復旧、内紛の中断を成功させた。

・ウーゴ行政長官時代(857-974(900?)) 自由党所属の議会派有力者。行政機構の構造改革を模索している。 改革は失敗、以降も形式的に行政長官であったが表舞台に出ることはなくなった。実際には900年に死亡していたとされる。行政はがとられたが、政治・経済が停滞した。

・ダニエル・フロレス委員長時代(974-1054) 自由党議員。ウーゴ時代後期から正常化と産業の活性化に尽力。セビーリャ責任政府改組後初の議会から選出された委員長になる。権限移譲を追い風に成長を目指す。

・ソフィア委員長時代(1054-1128) 一時的に混乱を収めたが、その後は何もしなかった。

・バレリア委員長時代(1054-1135) ソフィア委員長の死に伴い就任した。 自由党の所属で、正式に独立宣言を行った。 また、レゴリス帝国との燃料貿易を停止した。

・バレリア最高行政評議会議長時代(1135-) セビーリャ責任国の成立により、統治委員会に代わって設置された最高行政評議会の議長となった。 SLCN、WTCOに加盟を果たす。 憲法制定議会を開催した。

年表

出来事
7644セビーリャ自治政府の設置と権限委任に関する宣言により自治政府が設置される。
ホセ・ペドラサ・バルデルラ氏が自治政府代表に就任
8カルセドニー社会主義連邦共和国との銀貿易を開始
7654カルセドニー社会主義連邦共和国ヘルトジブリール社会主義共和国レゴリス帝国との燃料貿易を開始
9警察予備隊発足。北西部に駐屯地を設置。
76810ユリウス王国が報道で「宣戦布告」
統治委員会による一時的措置により警察予備隊の人員制限を撤廃、7基地28万人規模に増強
11ユリウス王国陸上部隊の揚陸艇がセビーリャ海域に出現。
ロムレー湖畔共和国による攻撃により直ちに撃破される。
7765レゴリス帝国との銀貿易を開始
7775カルセドニー共和国及びレゴリス帝国に対し銀貿易量を増量
7833レゴリス帝国との食料貿易を開始
7844自治開始から20周年。司法権の独立など
78511ペドロ・プリド・トルヒジョ行政長官就任
7876ヘルトジブール社会主義共和国と食料貿易を開始。
7883ストリーダ王国と食料貿易を開始。
7921面積制限の上限を、24.0万㎢に緩和
4アントニオ・レオン・パレス行政長官就任
7トラハト=ラシュハ連合王国と食料貿易を開始。
7931普藍共和国と食料貿易を開始。
4カルセドニー社会主義連邦共和国と食料貿易を開始。
8005リアライン条約違反の面積上限の一時超過事案の発生。
8144自治50周年記念式典が開催される。
8339アントニオ行政長官死去。セレドニオ副長官が職務を代行。
暴動・大規模な住民逃亡が発生、非常事態宣言発令。(インフラ危機)
議会派サルバドール氏、自由党を結成
8576議会派・自由党のウーゴ・ガルシア・ロペス氏が行政長官就任
8604普蘭共和国との食料貿易を停止する。
燃料が一時枯渇。
燃料統計と食料需給統計を実施。
ウーゴ時代。権力闘争が激化し行政・農業生産が停滞する。
9644セビーリャ責任政府への改組と権限移譲に関する宣言(セビーリャ責任政府に改組、自治の拡大)
9741農業生産が回復。レゴリス帝国との貿易を再開。
9741自由党ダニエル・フロレス氏が統治委員会委員長就任。
9743評議会派によりCDX協和会が結党される。
9753責任党が結党される。
97810警察予備隊のフェルナンド隊長がレコンキスタ党を結党
1000ごろ 内政の停滞
10547ソフィア統治委員長就任
11282バレリア統治委員長就任
  レゴリス帝国との燃料貿易停止
11314国家独立準備委員会を設置。正式な独立へ準備に入る。
  省庁制の導入を開始
  社会主義労働者同盟(サンディカリスト)イザベラ委員長と共産党マルコス書記長の合同より社会主義連合党が結党される。
113510セビーリャ責任国成立我々の国際的地位についての声明
  SLCN(神聖なる協働的国家聯盟)に加盟→SLCN加盟
  憲法制定議会を開催
11362WTCO(国際交易協力機構)に加盟→WTCO加盟
113711国際連合加盟|

地理

領域は大陸と呼ばれる単一の島から成り立っている。7世紀に造成された島がベースとなり、戦後に一時縮小。8世紀の終わりに南西部の拡張を経て今の形になった。北東部には湾口と少数の群島があり、貿易の拠点となっている。全土にわたって平坦な土地が多い。南部中心に人工林が密集する。 気候は南部、南西部および北東部沿岸が地中海性気候、北西部が西岸海洋性気候、中部から南東部が温暖湿潤気候、中部のごく一部がステップ気候である。 鉱産資源はウラン、銀が産出される。北東部沿岸では石油が産出していた。 首都は764年以来、大陸中部に置かれ中部新首都と呼ばれたが、1000年ごろに隕石で崩壊した。 荒廃した中部から、南部に遷都され現在に至る。

経済

セビーリャでは農業、鉱業、畜産業が盛んである。最大の産業である農業は共同管理地区時代に建設された北東部と南西部の2か所で大規模に行われており、いずれもセビーリャ農業公社が運営している。国内向けの食料・飼料作物に加え、輸出向け作物の生産が行われている。現在は160億トンの食糧を輸出している。 鉱業は国内・輸出向けのウラン鉱山、完全輸出向けの銀鉱山がある。 畜産業は北西部に集中しており、国内向けの生産が中心となっている。

政治

668年の共同管理区域設置後、連合国の一つであるコーデクス共和国から派遣されたヤン・リンウェン博士の影響でコーデクス主義に基づいた統治が行われ、以後もセビーリャにおける支配的な思想となった。 764年の自治権拡大以降のセビーリャにおけるコーデクス主義は、CDXと評議会による政治と計画経済を目指す評議会派と、CDXを補助的な諮問機関とみなし議会政治と市場経済を重視する議会派の二つの派閥わかれ、行政府内や議会で両者の勢力が交互に政権を握る状態が続いていた。974年以降は評議会がCDX協和会を結成したほか、責任党やレコンキスタ党などの新勢力が勃興し政治が活発化している。 1135年10月、セビーリャ責任国の成立に伴い新国家の進路について、活発な政治運動が行われている。

政党

・自由党(議会派) 経済の自由化と議会制民主主義の確立を目指す政党。評議会派主導の集産主義・官僚主義的な政治による停滞に対抗し833年に結成された。自営業者や農業公団職員、改革派の官僚に広範な支持がある。 ロムレー本国との同盟関係を築いたうえでの独立と国連加盟、内政では再軍備、農業公団の民営化、商品輸入による商業の活発化を主張。

・CDX協和会(評議会派) CDX-Sシステムによる国家運営を理念とする政党。長い期間セビーリャの主流な勢力であり、官僚や農業公団労働組合などを中心に支持されている。「評議会派」の名称は、議会派に対して、CDX-Sを支持する官僚勢力が活動していた自治政府時代に存在した政府の最高機関である評議会に由来するもの。組織としてのCDX協和会は974年に結成された。CDX-Sの不完全性や官僚主義が引き起こした長期の停滞から、支持者を減らし続けているが、依然として大きな勢力を持つ。CDX-Sを再び経済・行政の中核に戻し、行政長官制の復活を目指す。独立問題に関して現状維持を主張。 ⇒現在では独立に肯定的な立場をとっている。行政庁から独立したCDX-Sを

・責任党 将来への責任を果たす政党。ロムレー系やそれを自称する人々によって結成された。 セビーリャのロムレー本国への統合を目指す。

・レコンキスタ党 急進的国家主義者の政党。結成時は小規模な極右サークルであったが、近年のスペイン系国家建国や地下教会勢力の拡大、独立機運の高揚など内外情勢の変化をうけ、急速に拡大している。社会問題となっている地下教会との関も強い。また、独自の行動隊を持ち示威行進などを行っている。政策としては、大規模な軍備増強や十字協会の合法化など復古主義的な主張に加え、大ラテン主義に基づく帝国の建設、評議会派の追放など過激な主張を繰り返している。セビーリャ建国者サルバドール大元帥子孫の、ノ連邦からの帰還を熱望している。過激さ故ファシスト党や十字教会のように非合法化が議論されている。

・社会主義連合党 1128年頃からの独立機運の高揚を受け政権の獲得を目指し、セビーリャにおける2大社会主義勢力である社会主義労働者同盟(サンディカリスト)のイザベラ委員長と共産党のマルコス書記長の合同より社会主義連合党が結党された。 社会主義労働者同盟はサンディカリストによる政党で、カルセドニー風の自主管理制社会主義を目指している。国内の複数の労働組合の連合に起源を持つ。 共産党はマルクス・レーニン主義を掲げる政党である。社会主義体制を目指している。セビーリャ共和国時代から長い歴史を持っているが、勢力は小さい。 中央委員会では両者から委員が選出される。委員長と書記長を中心とする集団指導体制をとっている。 社会主義労働者同盟と共産党では、社会主義労働者同盟のほうが圧倒的に人数が多い。その一方共産党は勢力は小さいが、長い歴史と強い組織がある。社会主義者とはいえ、目指す社会体制に相違があるため内部で対立がある。

行政機構

セビーリャ責任国は議会で選出された最高行政評議会が行政を行う、議院内閣制の国家である。 CDX-Sはこれに対し諮問への回答、政策への指導を行い大きな権力をもつ。 以下、セビーリャ責任政府時代 セビーリャ統治委員会が行政を行う。委員会の人事は議会によって任命される。 自治政府時代は行政長官が行政のトップであった。 現在は行政庁の下に複数の部局が置かれている。1035年から独立を見据え、省庁制の導入が決まっている。

  

CDX-S

旧コーデクス共和国のAIシステムのコピーに起源を持つ、大型のAIシステムとその周辺の機関。現在は三権に対する諮問機関である。1000年代にコピーが作られ、現在3台存在する。SはセビーリャのSである。 元々行政庁の一役所であり、経済運営や事務処理、研究、諮問への回答など多用途に使われてきた。 1000年代に行政庁から分離されCDX委員会と管理庁が設置され、CDX-Sの管理下に独自の官庁を持つようになった CDX委員会は3台のCDX-Sによって構成され、人間が介在せず常時運営されている。管理庁人事はCDX-S委員会によって任命される。 行政の補助に加え、諮問機関として側面が大きくなったが、その言葉が強い権威を持つようになり社会全体への影響が日に日に強まぅている。CDX-Sの性能は、ここ数年で飛躍的に向上しており、その権威は近年ますます増える傾向にある。一方で、過去の非効率な行政と計画経済において、主導的な役割を果たした経験から不信感の声も大きい。 CDX-Sの立場は、長い間セビーリャ政治の中心的議題であったが、独立後も議論になりそうだ。

民族・文化・宗教

セビーリャ人はコーデクス語を公用語とし、 無宗教の住民が多い。 建国からセビーリャ自由共和国時代までは、住民のほとんどがスペイン系住民でスペイン語、スペイン文化を持っていた。第二次セビーリャ戦争後はそれまで国民に大きな政治的社会的影響を与えていたセビーリャ十字教会の解体や公用語のコーデクス語への変更、コーデクス主義的政治の導入などで大きく変容した。共同管理区域時代から自治開始初期にかけては、行政文書向けにはコーデクス語月会われたものの、民間レベルではスペイン語の使用がほとんどであったが、近年は、官民ともにコーデクス語を使用するようになっている。宗教について、セビーリャは自由共和国時代までは国民のほとんどがカトリック教徒であり、そのほかにごく少数のイスラム教徒が暮らしていたが、連合国の指示により教会の解体が行われた後は幸福の女神や聖樹あるいはCDXに対する崇拝とキリスト教の融合を図る取り組みが行われている。宗教について、セビーリャは自由共和国時代までは国民のほとんどがカトリック教徒であり、そのほかにごく少数のイスラム教徒が暮らしていたが、連合国の指示により教会の解体が行われた後は幸福の女神や聖樹あるいはCDXに対する崇拝とキリスト教の融合を図る取り組みが行われている。ウーゴ行政長官時代以降、政治の停滞により、地下教会の勢力が拡大しており、再キリスト教化の動きが活発化している。

・地下教会 地下教会は第二次セビーリャ戦争以降禁止されているセビーリャ十字教会の再建を画策し地下活動を行っている組織群の通称。単一の団体ではなく、穏健派からカルト化しているものまでその教義や体制などさまざまである。数十万人の構成員がいるとされている。

軍事

共同管理区域時代には、連合国軍が駐屯し防衛を行っていた。自治政府が発足した翌年の765年には警察予備隊が発足し、地域の治安維持と防衛を担うようになる。さらに766年のユリウス危機を受け、当初の2基地8万人から7基地28万人へ増強が行われた。現在は24万人規模の隊員を有している。 部隊は歩兵部隊と砲兵部隊を有しており。装備はロムレー軍のものを使用している。

外交

リアライン条約第六条にのっとり、セビーリャの外交上の代表権は統治委員会が保持している。 司法府から出域を制限する処分を受けているのでない限り、渡航先から適法で有効な査証その他入国許可等を取得しているセビーリャ住民が、事前申請なしに通常の出域審査のみによってセビーリャ地域を出域し域外へ渡航することを認めるられている。 また、域外渡航から帰還したセビーリャ住民およびセビーリャ地域での短期滞在を希望する非セビーリャ住民のセビーリャ地域への入域審査についても、特別な事情のない限りはロムレー本国の入国審査に準じる。 リアライン条約第六条に基づく外国人のセビーリャへの入域申請手続きについて、その申請には現状では統治委員会の窓口(セビーリャ域内にアクセスすることは当然不可能なので、事実上本国所在の窓口のみ)に直接来庁することを必要としているが、短期の滞在である場合に限り、各国に現存する利益代表部(つまり、在カルセドニー、在ストリーダ、在ヘルトジブリール、在バルバロッサ、在レゴリスの5つのセビーリャ利益代表部)に開設される窓口を通して統治委員会に申請することが認められている。 自治政府は、通商上の目的のため第三国に利益代表部を置くことが、セビーリャ自治政府の設置と権限委任に関する宣言によって許可されている。 通商が活発になったことを受け、814 年には「セビーリャ地域への他国代表部設置の許可に関する布告」においてさらに、外国がセビーリャ地域に代表部を置くことが可能になった。

貿易

カルセドニー社会主義共和国とレゴリス帝国、ヘルトジブール社会主義共和国と長い間資源・食料の貿易をしてきた。 1000年代以降の情勢変化により、カルセドニー社会主義共和国に加えガトーヴィチ帝国などと貿易をしている。

食糧輸出可能です!観光客通信かXへ連絡ください。(セビーリャ通商部営業本部)

利益代表部がある国

設 置 日国 名
764年 8月下旬カルセドニー社会主義連邦共和国
765年 3月下旬ストリーダ王国
765年 4月初旬ヘルトジブリール社会主義共和国
765年 5月下旬バルバロッサ王国
765年 10月初旬レゴリス帝国
775年 6月初旬普藍共和国

代表部がある国

設 置 日国 名
978年ラ・フローリド共和国

統計

860年臨時調査の確定分。 6期あたり4624万ガロンが不足していることが明らかとなった。

前回の調査(794年)後、輸出を増加させたことに加え、域内消費量が7860万ガロン増えたことにより、燃料の枯渇が起きた。

974年の農業統計。調査は外国の機関に委託。