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カルセドニー社会主義連邦共和国

カルセドニー社会主義連邦共和国旗
正式名称カルセドニー社会主義連邦共和国
英名Socialist Federal Republic of Chalcedony
首都クリソプレーズ特別市
最大都市クリソプレーズ特別市
最高指導者廃止
政治体制社会主義二大政党制
公用語英語(ニュースピーク導入計画は中止された)
建国616年11月初旬
現体制確立764年6月1日
国歌祖国のために集えよ同志
国の標語未定
通貨カルセドニー・ダラット

概要

 カルセドニー社会主義連邦共和国(かるせどにーしゃかいしゅぎれんぽうきょうわこく、Socialist Federal Republic of Chalcedony)は、フリューゲル北半球中~低緯度地帯に位置する社会主義共和制国家である。カルセドニー島入植地をその起源として持ち、一般に資本主義体制とされるカルセドニー島共和国がカルセドニー革命において崩壊した後に成立したヘゲモニー政党体制であるカルセドニー連合が発展して成立した。サンディカリスムと自主管理社会主義を統合した特殊な政治・経済体制を取っている。

更新情報

日時更新情報
2019年8月3日現ページ作成
2019年8月20日歴代選挙結果を追加
2019年11月8日行政区画に関する情報を追加、共和国議会の改憲後制度を加筆

国名及び国旗

 カルセドニー連合時代の正式名称はカルセドニー諸島サンディカリスム連合(United Syndicates of Chalcedony Islands)であり、サンディカリスム政権であることを明確化していた。連合の政治・経済体制をほぼ引き継いでいる現体制ではあるが、764年の憲法制定議会選挙に際してヘゲモニー政党であった旧労働党が軍を支持基盤とする現労働党と労働組合を支持基盤とする連合党に分裂したこともあり、その政治経済体制の主権が労働組合にあることを明確化してしまいかねない「サンディカリスム政権」としての名乗りは選挙後の連立交渉の際に第1党となった労働党の反対により葬られた。労連両党の「共通の基盤」は単に社会主義であり、その結果現在の国名が誕生した。また、旧共和国時代はカルセドニー共和国、連合時代はカルセドニー諸島サンディカリスム連合を名乗っており、ここにもイデオロギー対立の焦点があったが、現国名からはこの語(Island、Islands)は外されており、旧共和国に対する評価の中立化が図られている。

 国旗はカルセドニー連合と同様のものを使用している。旧世界における「旧連邦」時代からカルセドニー島共和国時代にかけて、赤青の2色はカルセドニー民族国家(パーム系民族などと称される)を象徴するカラーだったが、旧共和国時代は水色に近いやや薄い青を国旗に用いていた。カルセドニー連合旗が作成された際に、連合の「旧共和国からの決別」の意思表示として旧共和国旗に用いられていた青は使われず、旧連邦時代の深い青に戻されている。ただし、青はカルセドニー周囲の海を、赤は社会主義を表しているとされ、旧連邦について直接の言及はされていない。連合旗において旧共和国時代の左右ではなく、右上から左下にかけて2色の区切りが入っていることはサンディカリスムを示しているとされていたが、これについて現政府は明言を避けている。左上の大きい星はカルセドニー島を、右側の十字に並んだ6つの星はガーネット諸島及びパイロープ島を表している。近年グロッシュラーライト北島が海没し、カルセドニー島を除いた主要島は全部で5つとなったが、この旗が変更される予定は今のところはない。

地理

地勢

 カルセドニー諸島(カルセドニー国土の地理的名称)はフリューゲル北半球の低緯度~中緯度地帯に位置している。北部~中部は温帯気候で、この地域はほとんどが温暖湿潤気候に属する。カルセドニー島北岸、エライ海に面した地域は西岸海洋性気候に分類される地域があり、ここは国内では比較的冷涼であるため避暑地として人気である。一方で、南部は赤道に近く、カルセドニー島南部やガーネット州は熱帯に属する。高温多雨な夏季に対してカルセドニー島側から風の吹く冬季は降水がやや少なくなるため熱帯モンスーン気候とされるが、ガーネット州においては特にその差は小さく、ガーネット州は熱帯雨林気候に分類する説もある(年ごとの降水量格差が大きいため正確な気候の同定は困難)。

 カルセドニー本島は古期造山帯~安定陸塊に属する大地形であるとされており、大規模な山岳地帯は存在しない。カルセドニー本島の最高峰はアゲート山脈西端のクリソプレーズ山(1762m)であり、ここからアゲート山脈は東方に向かうほど次第に低くなっていく。アゲート山脈を隔てて北部は先述したように温暖湿潤気候~西岸海洋性気候の暮らしやすい気候が広がり、カルセドニーの人口の大半はこの地域(北カルセドニー平原と通称される)に居住する。アゲート山脈の南側は高温多湿な亜熱帯~熱帯地域であり、こちらは入植地時代にその居住性の低さのために拡大が遅くなった地域でもある。また、アゲート山脈から東側に流れるジャスパー川がカルセドニー最長最大の河川であり、この流域には大規模な照葉樹林が広がっており、人口は希薄である。ガーネット諸島は新期造山帯に属する火山列島であり(最初の設定では人工島だっt)、居住可能面積はあまり広くない。

行政区画

865年3月中旬の航空写真、当時人口1億1733万3千人
  • ウェスタンカルセドニー州
    カルセドニー島開発でもっとも初期から都市化が進んだ地域。現在も共和国最大の港を有するなど、共和国経済の中心地となっている。国外交流も比較的活発な地域であり、商品をほぼ輸入に頼っている共和国北部の物流の起点となっている。かつてはグロッシュラーライト北島をその領域に含んでいたが、開発方針の変更により島自体が海没処分され面積が縮小している。
    そのグローバル経済との結びつきの強さから、労働党<国際主義派>の最大の支持基盤である。
  • エライ州
    共和国北端に位置し、比較的冷涼な気候のため避暑地として栄えている。一方で、北側のエライ海に面しているものの港湾設備を有さず、商品流通もウェスタンカルセドニー州からの輸送に頼っているため、国外との交流が不活発な地域でもあり、観光客もほとんどが国内の短期旅行客である。
    労働党<孤立主義派>の支持基盤であり、国際社会への理解は薄い。
  • アゲート州
    経済的にはエライ州とも大差なく、ほぼ海に面していない(わずかに南端部がエラキス海側の内海に面している)こともあって共和国内ではもっとも対外交流が少ない地域である。エライ州は「国外に関心がない」州であるが、アゲート州はむしろ「排外的」な立場を取る住民が多く、国外からまれに受け入れられる留学生もアゲート州内の学校を選ぶことはほとんどあり得ない。
    伝統的な左派の支持基盤で、かつてのカルセドニー島入植地時代にはアゲート反乱が起こったこったことでも知られる。現在でも労働党<孤立主義派>の支持基盤である。
  • エラキス州
    共和国の南の出口であり、共和国第二の港であるユーファストーン港を通じて貿易が活発である。国土の南端近くに位置し、熱帯気候に含まれる地域もあることから、住環境に恵まれた北部に住む傾向のある国内のエリート層の人口に対する割合が低いとされる。結果、この地域は労働組合運動が国内で最も盛んな「労働者の州」となった。
    カルセドニー革命の発祥地であり、今でもサンディカリスムの支持が厚く、連合党左派の支持基盤となっている。
  • ガーネット州
    中央政府の影響力が弱い島嶼部であり、事実上州の政治は「南の風」が掌握している。冰州・エーラーンへの投資が相次いで失敗に終わったこともあり国外への影響力は乏しくなっている「南の風」であるが、州内では健在である。「南の風」による開発計画の結果、ガーネット州は国内最多の7つの市を有しており、大統領選挙の際には連合党の強力な基盤となった。
    「南の風」はもともと共和党を支援する団体であったが、共和党の国政からの退場後は連合党の一部議員と協調しており、連合党右派の支持基盤である。
  • ①クリソプレーズ特別市
    言わずと知れた共和国の首都であり、カルセドニー島入植地の発足当時から一貫して政府が置かれている。経済的にはウェスタンカルセドニー州との結びつきが強いが、国内各地から若者が未来を求めて流入する傾向にあり、結果として政治的な立場は多種多様になっている。
    現在は特定党派の支持基盤にはなっておらず、共和国国政最大の激戦区である。
  • ②クリストバライト特別市
    古くから共和国の経済の中心地であったクリストバライト市は、長年政治的には中立性を重んじてきたが、FUN発足後FUNを重視する労働党とWTCOを重視する連合党という対立構造が明確になった結果、経済同盟であるWTCOの価値を重んじてきたクリストバライト市は連合党支持に転じた。
    864年選挙の際には連合党左派がこの地で圧勝、大統領選挙の結果の決め手の1つになったとの声もある。
  • 東ジャスパー準州
    森林地帯を中心とする人口希薄地帯である東ジャスパー準州の構造は昔も今も変わっていない。エライ鉱山島とは地続きになったが、共和国の国政を左右できるほどの政治的・経済的ポテンシャルを有さないことは確かである。

歴史

カルセドニー史及びカルセドニー革命を参照のこと(移設工事中)。

政治

政策スライダー

大統領

工事中

共和国議会

864年次選挙結果

労働党 連合党

 共和国議会の選挙制度は1又は複数の自主管理連合組織を単位に1議席を与える小選挙区制であるが、803年の改憲において「各選挙区に所属する自主管理連合組織の代表委員の中から互選により選出する」ことが明確に決定され、自主管理連合組織の代表委員籍を持たないものは共和国議会議員への被選挙権を失った。連合組織の代表委員はより下部の自主管理組織から選出されるため、あらゆる労働者は(自主管理基礎組織代表委員→自主管理労働組織代表委員と段階を経て)自主管理連合組織の代表委員になる資格を有するが、いわゆる「非労働職」(職業経営者など)はこのピラミッドから外れているため、代表委員としての被選挙権は基本的に持たない。この制度が誕生した803年改憲から40年以上を経て、職業経営者などの非労働職従事者は外部専門家ではなく自主管理組織構成員の内部から任命されるようになったため、「労働者ではない」ことを理由に被選挙権を得られないカルセドニー国民はごく僅かとなっている。社会主義研究者はこの現象を「労働者によるカルセドニーの純化が進んだ」と評する。
 共和国議会は803年改憲以降労働党と連合党の二大政党制が事実上敷かれており、どちらの党にも属さない人物が議員になったケースは803年以降はない。任期は20年の一院制で、10年ごと(10の倍数の年の12月下旬)に議員の半数が改選される。解散はなく、議員が欠けた場合は「次回任期までの暫定」議員が当該小選挙区から選出される。過半数の議席を有する党が「与党」と呼ばれるが、専門委員会の独立性が強いことから「野党が反対する法案を強行採決」した場合、野党が支配する専門委員会が反発し、実施上問題を生じさせることがあるため、両党とも(特に連合党)、法案を合意して全会一致で採決することにこだわるケースが多い。

862年改憲

 862年次の改憲の結果、州や特別市、準州を単位とする地方選挙区が復活された。州には15、特別市には10、準州には5の議席を与え、合計100議席の地方選出議員が生まれることになるが、当選後の議員としての立場については委員会から選ばれた議員と差はない。864年に最初の地方選挙区選挙が実施されたが、党内少数派と見られていた労働党<国際主義派>や連合党右派が想像以上の議席を獲得した。

歴代選挙結果

労働党 連合党 進歩党 共和党

専門委員会

政党

労働党

 カルセドニー連合期の旧労働党の中で、憲法制定議会選挙の際に鎖国継続を訴えた政党。中央処理委員会、内務公安委員会、軍部委員会は大半が労働党籍者で固められており、この3つの委員会は「三大城塞」などと呼ばれる。対内的には中央集権、閉鎖社会を訴えており、自主管理社会主義の中でも「上位からの計画経済」を主張している。ただし、そのための手段である外交政策については党内での派閥対立が著しい。

 <孤立主義派>と呼ばれる「三大城塞」に基盤を持つ派閥は、カルセドニーの安定を維持するためには国際社会の軋轢や対立から距離を置くべきであると主張しており、このために自国の核心的国益のない事態への対応は不要であるとする。このような主張自体は古くから存在し、鎖国政策はー憲法制定議会選挙の際の労働党の主張の骨子であったことから、むしろ労働党本来の主張であると言える。しかし、労働党は憲法制定議会選挙で第1党となったものの、連合党との連立交渉の際に開国を受け入れざるを得なかったことから、経済体制の構築のため鎖国は非現実的となり、それ以降孤立主義はなりを潜めていた。しかし、普蘭合衆国の対ライン宣戦に端を発した一連の国際危機に伴い外交委員会の主流派閥であったユハル派(<国際主義派>)への批判が高まり、これを利用して勢力を取り戻した。現在は経済体制が軌道に乗っていることもあり、「経済体制維持に不可欠な貿易関係国」との関係の必要性は認めるが、それ以外の国家との関係は最小限とし、第三国同士の紛争への介入を否定している。

 <国際主義派>と近年呼ばれるようになった外交委員会の主流派は、少し前までは「ユハル派」と呼ばれていた勢力であり、ここ十数年で急速に勃興した派閥である。開国後に<孤立主義派>が廃れて以降、もともと、労働党の外交政策は「国際協調主義」と呼ばれる、「世界が平和であれば、外国の動向に共和国が左右されることもない」との考えが一般的であった。829年に登場したユハル・ツァボライト外交委員長(当時)は検事出身という異色の経歴(検事職は内務公安委員会に含まれており、内務公安委員会出身者が外交委員会に移籍することは滅多にない)から、「国際の正義」という新たな外交方針を掲げ、「国際協調主義」を一歩推し進めた。これにより、「国際の平和のためには国際正義に基づく秩序こそが必要であり、国際秩序の維持発展に共和国は力を注ぐべき」とする、「ユハル外交」が登場した。ユハルは「正当性なき戦争行為の禁止」を第一理念に掲げるフリューゲル平和原則条約の起草を国際社会に提唱、本人は途中で選挙に敗れ外交委員長を退任したが、これを最終的にフリューゲル国際連合という形に結びつけた。しかし、この間に起こった普蘭のライン宣戦事件に対してユハルは<赤光>紙を通じて普蘭を批判し、これがフリューゲルを「世界大戦寸前」に導いたと<孤立主義派>から批判されるに至っている。

連合党

 憲法制定議会選挙の実施を右派とともに要求、労働党を離脱した党内の労働組合を支持母体に持つ政党。軍人、弁護士、学者などの専門職に従事する市民からの支持はあまり得られていないが、下層の一般労働者からの支持を広く集めている。このような下層労働者の比率が高い生産搬送配給委員会や住環境委員会は連合党の勢力基盤となっている。対内政策としては、憲法制定議会選挙の時期から一貫して地方分権を訴えており、関連して地域間の経済交流の障壁を取り払うことを求めている。ガーネット州の「南の風」への理解が労働党と比べるとはるかに深く、地域内の組織、というようなものを「集権化の障害」とみなしてほぼ否定する労働党とはこの点で対立している。外交政策としては「社会主義世界との関係強化」を訴えており、ヘルトジブリール、ギルガルド両国との経済協定やWTCOとSSPacttの協議を定めた議定書などは、連合党が主導して各国にその必要性を訴えてきた。「南の風」への態度と社会主義重視政策は一部で矛盾を生じさせており、労働党ほど明確ではないものの、党内の派閥対立の萌芽が生じている。

主要な政治家

外交

現存する主権国家との関係

国名関係労働党連合党
ストリーダ王国AA
レゴリス帝国BC
ヘルトジブリール社会主義共和国AA
普蘭合衆国DD
フェネグリーク帝国BB
トルキー社会主義共和国AA
ガトーヴィチ民主帝国AA
昭栄国BC
ギルガルド社会主義共和国AA
ノイエクルス自由国AB
トラハト=ラシュハ連合王国AB
クラリス連邦CC
ヨリクシ共和国AA
ローレル共和国AA
ヴェニス株式会社統治領×CB
タヂカラオ国AA
西岸州独立連合共和国BB
セビーリャ自治政府CB
カタルシア王国AB
ロムレー湖畔共和国BC
カズカズ共和国BB
フリュー第二帝政CC
エーラーン教皇国AB
カドレン共和国AC
南瓜共和国CC
ライン共和国BB
香麗民主帝国BB
ミルズ皇国BC
ウェールリズセ連邦BC

関係

◎:軍事同盟国、●:非軍事協定有、○:大使級外交関係、△:利益代表部有、▲:外交関係なし、×:国家承認なし

現在有効な条約・協定の一覧

  • ヘルトジブリール社会主義共和国、カルセドニー社会主義連邦共和国、ギルガルド社会主義共和国における相互経済協力のための貿易協定
  • カルセドニー社会主義連邦共和国とカズカズ共和国における治安維持協定
  • カルセドニー社会主義連邦共和国とカズカズ共和国における包括的経済連携協定
  • メトリーナ条約(カルセドニー社会主義連邦共和国によるローレル共和国に対する片務的防衛条約)
  • ストリーダ・カルセドニー政治対話・協力協定
  • ウェールリズセ連邦に対する開発支援協定 

効力を失った条約・協定の一覧

  • カルセドニー社会主義連邦共和国とラルティスタ社会主義共和国におけるウラン鉱山開発支援協定
  • カルセドニー社会主義連邦共和国とヴォルネスク・スラヴ共和国における農業振興に係る支援協定
  • カルセドニー社会主義連邦共和国と有志連合間における軍需物資支援協定
  • エンディバラ条約(御岳山諸島自治巫女共和国、カルセドニー島共和国間の相互防衛に関する条約)
  • カルセドニー社会主義連邦共和国及び普蘭合衆国における平和友好条約

軍事

陸軍・戦略宇宙軍

海軍

空軍

経済

自主管理組織

 自主管理組織はカルセドニー政治、経済すべての基盤となっている。数人~十数人単位の自主管理基礎組織にすべての市民は所属しており、この自主管理基礎組織が自主管理労働組織を、自主管理労働組織が自主管理連合組織を構成する。自主管理連合組織は資本主義国家で言う企業に相当するが、その経営権は連合組織の代表委員が有しており、代表委員はより下位の自主管理組織の構成者の互選により選出されることから、自主管理連合組織は「労働者が」所有しているとされる。自主管理連合組織全体の運営方針については職業経営者である「アドバイザー」職にある人物が「提案」することとされており、最終決定権はあくまで連合組織代表委員会にある。「アドバイザー」にはその専門性に伴い高い給与が支払われるが、「労働者」とは見なされず政治的な地位は低い。

 自主管理連合組織はすべていずれかの専門委員会に籍を置いている。貿易に携わる自主管理組織は外交委員会、国内流通にかかわる自主管理組織は生産搬送配給委員会、といった形であるが、境界があいまいな場合は名目上自主管理連合組織を複数に分けることになる。この場合、複数の委員会に分かれて存在している自主管理組織が「事実上同一組織」であることを政府に登録すれば法的な便宜を受けられるが、この登録は「地理的な近接性」を理由として認められることはほぼない。中央集権的なカルセドニー国内において、地域共同体のような概念はほぼ見られないが、次で述べる「南の風」だけがその例外である。

「南の風」

第一次産業

 現在、カルセドニー国内で農業はほとんど行われていない。カルセドニー島共和国時代は農業を主要産業の一角として重視しており、ガーネット諸島南西のスペサルタイト島に大規模な集約農業地区が建設されていたが、本土の都市化の進展に伴い十分な生産性が確保できなくなった。特に、労働力の都市集中が進んだことは農業労働人口の激減をもたらし、結果的に旧共和国時代末期に集約農業地区の大部分は閉鎖され、わずかな残存部分も鎖国期を経て現共和国時代初期に完全に解体されている。変わって用いられるようになったのは聖樹による食糧生産であり、旧共和国時代の後期には大規模な食糧収入が得られるようになっていた。しかし、鎖国期間中に聖樹生産量が激減する気候変動(管理人による調整)が行われた結果、聖樹も食料生産の基盤としては用いることができなくなり、聖樹林も開国後に解体されて現在に至る。

 林業はカルセドニー国内の主要産業の1つとして残存している。東ジャスパー準州の照葉樹林は定期的に伐採され、国内で建材に加工されている。グロッシュラーライト北島ももう一方の林業拠点であったが、近年グロッシュラーライト北島は海没したためこちらにおける林業は終了した。

第二次産業

 鉱業はあらゆるフリューゲル国家の経済基盤であり、カルセドニー国内でもクリソプレーズ山とエライ鉱山(近年の隆起によりカルセドニー島と地続きになった)においてウランが大規模に採掘されている。国内での鉱山資源の採掘は時期によって異なり、636年ごろまではクリソプレーズ山で鋼鉄、ジャスパー山でウランが生産されていたことは記録に残っている。ジャスパー山の崩落事故以降はクリソプレーズ山がウラン生産拠点として安定した一方、新たに発見されたエライ鉱山において生産される品目は時期によって異なる。鋼鉄、銀、ウランが埋蔵されていることは確実で、「なんでも採れる山」という評価もなされている。

 工業は旧共和国が商業を主産業として定めたために対立的産業としてほとんど育成されなかった。現代都市に工業設備があることから、旧共和国時代の一時期余剰の鋼鉄を利用した重工業政策がとられていたこともあるが、軍備が進み鋼鉄の需要が拡大したことにより重工業政策は終了した。現在、カルセドニーで「工業」とされるのは建材製造業で、特にガーネット州内に施設が集中していることからガーネット州の主要産業の一角となっている。一方で、建材工場の大半を「南の風」が管理していることから、中央政府と「南の風」が対立的だった時期においては中央への建材供給が停止するなどの騒ぎを招いたこともあり、ある意味曰く付きの産業である。

第三次産業

 商業はカルセドニーの主産業であり、国内における年間の商業売上は1500兆Va近い。旧共和国時代はヨリクシ共和国製の商品が主に扱われていたが、現在はストリーダ王国、ヘルトジブリール社会主義共和国の両国が重要な商品供給減となっている。「南の風」はエーラーン教皇国の工業育成に投資しており、外交的対立から交易関係が消滅した普蘭合衆国に代わる商品供給減となっている。

生活・文化

祝祭日

名称日付詳細
元日1月1日1年の最初の日
社会主義記念日2月10日675年、レハシ大統領暗殺の日
建国記念日5月19日621年、旧共和国の建国記念日
新憲法記念日6月1日764年、現共和国の成立記念日
内戦勝利記念日7月1日703年、カルセドニー革命の終結日
クリソプレーズ港戦勝記念日9月4日702年のクリソプレーズ港戦勝記念日
革命記念日9月8日702年、カルセドニー連合の結成日
改憲記念日9月18日803年改憲の記念日
入植記念日11月8日616年、入植地の設立記念日