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ロムレー湖畔共和国

国家概要

国名 ロムレー湖畔共和国
正式国名 République de Lacustre Lomeray
(英訳) Lakeside Republic of Lomeray
標語 Liberté et Patrie(自由と祖国)
国歌 Ô monts indépendants(おお自由なる山々よ)
公用語 ロムレー・フランス語
宗教 カルヴァン派(国教)、キリスト教他教派、CDX教会、無宗教、その他
政体 議会主義・代議制共和国
通貨 ロムレー・フラン(Fr.,LRF)
建国 フリューゲル暦 611年 5月 15日

概要

 ロムレー湖畔共和国は、フリューゲル最大の観光大国であり、議会主義を掲げる共和国である。
 スイス西部(主にヌーシャテル湖畔)を出自とする移民団がフリューゲル暦611年に故郷に似たフリューゲルのとある島の高地の湖畔に入植地をしたことによって建国された。

地理

 本土は台地状の島であり、国土に占める高地の割合が高い。ただし干拓地や離島など、ある程度は低地も存在する。
 いずれの地域においても自然環境は厳しい環境基準の下でよく保護されると同時に、自然享受権が法的に広く認められている。

中央高地

 島の大部分を占める高地地域。氷食湖が散在している。気候は冷涼な山岳性。

三大都市

 中央高地に存在し、湖畔共和国の中核をなしていると考えられている三つの都市。ロムレー市とサン=トゥルミエール市はほとんど連接しているが、行政区画上は別コミューヌであり、それぞれが独自のCBDを持っているため、一般的には別の都市として扱われる。

(ヴィル・ド・)ロムレー Ville de Lomeray

 中心地は(9,11)近郊。共和国最初の都市にして法令上の首都。中央議会とそれに関連する政府機関の施設が存在する。建国の契約が交わされた丘もそのまま記念碑として残っている。
 建国最初期のごく数ヶ月間の間、共和国はロムレー・コミューヌと一体の事実上の都市国家であり、その名残で都市名は国名と同じである。外国から見ると紛らわしいことこの上ないが、ロムレー人は自国のことを「(湖畔)共和国République(de Lacustre)」と呼ぶのが普通なので、国民の間ではあまり気にされていない。特に区別が必要な場合にロムレー市Ville de Lomerayと呼ぶ。

ポワンクール Poincourt

 中心地は(13,9)近郊。共和国の最大都市(ゲーム的には首都)。中央高地の中では最大の盆地に位置し、また建築上の規制が他のコミューヌに比べ緩やかなことから国内では珍しく高層ビルが林立する景観がみられるが、それでも他国の大都市ほどの密度はない。
 631年11月に巨大隕石の直撃により壊滅的な被害を受けたが、現在は復興、その後の都市計画の巧みさもあり、インフラのよく整備された都市として商業上の中心地の地位を守り続けている。郊外には墓地を中心とする巨大隕石災害のメモリアルパークが所在する。

サン=トゥルミエール Saint-tourmielle

 中心地は(9,14)近郊。同名の大聖堂の所在地であり、ロムレーにおける宗教上の中心地。移民船が着陸した地点であり、その船体の一部がそのまま大聖堂の建物に使われている。
 観光地・保養地としての発展が共和国内でも最も早かった地域であり、現在でもこの都市の郊外に共和国最大のリゾート地が広がっている。第一回ソサエティはこの都市で開催された。

北西干拓地

 低地ではあるが北方に位置するため冷涼であり、同時に海からの風が卓越し湿潤。主に酪農と混合農業が営まれる。総じて長閑で保守的な農村の様相が強い。

南東干拓地

 中央の高地から吹き降ろす風が卓越し、ロムレー国内では珍しく温暖な地域。主に花卉・野菜などの園芸農業が行われる。内陸部の滝線沿いには水力を動力として稼働する空軍向けの工場が点在している。

周辺島嶼

 周辺に点在する島々。国立公園指定のなされた自然保護地や対着上陸侵攻用の防衛陣地が多くを占めるが、本島と同様に多数の観光地が存在する。
 特にほぼ全域が自然保護区指定されている北西部に存在する油田の扱いは度々政治的争点となってきたが、現在は産油事業を停止している。また、南西部には海軍向けの軍港や工廠、電波塔などが存在する。

歴史

長い9世紀

840年代 沈滞の時代

 この時代は830年代の三重苦が尾を引いた時代である。843年8月のライン共和国に対する普蘭合衆国の宣戦布告によって始まる「普蘭問題」は、併合危機で既に動揺しつつあるロムレー人の路烈普相互安保体制への不安をさらに深刻化させた。共和国は普蘭とカルセドニー・トルキー等の諸国との論争を見ていることしかできず、できたことはレゴリスと共同声明を発して戦争回避に努めるのみであった。しかし、その直後の普蘭合衆国鎖国などにより、大戦は何とか回避され、848年に平和原則条約改めフリューゲル国際連合憲章の調印式の開催へとこぎつけた。

850-870年代 国連の時代

 850年3月19日、まさにロムレー湖畔共和国の批准と同時に憲章が発効したフリューゲル国際連合は、ロムレー人にとっては三重苦の時代以来の苦境を乗り越える可能性そのものであった。レゴリス・ヘルトジブリールを中心とする諸国の支持によって共和国は一般理事国に選出され、「同盟理事国主導の国際協調を擁護する」外交政策は以後のロムレー外交政策の基本路線となる。初回の総会において起こった普蘭問題をめぐる議論は烈路同盟にとっては一種の危機であったが、ミルズ案のようなラディカルな声明ではなくロムレー案が採択されるなど、一定程度抑制された対応となり、共和国内でも国連に対する一定の信頼感を確立した。850年代にはウェールリズセ連邦共和国がフリューゲルに再建され、ソサエティの再始動などが試みられるが、その後ウェールリズセが崩壊したために流会となった。
 やがて850年代の「ミルズ共和国」問題やライン共和国による軍事演習を称した自領砲撃問題、865年前後のミルズ選挙をめぐる混乱と国連統治領への移行などの問題を乗り越え、一般理事国としてコミットした国連に対するロムレー人の態度は安定したものとなった。しかし、これらの経験は国連に対して「安保理さえ動いていれば総会は重要でない」という態度を涵養させることとなり、共和国内部ではむしろ次の時代の停滞をもたらすことになる。

880年代 意見発散の時代

 ミルズ国連統治の沈滞、総会の不活化、進まない軍事演習禁止条約批准といった事柄は、次第にロムレー人の外交に対する関心を冷却させていくことになる。880年代前半のガトーヴィチ内戦においてもロムレーが積極的に関与することはなかった。

890-910年代 国連の下での微睡みの時代

短い10世紀

920-930年代 国連懐疑主義の時代

政治

 中央議会に政府機関としては最も大きく権限が与えられている議会主義体制国家。他のフリューゲル諸国(主にレゴリス帝国)への留学者が学んできた各国の国制からも一定の影響を受け、民主主義の体裁を保っている。
 建国以来政変や暴動の経験はなく、632年初頭の世界同時社会不安や650年代前半のトロピコ戦役出兵の最中においても安定を保った。建国直後のごく短い期間を除きフリューゲル最高水準の支持率と満足度を維持しており、治安・支持率・財政などの指標も恒常的に健全な状況を保ち続けている。

内政

 実務においては各コミューヌへの権限委譲の程度など、かなり分権的な体制をとっている。

党派

 共和国の中央議会では理念としては討議による一致が理想とされており、政党政治は好まれず、制度的に政党に特殊な地位を規定してはいない。とはいえ国の理想像を巡っておおまかな傾向が存在し、とりあえずそれを派閥や党派として扱うことはできる。概ね以下の様相である。
 歴史的には、移民船時代の士官にルーツを持ちロムレー人の伝統的な国民性を重んじる建国期の議員層を中心とした系譜(ジャンベール党)と、620年前後から出現した海外の思想を受け入れ官僚組織を発展させていこうとする主に留学帰り組からなる系譜(ポワンクール党)という二大思想潮流が存在していたとされ、後者の出現によって620年代に前者から支流である合理的紀律派と重農=環境派が現れ、本流としてのカルヴィニスト共和派も確立、7世紀前半のうちに後者も自由思想派と社会自由派の差が明瞭化していった結果現在の5派閥が成立したとされる。
 内閣の勢力としては630年代以来長らくカルヴァン主義共和派3・自由思想派2・合理的規律派1・重農=環境派1・社会自由派1であり、おおむね政治的な影響力もこの通りであったが、770年代後半からはカルヴァン主義共和派2・自由思想派2・合理的規律派2・重農=環境派1・社会自由派1となり、830年代以降はカルヴァン主義共和派2・自由思想派2・合理的規律派1・重農=環境派1・社会自由派1・サンディカリスト1になっている。

外交

 伝統的にレゴリス帝国との安保体制による安全保障を主軸とした外交を展開しており、セニオリス併合危機といった動揺はありつつも現在まで維持されている。
 経済面では特定の国に偏ることなく観光客を誘致する観光立国を標榜しており、国際貿易体制からは自由で、自国が経済共同体や資源産出国機構に加盟し拘束されることを避ける一方で、国際分業体制については擁護する立場で、保護主義を警戒する。
 一方で、イデオロギー的な拘束も弱く、極端な民族主義や独裁主義は問題とされるものの、そうでない限りは民主社会主義から伝統保守主義までどのようなイデオロギーも問題としない。
 国際連合発足以来常に安保理一般理事国を務めており、安保理を中心とした国際協調、とりわけ同盟理事国の連携を擁護している。

国交のある国家(樹立順)

(※最新のものではありません)

  • レゴリス帝国
    資本主義国では唯一の安保理同盟理事国。早い段階から留学が可能になったこともあって政治的・軍事的に大きな影響を受けてきた。現在ではむしろレゴリス人のロムレー留学者も一般化しており、経済的にも緊密な結びつきがある。当然のことながら、ロムレーにおける外国人のなかでの最多数派はレゴリス人である。
    古くから 相互安全保障条約を締結していたが、現在は永久同盟に格上げされた。セニオリス併合危機以前のような親レゴリス・コンセンサスは失われて久しいが、それゆえにむしろ「永久同盟が存在する」という事実が、ロムレー国内の党派バランスにおける仮初の安定ももたらしているといえる。
  • カルセドニー社会主義連邦共和国
    国連の母であり、SLCNとWTCOを率いる同盟理事国。国連の存続はカルセドニー人外交官の心労によってあがなわれている。ロムレー人サンディカリストはカルセドニーの影響を強く受けているが、肝心のカルセドニーは次第にサンディカリスムから離れつつあるように見える。
  • ガトーヴィチ帝国
    右往左往が絶えないが、とりあえず安保理一般理事国。スラヴ主義はやめたようだが、今度はなにやらヘルトジブリールの覇権に挑戦を始めた。果たして彼らは今度こそ栄光をつかむことができるのであろうか?
  • 普蘭合衆国
    古き大国の遺産の上に築かれた商業大国。温故知新の上に、盟邦ではあるが、国際的には介入主義という評判が時折聞かれ、レゴリスやカルセドニーと摩擦を生じさせている。現在は鎖国しており、再開国は国連体制に動揺をもたらすと国際社会の懸念を受けている。
  • ロシジュア平和連邦
    最近先進国入りし、ますます超越の度合いを高めている国。ソシアート体制はロムレー国内でも評価されており、バラ園の協定の条文通り共和国はこれを擁護する立場にある。
    ちなみに超越思想はロムレーでも地味に広がっている。CDX信仰との結合もみられるが、主流派のコーデクス主義者からは「で、結局超越って何?」と言われがち。
  • ノイエクルス連邦
    いつの間にか利益代表部が生えていた。よくわからないが、とはいえノ連とレゴリスの間を取り持ちうるのなら、それは決して悪い話ではない。
  • セビーリャ責任政府
    コーデクス主義者の手による壮大な社会実験場。200年にもわたる自治実験の末、コーデクス主義体制は世界最高水準の生産性(※農業生産性。年度によりロムレーを下回る場合あり)を誇り、進んだバイオテクノロジーを持つ安定した情勢を実現した。
    ロムレー中央議会ではもう安定したのだから普通に独立した議会主義国家にすればいいと皆行っており、実のところ統治委員会もそうしたいと考えているのだが、当のセビーリャ自治政府のやる気がないので独立準備は遅々として進んでいない。

条約・国際機関等(締結・加盟順)

  •  

経済

 極端に観光業に指向した産業構造を持ち、その観光客滞在数は世界一で他国と比べても突出して多い。建国後十年程度は資源輸出によるところも大きかったが、それ以降は恒常的に突出して巨大な観光業が主導する経済であり続けている。いずれにせよ、外貨獲得能力は高く、一人当たり所得は世界最高水準とされる。
 なお、製造業はほとんど行われておらず、ロムレー軍に兵器を供給するレゴリス系の軍需工場を除けば職人的な工場における木製品や乳製品の一部がコミューヌの枠を超えて国内市場で出回る程度に留まる。

産業

農業

 干拓地で酪農・園芸農業などの高付加価値農業が行われているほか、高地では畜産業が営まれている。主に観光客向けではあるが、その生産力は輸出するだけの余力がある。

鉱業

 ウラン鉱が存在し、その輸出による収入は建国期の共和国を支えた。現在ではもはや収入源としての存在感は皆無に等しいものの燃料自給により経済を安定させることには貢献している。
 鉄鉱も存在するが、トロピコ戦役直前に急遽整備されたことから分かるように専ら軍需向けである。

林業

 広大な森林が広がり、その環境を維持する範囲内で林業が行われている。

工業

 木製品や乳製品が主に伝統的・職人的な製法で生産され、日用や土産物として流通している。
 産業的な大工場というものは著しく厳格な環境基準のために軍需を除いてほぼ存在しない。

商業

 観光業が極度に発展しており、観光客向けに様々なサービスが提供されている。
 本来の観光業のターゲットが長期滞在の富裕層であったことから、充分な所持金さえあればサービス業関連で困ることはないといえる。

企業

  • ロムレー・ユニオン銀行Union Bank de Lomeray
     ロムレーで最大かつ最も歴史ある銀行で投資銀行やアセットマネジメント、パーソナルバンキングなどの業態を営んでいる。本社はサン・トゥルミエールにある。投資傾向はクレディ・ロムレーに比べると若干保守的。
  • クレディ・ロムレー社Credit Lomeray
     投資銀行などを営むロムレー第二の銀行。本社はポワンクールにあり、セビーリャでも事業を展開している。コーデクス主義的潮流が多分に流れ込んでいる。
  • トリビューン・ド・ロムレーLe Tribune de Lomeray
     ロムレー最大の新聞社で、国内ではLe Tribuneとして知られる大手紙。本社はロムレー市にある。論調は自由思想派寄り。ロムレーのマスメディアとしては最も国際展開に積極的。
  • ロムレー農業協同組合Lomeray Coopérative agricole
     ロムレー最大の経済団体であり、およそ150万人の組合員を抱える。本部はポワンクールにある。
  • レゴリス・ミリタリー・インダストリーズ・ロムレーR.M.I.Lomeray
     レゴリス帝国の軍需企業レゴリス・ミリタリー・インダストリーズのロムレー法人。レゴリス本国からのライセンスを受けてロムレー軍の装備の製造と維持をロムレー国内で完結される体制を構築しており、ロムレー最大の重工業メーカーである。
  • ヴェニス・ロムレースVenise Lomerais
     ヴェニス・グループのロムレー法人。ロムレー企業はセビーリャでも活動できるため、セビーリャにも展開している。主に研究開発事業を中心に手掛けている。

通貨

 通貨は独自の法貨として移民船時代以前から続くロムレー・フラン(Fr.,LRF)が使われているが、観光業の発展に伴い、他国の通貨の流通も一般化している。
 国際通貨であるVaはロムレー・フランと並んで価格表記にも使われ、また主要な通貨は概ね通用する。

交通

 鉄道が比較的発達しており、山がちな地形ながら登山鉄道などによって国中が結ばれている。また湖上や運河を行き来するフェリーや客船も多く運航されている。

ロムレー・チューブ

 コーデクス共和国で開発された真空チューブ列車VCTTをもとに作られたロムレーの超高速交通機関。三大都市などを結んでいる。空路よりもこちらのほうが早く利便性が良いため国内の移動では一般的にこれがよく利用される。

国民・文化

 主流文化はスイスフランス語かつカルヴァン派のものであり、民族的・宗教的な類縁の民族がフリューゲルには存在しない。
 移民に関してはセビーリャ系が最大多数であり、レゴリス系・ヘルトジブリール系・普蘭系と続く。移民による過度な人口増があまり望まれていないため、セビーリャ系(内国民待遇)を除き帰化要件は厳格。

言語

 公用語とされている言語はフランス語であるが、このフランス語はいわゆるフランシアン語ではなく、ヌーシャテル近郊のスイス・フランス語であり、近年はこの言語をロムレー・フランス語と呼ぶことも多い。なお、一応フランシアン語でも通用はする。
 英独伊語に関してもそれらを母語とする家庭が一定程度存在、レゴリス語やコーデクス語を初めとした友好国の言語も広く学ばれており、これらの一つだけでも話せれば観光には支障ないであろう。

宗教

 宗教の構成比率はカルヴァン派66%、カトリック10%、その他プロテスタント4%、CDX信仰4%、その他のキリスト教諸宗派2%、その他の宗教1%、無宗教13%。
 信教の自由は完全に認められている。9世紀半ばにカルヴァン主義共和派から自由思想派に政治的主導権が移行して以来、自らの所属する宗派への献金に対する税制上の優遇措置である什一献金特例は公益法人への寄付にも適用されるようになるなどの改革が行われ、カルヴァン派の国教としての地位ももはや形式的なものにすぎなくなっている。
 ゾロアスター教などを始めとする国際的な宗教勢力は国内にほとんど地歩を持っていないとされ、ロムレー教会評議会に参加しているキリスト教の宗派と無宗教だけで国民の95%以上に達する。

教育・学術・文化

学術文化

 ロムレーは国家規模が小さい割には学術文化は比較的発達している。特に言語学に関する成果が知られているが、広く人文・社会・自然問わず基礎科学分野一般に豊富な蓄積があり、コーデクス共和国解散後の資料流入でさらに発展を遂げた。学問の世界での「コーデクス主義」は、この研究をさらに進展させようという一大潮流である。
 このような学術文化発達の背景には中央議会の弁論の場において教養主義が重んじられていることや、観光客とのやり取りの中で幅広い知識が必要とされたこと、極めて高い所得水準ゆえの充分な余暇の存在などが考えられているが、はっきりとした理由は明らかではない。

学術出版

発達した学術文化の成果として、多くの学術誌が発行されている。その中でもいくつかの誌は新聞広告に掲載され一般家庭にも購読されるほど有名である。

  • 『Linguistic Research』
    言語学を扱う雑誌。フリューゲルにも印欧語系の言語が多いため、特に比較言語学方面の研究が盛ん。ここから派生して翻訳が行われたコーデクス語公式教科書の仏語版である『わかる!話せる!コーデクス語』は毎年重刷されるロムレー屈指のロングセラー。
  • 『Papier d’Histoire』
    歴史学を扱っている。フリューゲル全体の歴史学を指向する。フリューゲルにおけるグローバリズムを肯定する傾向から急進左派には微妙な扱いをされている。
  • 『国際経済旬報』
    文字通り国際経済の季刊誌と思いきや経済と文化を両方扱う傾向が強い。
  • 『Politique numérique』
    コーデクス主義的政治学の追究を目的に始まった雑誌。かつては異端児たちが書く色物誌だったが近年はコーデクス主義の伸張からロムレー政治学者の必読とされることが多い。
  • 『叢書コーデクス諸学』
    コーデクス共和国解散直後に流入した資料について解説をつけて公開すべきという意見から創刊された叢書。現在はコーデクス主義の影響を受けた研究を何でも扱うようになっており、今や扱う領域も何でもござれである。
  • 『Epidémiologie et hygiène』
    疫学と公衆衛生を扱っている。医療系専門誌だが、なぜかロムレーのどこの本屋にでも売っている。
  • 『Le progressisme』
    典型的な左派知識人向けの月刊誌。これを通読することでロムレー左派論壇の勢力図が分かるらしい。

大学

 アンゼロット記念大学とロムレー大学が有名で、大学院レベルの教育はほとんどがこれらによって担われている。基本的にロムレーのエリートコースでは修士号・博士号が求められるため、必然的にロムレーのエリートはこれら(あるいは海外大学院)の修了者で占められる。
 学部に関しては公立大学(コミュニティ・カレッジ的な存在)が各地のコミューヌに存在しており、それらからアンゼロット記念大学やロムレー大学に進学したり留学する者も多い。

  • アンゼロット記念大学
     移民船時代に余暇を用いて行われていた学術サークルに由来し、612年に法人格を取得、619年に法令上も大学となった共和国最古の大学。
     学術サークル時代の下部組織を継承した多数の学寮が存在するカレッジ制をとり、それぞれのカレッジで様々な学問が研究・教授されている。社会人学生や聴講生が多いのも学術サークル時代からの伝統である。
     サン=トゥルミエール校とポワンクール校の二校が存在し、サン=トゥルミエールは学術サークル時代からの「紙と筆、黒板と白墨、そして学生と教授」さえあればできるような哲学的・数理的な形式科学のほうが、一方ポワンクールは「実際に試してみればわかる」というような経験的な実験哲学のほうが盛んであるといわれるが、キャンパス間よりもカレッジ間の差のほうが大きいとされる。
  • ロムレー大学
     618年に設立された共和国唯一の国立大学。ロムレー市内に位置し、主に官僚養成を旨とする。アンゼロット記念大学よりも実学と総合科学を重視する。
     学部組織としては理学部・工学部・法学部・医学部・社会経済学部・言語文化学部が存在する。

スポーツ

  • スカイスポーツ
    元来スカイスポーツの盛んなレゴリス帝国の影響でロムレーにおいてもスカイスポーツが広く親しまれている。人口あたりの競技者ではレゴリスを超えるという推計も存在する。
    レゴリスでも人気のある一般的なグライダーのほか、自然の傾斜を活かしたパラグライダー・ハンググライダーも人気がある。
    しかし最も一般的なのは気球で、穏やかな干拓地から険しい山岳まで、ロムレーの空に気球が飛んでいるのをよく見かけることができる。
  • アウトドアスポーツ
    登山やオリエンテーリングで有名だが、ロムレー人以上に外国人の登山家のほうが多いとされる。
    ただし、環境享受権の規定もあって、ロムレー人でも競技性の高くないハイキングのようなものを習慣的にたしなむことは非常に一般的である。
  • ウィンタースポーツ
    スキーやスケートなどが広く楽しまれている。冬の休暇に山岳スキーを日常的に楽しむロムレー人も多い。

軍事

 ロムレー軍はその国家規模の小ささに反してイレギュラーを保有し、また海外への航空戦力投射能力も備えている。これは実戦経験としてはトロピコ戦役とセビーリャ作戦という二つの派兵経験を通じて形成されたものである。ただし常設の在外部隊などは基本的に持たない。
 一方で地上部隊は大規模な派兵を経験しておらず、むしろ国土防衛を主眼とする編制のままであり、多数の民兵といくらかの山岳戦特化の部隊を主体とする。これらは「ロムレー軍はスイス軍の制度を引き継いでいる」という軍を観光資源に使うための建前(移民船期に実質が失われているということは国民の間では公然の秘密である)がそのまま引き継がれたものである。そのために民兵はトロピコ派兵以前のロムレー軍の評価としてよく用いられたフレーズである「軍服を着た観光案内人」的な軍のあり方を今でも保っている。
 なお、兵器に関しては基本的にレゴリス・ミリタリー・インダストリーズ社をはじめとするレゴリスの軍需産業の在ロムレー工場で生産されるものが使われており、基本的にロムレー国内で生産・整備ラインが完結しているものの、レゴリス帝国軍の装備体系とほぼ完全な互換性を持つ。

人物

中央議会歴代議長

ディアヌ・ヴァランティーヌ・シビル・ブロンデル

 中央議会第十四代議長。
 ロムレー・ユニオン銀行のシンクタンク部門で主に社会主義国との二国間投資を専門に研究員として調査研究にあたってきたエコノミスト。外交局の情勢調査員に転職し、ストリーダ・ヘルトジブリール・レゴリスなど先進国経済の比較研究を行い、経済学の学識や語学力だけでなく、交渉力や実務能力も極めて優秀であったことからその能力を買われて外交官に転身、平和原則条約起草委員会ロムレー代表団の中心的メンバーとなった。国連発足後は初代国連大使を務め、普蘭問題について将来禍根を残す可能性の大きなミルズ案を撤回させるなどの功績をあげた。
 855年、両ミルズ問題について一定の解決を見た後に国内政治に身を転じ、中央議会議員となった。国連大使就任時点から既に「次の中央議会議長」として期待されていた人間であり、立ち位置としては社会自由主義者で、コミューヌ単位で見るとロムレーは非常に強力な福祉国家を成立させていることに気付き、むしろ伝統的でリバタリアン的な「古き良き国制」という議論がロムレーの政治認識をゆがめていると考えており、実情に理念を合わせることを主張する。
 外交的にはフリューゲルの経済的中心であるヘルトジブリールをとりわけ重視し、社会主義国との協調を志向する。これはヘルトジブリールとの相互不可侵・学術交流条約締結という形で結実し、それだけでなくロシジュアとのバラ園の協定などの成果をあげた。
 一方で長らく休む暇もない激務に晒され続けたことから晩年には次第に身体的な問題を抱えるようになり、国連体制が安定化すると中央議会内部の意見もまとまらないようになっていったこともあって、政権後期には精彩を欠くようになっていった。882年に引退。

アンブロワーズ・リオネル・スィズィニョレ

 中央議会第十五代議長。永久安保締結時の参謀本部総長。海軍退役大将。海軍兵学校入学以前の記録が一切残っていないなど、その経歴にはかなり謎が多い。
 海軍兵学校では卓越した成績を残し、無事に首席で卒業、以後順調に昇進し、海軍どころかロムレー軍全体の制服組トップにまで達した。セニオリス封鎖作戦等でレゴリス軍と密接に連携して活動。
 軍人を引退した後に中央議会議員となるが、それ以前は政治的には無名でありながら驚くべきバイタリティで合理的規律派の事実上のリーダーとなり、コーデクス主義が支配的になる以前の合理的規律派の立場を回復させた。ブロンデル前議長の退任後、ガトーヴィチ内戦を受けて強いリーダーシップをとれる人間が求められたことから882年に中央議会議長に就任。ガトーヴィチ内戦下でロムレー軍の警戒態勢を指揮した。

メレーヌ・ヨランド・リュシェール

 中央議会第十六代議長。ブロンデル議長の国連大使時代の直接の部下。言語学博士(ロムレー大学)、法務博士(帝国大学)。レゴリス帝国弁護士資格も有する。
 ロムレー大学言語文化学部レゴリス語学科を次席、同大学言語文化研究科を首席で卒業し言語学で博士号を取得後に外交局に入局。学部時代に首席を逃したのはあまりにも兼修外国語をやりすぎたからとの噂で、実際に主要国の言語はおおよそ話すことができる。入局してすぐにブロンデルの下に配属され、平和原則条約起草委員会のためにしばらく働いた後、将来の国連設置に備えて国際法を学ばせるべく研修としてレゴリス帝国の帝国大学に留学。法務博士とレゴリス帝国の弁護士資格を取得後外交局国連部に復帰し、再びブロンデルの下で働くが、ブロンデルが政界に転身したため第二代国連大使に就任。
 才覚は優秀だが性格は穏やか。如才ないようでどこか抜けているとも。膨大な情報とそこから予想される無数の帰結を直観的に処理しながら、その直観の導出過程を諸学問と整合的で適切な論理によって説明することができる紛うことのない天才にして秀才。唯一の欠点は誰にもまねができないということであり、国際政治を国内の議会政治の論理に翻訳し説明しながら進めることは結局彼女にしかできなかった。それゆえヴィレット国連大使などのごくわずかな例外を除いて後継者を育てることには失敗し、彼女が国連大使から議員に転身した後には「彼女の代に比べて質が低下した」と批判され急速な外交局の地位低下を招いたが、中央議会議長としての責務から外交局をかばいきることはできなかった。
 政治的には非党派的で、国際協調を維持するのと同じ手腕で国内党派における調和を図る。
 902年に中央議会議長に就任。926年に退職。

ポール=アンリ・レ・ラグランジュ

 第17代中央議会議長。
 官僚主義的なルッコラ主義者、孤立主義者。博士(史学・アンゼロット記念大学)。サン・トゥルミエール近郊の農村生まれで、アンゼロット記念大学に進学してスイス独立史を研究し博士号を取得。キャリア組として外交局に入局するも、出世ルートを選ばず、事務方として勤続。しかし国連代表部史料編纂室に配属後、つい歴史家の血が騒いでアクセス権限をフル活用して史料編纂をしてしまい、報告書をヴィレット国連大使やリュシェール議長に評価されてしまう。その後リュシェール議長に議会図書館へのアクセス権限をエサに中央議会議員になることを勧められ当選。リュシェールの右腕として活躍する一方で、国連懐疑主義的な言動がむしろロムレー一般国民の支持を受け、珍しく議会内政治よりも国民一般からの広い支持を支持基盤として中央議会議長に就任する。
 情報処理能力に優れ、ライブラリアン・アーキビストとしては有能だが、極めて官僚主義的で総じて流れに任せる姿勢をとりがち。本人も外交官や政治家向きではないと自認している。なお、外見が極めて若々しく、下手をすれば少年か青年のようにも見えるが、実年齢は普通に中年である。非党派的で、外交局出身者では数少ない非国連派で、ついでに親レゴリス派でもなく、親社会主義派でもない。本人は冗談めかして「親ロムレー派」を自称するが、そのために時々自国中心主義とかルッコラ主義とか言われる。なお、本人もその呼び名を否定はしない模様。
 948年に引退。

アンリエット・ブランディーヌ・ビュファン

 第18代中央議会議長。医師、公衆衛生学修士(ロムレー大学)、医学博士(帝国大学(レゴリス))、陸軍退役大佐。
 周辺離島のローワーミドル子女で、12歳のときに事故で両親を失う。その後リセを首席で卒業したが進学せずロムレー軍に入隊し衛生兵に配属。しかし成績優秀なことから特待生として抜擢され軍医学校で医学を修めて医師免許を取得、軍医となって活躍した後、ロムレー大学で軍人の職業衛生を研究し公衆衛生学修士号を取得し医療福祉局に技官として入局、レゴリスの帝国大学に官費留学し極限状況での作戦における健康の保持に関する研究で医学博士号を取得するなどしつつ局長まで昇進の後中央議会議員に転身。遅咲きのエリートだが、医療政策と安全保障政策の両面に理解の深い叩き上げの卓越した実務家。10世紀前半の反エスタブリッシュメント的な思潮にも適合し、広く評価されて中央議会議長に選ばれた。内政においてはレジリエンスの維持を掲げ、外交においては新古典的現実主義を旨とする。政治的には党派主義を嫌厭するが、支持層の中核は合理的規律派とされ、カルヴァン主義共和派と社会自由派にも好まれている。