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813年戦争

813年戦争
開戦日812年6月3日(29248期)
停戦日813年6月(29284期)
終戦日813年11月8日(29299期)
結果エルドラード条約機構の解散と構成国の軍縮、賠償
衝突した勢力

ヴェニスグループ

セニオリス共和国

レゴリス帝国

ヘルトジブリール社会主義共和国

普蘭合衆国

昭栄国

ロムレー湖畔共和国

 

 

セニオリス共和国

ガトーヴィチ帝国旗

ガトーヴィチ帝国

ヴォルネスク・スラヴ共和国

 フェネグリーク帝国

 

概要

813年戦争は、ヴェニスグループ傘下のヴェニスセキュリティサービス株式会社の軍備を巡り、812年6月から約1年に及んだ戦争のこと。初期は国家対企業の戦いだったが、民間人犠牲者が出た事により複数国を巻き込んだ大規模戦争に発展した。この戦争によりエルドラード条約機構は解散する事になった。

歴史的経緯

赤化が進むフリューゲルと警戒する資本主義国

フリューゲルは8世紀に入り主だった戦争のない平和な期間が続いてる中、社会主義新国家の勃興や中夏民国の赤化といった世界的な赤化が進みつつあった。
資本主義国内でもストリーダ王国での首相暗殺未遂やヴェニス島無差別爆撃テロなど、過激派による赤色テロが発生し、資本主義国家は危機感を募らせていた。

拡大する超巨大企業と支配権を握る社会主義国

多国籍企業ヴェニスグループは資本主義国を中心に世界の半分以上の地域に事業展開を行い、本社のあるヴェニス島では1800万人以上の住民を事実上の統治下に置くほど巨大化しつつあり、一部の社会主義者からは「資本主義の権化」と罵られる存在になっていた。
しかし、第3回ヴェニス株式発行で40%以上の株式を社会主義国が握っており実権を社会主義国が握りつつあった。

エルドラード条約機構(EDTO)

809年9月20日、赤化を警戒し市場経済の優位性を宣伝し相互防衛を行うエルドラード条約を締結した。
締結国は当時資本主義国家であるセニオリス共和国、ガトーヴィチ帝国、ヴォルネスク・スラヴ共和国、フェネグリーク帝国の4カ国で行われた。
(参照資料:エルドラード条約(資本主義市場経済相互援助条約)調印式)

可決されたVSS社の重武装法案と警戒するセニオリス共和国

過激化するテロ活動に対し、ヴェニスグループ傘下の警備会社「ヴェニスセキュリティサービス株式会社」(以下VSS社)は特車やミサイル警備船で重武装化する議案を取締役会で提出し可決された。これはヴェニスグループが保有する200万人以上もの規模を誇るVSS社警備員が軍隊化するものと一部の国は見なした。
これに対しセニオリス共和国はVSS社警備員が社会主義国の先兵として利用される可能性がある事に強い警戒心を持つようになり、次第に国内のヴェニスグループ排斥へと動き始めた。

セニオリス共和国の「特定民間軍事企業規制法制定」とヴェニスグループ企業の接収

セニオリス共和国の国民議会は「特定民間軍事企業規制法制定」を制定し、国内のヴェニスグループ企業の接収を決定した。ヴェニスグループはこれに抗議しセニオリス国裁判所に違憲であると訴訟するも敗訴、バリケードを築くなど抵抗を試みるも政府当局により接収された。接収にあたり56名の負傷者と68名の逮捕者が発生し、セニオリスVSS社の社長カール・ゴルツが逮捕された。これに対しヴェニスグループは市民団体「セニオリス企業連合」を立ち上げデモとロビー活動による抗議活動を繰り返した。セニオリス共和国政府は民間軍事企業による世界秩序の崩壊を阻止するためと一連の行為を正当化した。

宣戦布告

812年6月3日、セニオリス共和国政府はヴェニス島に残留するセニオリス-VSS社の資産接収のため、ヴェニス島へ武力行使する事を宣言した。セニオリス共和国は国対企業であるから国家間紛争ではないとし、介入すればEDTOの集団自衛権が発動すると勧告した。
(参照資料:【宣戦布告】セニオリス共和国による、ヴェニスグループに対する)

戦闘経過

セニオリス共和国軍とVSS社の戦い

セニオリス共和国軍はヴェニス島上陸にあたり、2か所の上陸候補地を定めた。
第一候補はヴェニス島南部の「シーサイドエリア」で、砂浜が多く大規模な上陸作戦に適していた地形なのが理由だった。
第二候補はヴェニス島西部の「フォレストエリア」で、事前調査でVSS社の防空網が比較的弱い箇所になっていた。
参謀部は上陸のしやすいシーサイドエリアでの上陸作戦を決定した。

セニオリス共和国軍はVSS社の無人兵器群に翻弄されつつも、フォレストエリアからの上陸に成功。
森中で激しい地上戦を繰り広げVSS社警備員を撤退させたが、有志連合の参戦に伴い撤退した。

シーサイド空戦

セニオリス海軍は上陸作戦の前哨戦としてヴェニス島シーサイド制空権の獲得のため、シーサイドエリアのVSS社航空基地の空爆作戦を決行した。
9月5日午前6時、セニオリス海軍はヴェニス島南部まで空母を進出させ艦載機を発艦、それを定期哨戒中だった空中空母「ガーディアン2」が探知。搭載されていたUCAV「テユール」80機が発進し大規模な空戦が行われた。
この戦いでセニオリス海軍機はUCAVの独特な戦闘軌道と物量に圧倒され、制空権を奪えず撤退した。

翌日の朝、セニオリス海軍は「ガーディアン2」とUCAVのおとりを努めつつ、別動の爆撃機編隊が爆撃を行う作戦を決行。VSS社の航空基地とSAM、レーダー基地を破壊し、南方の防空力を無くす事に成功した。しかし、いくつかの爆弾が市街地に落ちたことが後に戦争の拡大を招く原因となった。

VSS社はソーラーと電気推進により半永久的に飛べる新型の「ガーディアン3」とUCAV「アイテール」とそれを射出可能なカタパルト車両を派遣し、空白になった防空力を即座に回復。9月15日の二次攻撃を防いだことにより、セニオリス共和国軍はシーサイド上陸をあきらめフォレストエリア上陸に作戦を変更した。

ヴェニス島東崖上陸戦

セニオリス共和国軍は第二候補であるフォレストエリア上陸作戦を決行した。
セニオリス海軍はVSS社の貧弱な海上戦力と南方に集中し手薄になっていたVSS社の航空戦力を撃退し、強襲上陸に成功した。

VSS社は航空戦力を急遽東方へ展開するも、深い森の中に侵入したセニオリス陸軍を効果的に攻撃できずにいた。セニオリス陸軍はVSS社警備隊は森中で激しい地上戦を繰り広げ、森中のVSS社4番警備拠点を奪取。順調に占領地を広げつつあった。VSS社は遅滞戦を行いながら島内の増援を待つことになるが正規軍に対抗する重武装がまだ配備しきれていなかったため、徐々に押されていた。

VSS社の反攻爆撃

ジュリアン・ブースCEOは上陸部隊への補給基地になっていたセニオリス共和国領シグムンド島の海軍防衛基地を爆撃する事を決定した。11月8日、第144番傭兵航空隊は無人給油機による空中空輸を往復4度行いつつセニオリス共和国領空へ侵入。空母を持たないVSS社による攻撃はないと油断していたセニオリス空軍を撃退し、シグムンド島海軍防衛基地を破壊する事に成功した。
セニオリス陸軍は補給が滞ったため侵攻速度を大幅に落とさざるを得なくなり、戦線は膠着。後に有志連合の宣戦布告に伴い撤退した。

国際社会の反応

セニオリス共和国による市街地爆撃

セニオリス海軍爆撃機によるシーサイド空戦の爆撃作戦によりシーサイドL40エリアの市街地に爆弾が着弾。現地にいた5万7000人の民間人が死亡・行方不明になった。ヴェニス島は多国籍人が集まる島だったため、レゴリス帝国人を筆頭に多数の国の民間人が犠牲になった。特にカタルシア王国から社会科見学を行っていた学生150人が行方井不明になった事はヴェニス社のプロパガンダとして島内で大きく報道された。

レゴリス帝国の非難声明

レゴリス帝国はセニオリス共和国がヴェニス株式会社統治領に所在する防災都市へ140発ものPPミサイルを発射したことにより居住する多数の民間人に犠牲者が出たこと、その内の3万3487名はレゴリス帝国の国籍保有者であったことを理由に、即時停戦及び講和条約締結に向けた協議の開始をセニオリス共和国に対して勧告した。
併せて普蘭合衆国により有志諸国に対して協調の呼びかけが行われ、セニオリス共和国が停戦に向けた動きを行わない場合は開戦も視野に行動していくことで合意した。

(参照資料: レゴリス帝国によるセニオリス共和国に対する非難声明)

有志連合の宣戦布告、EDTOの宣戦布告

レゴリス帝国並びにヘルトジブリール社会主義共和国、普蘭合衆国、昭栄国、ロムレー湖畔共和国からなる有志連合は、セニオリス共和国が先の非難声明を受けて謝罪を行わず民間人の死者を「必要な犠牲」とみなしたことを問題視し、対話での是正は不可能と判断し、812年12月9日、セニオリス共和国に対して宣戦布告した。
これを受けてセニオリス共和国を除くEDTO加盟国は集団的自衛権の行使を宣言し、813年1月27日、有志連合に対して宣戦布告した。この時、攻撃開始期を有志連合と同じ813年2月下旬とすることが認められた。
(参照資料: 有志連合によるセニオリス共和国に対する宣戦布告)
(参照資料:【宣戦布告】エルドラード条約機構による、連合国に対する)

フェネグリーク帝国の中立化

有志連合側では普蘭合衆国からEDTO諸国の中で結束に劣るフェネグリーク帝国を離脱させるべきとの提案が行われ有志連合内で合意を得た。この合意に基づきフェネグリーク帝国に対して普蘭合衆国より工作が行われ、EDTOの集団的自衛権の行使に同調しないことを条件に有志連合の攻撃対象から除外することが可能であることが伝えられた。セニオリス共和国との関係も薄く事前連絡ないまま戦争に巻き込まれていく状況に限界が来たフェネグリーク帝国は提案に同意。以降EDTO諸国からの連絡・要請を一切無視する状態になり、終戦まで中立を維持することになる。

有志連合とEDTOの戦い

EDTO側は、有志連合の最後の良心を信頼して、有志連合による攻撃を受けるまで攻撃しないと宣言したため、当然のごとく先制攻撃を受けることになった。813年2月21日、有志連合はガトーヴィチ帝国のイレギュラーに衛星破壊砲を、国会議事堂並びにロケット基地に衛星レーザー砲を発射し、ガトーヴィチ帝国の衛星攻撃能力の排除と政府機能の一部停止に成功した。
開戦後僅か数ターンで衛星攻撃不能に陥ったEDTOは、「Opération Cinq Grains Récolte (五穀収穫作戦)」を発動。最上位国の防衛艦隊の半数を撃破次第、一斉に上陸部隊を派遣し、次の上位国の防衛艦隊を撃破する戦術をとり、有志連合と戦術面での差別化を図りつつ、衛星攻撃不能と砲弾不足の苦境を凌ごうとした。五穀収穫作戦の結果、EDTO軍はレゴリス帝国ハイネセル=エルネスティア州北部群島(6,1)、スリューフェン州西部(1,4)、アグンセラ州西部(1,18)、ヘルトジブリール社会主義共和国東部に上陸し、特にエルネスティア方面軍は現代都市(7,1)の占領に成功した。この現代都市の占領については、レゴリス帝国において300万人以上を虐殺と報じられ、副総統の「この借は数千倍にして返してやろう」という発言はフリューゲルに波紋を呼んだ。五穀収穫作戦が一定の戦果を上げる一方で、EDTOは、有志連合による軍事施設破壊の激化や、フェネグリーク帝国が攻撃に同調しない等の不安要素を抱えていた。

終結

813年6月、有志連合はEDTOに対して講和条約案を提示、敗色濃厚のEDTO諸国は原案のまま受諾した。813年7月、ヘルトジブリール社会主義共和国首都ベルグシュロス郊外ディースブルク(Diesburg)城において講和条約の調印式が開かれ、813年11月7日(29299期)に閉式した。その後、以下の日付で批准が進み、815年4月7日のフェネグリーク帝国の批准を以ってディースブルク条約が発効、ディースブルク体制が成立した。

ロムレー湖畔共和国       813年11月11日
普蘭合衆国           813年11月11日
ヘルトジブリール社会主義共和国 814年 9月13日
レゴリス帝国          814年11月17日
昭栄国             815年 1月21日

ヴォルネスク・スラヴ共和国   813年 12月27日
ガトーヴィチ帝国        814年 2月 3日
セニオリス共和国        814年 2月26日
フェネグリーク帝国       815年 4月 7日

戦後・影響

ヴェニスグループ

セニオリス共和国とガトーヴィチ帝国への運営権を回復し、営業活動を再開した。一方で円滑な営業活動を行うため、両国内のVSS社装備と営業内容を軽武装の警備業に制限するなど、一定の配慮を行った。
戦時下で活躍した無人ロボットによる「クリーンな戦争」はヴェニス製兵器への宣伝になり、いままで買い手のなかった無人兵器の購入検討を行う国が増えた。
また、1企業が国家の正規軍と対等に戦う事ができる事をこの戦争で証明する形になった。