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西瀛公国

 

「蒼天の蓮花と三日月」

仏教系民族とイスラム系民族の融和を示すため国旗として873年に制定された。

国名 西瀛公国
英名 Principality of Sai Ying
公都 瀟京 Xiaojing(音:シャオジン)
元首

(署名)

西瀛大公 スヴィアド・ウェリル・ヤ・ストゥルア(敬称は殿下)

Grand Duke of Sai Ying  Zviad IV Weril  Ya Sturua

首相

副首相

レバン・マアルーフ Levan Maalouf

喬小川 Qiao Xiaochuan

現体制の成立 873年 6月中旬
公用語 英語、中国語
政治体制 立憲君主制(君主権非制限)
主要宗教 仏教、イスラム教
主要民族 西瀛族、ウィドゥア族

 

概要

西瀛公国西瀛大公が治める形態の立憲君主制国家で、公都を瀟京に置く。初代の西瀛大公が私兵を率いて行った外征で現在の瀟京を得て城を築き、住み始めたことで現在の西瀛公国の礎が築かれた。かつては東にあるハルジン朝(イスラム帝国)の一部で、ハルジン朝が異民族の侵攻を受け断絶すると、これを契機に独立した。独立後は異民族の脅威から身を守るために外国との交流が少なくなっていたが、外征での異民族征伐と旧ハルジン領の回復を経て、遣外使が率いる商団が10年に一度、外国を旅して様々な知見を持ち帰るようになった。

公国が本格的な開国への道を歩む大きな転機となったのはフリューゲル暦860年代後半で、大群の蝗による大飢饉(蝗の災厄)で国土が荒廃し、大量の餓死者が出たことで国家機能が麻痺したことが大きな要因であった。国の備蓄を開放することで危機から脱したが、残されたのは荒地と僅かばかりの国土、他国へ移住する財や力の無い国民だけであった。その最中、過労によって倒れた先代の西瀛大公の遺言に基づいて開国と議会の設置が行われた。外国の技術や知見を集め、国民一丸となって荒廃した国を立て直すべく、現大公スヴィアド四世(先代大公の四男)と議会で首相に選ばれたレバン・マアルーフ主導の政治改革が873年から行われている。西瀛の名称はハルジン朝の西側にあったこと、ハルジン朝にとって西側の大洋に出るための要所であったことに因む。国民性は非常に穏やかであるが、歴史的背景から食べ物には非常にうるさく、また騎馬民族や賊の類には容赦がない。

政治

行政機構

大公府の下に六つの部を置く。大公府は大公と議会から選出された首相の共同責任において施政を行う。

各部の最高責任者をと呼び、一例として内国部であれば内国卿となる。任命された者には1代限りの男爵号が授与される。

【大公府(Grand Duke Office)】

大公と首相が共同責任者となり、各種政策の立案や、行政府の中枢としての役割を果たしている。

  • 内国部(Progressive Policy Office) 

  別名進歩政策部国内政治に関する事項を広く所管する。他の部よりも巨大な権限が特徴。

  • 外国部(Foreign Policy Office)

  他国での外務省等に相当する部。外交の他に、通商事項も所管する。

  • 国富部(Mercantilism Policy Office)

  別名重商主義政策部。言うほど重商主義ではない。内国部とは別に、財政資源開発に関する事項を広く所管する。

  • 律令部(Law Abiding Office)

  他国での法務省等に相当する部。法と秩序の整備と維持、公国臣民の権利の擁護出入国管理などの事項を広く所管する。

  • 学術部(Academic Office)

  学術文化などを保ち発展させるための諸事項を所管する部。大公府や五部の官僚人事、官僚登用のための科挙なども行っている。

  • 軍警部(Military Police Office)

  古くは大公親衛隊、近衛兵部と呼ばれていた。要人警護国防国内治安諜報防諜などの事項を広く所管する。

立法府

古くは大公諮問会議が立法府としての役割を果たしていた。フリューゲル暦873年の大公令第772号により解散が行われ、同令に基づき設置された公国立法院が立法府、公国臣民の意見の代弁者としての役割を果たしている。一院制(二院制は検討されたが予算の都合で見送られた)、存命の1代貴族から選ばれる議員が30人~40人ほど(※毎年数が増減する)と、各地での選挙で選ばれた議員が80人おり、合計で110人から120人ほどの人数で立法院が運営されているという特徴を持つ。議会の解散を行うには大公が解散権を行使するか、3分の2以上の賛成により解散が行われる。

873年の第1回選挙で二大政党が誕生した。大公の楯 Grand Duke Guard 65人(1代貴族30名、一般選挙35名)民衆の剣 Demophil43人(1代貴族3名、一般選挙40名)と若干の無所属 Nonpartisan10人(1代貴族5名、一般選挙5名)が現在の議会勢力となっており、二大政党による政策競争型の政治が行われている。

外交

現在、諸外国と接触している最中にある。

王室外交

王室間の外交を重視する傾向にある。これは初代大公の時より、婚姻政策によって外交的成功を収めてきた実績によるもの。

現在では政略結婚に関して公国民からの支持を得られないため、婚姻政策ほどの露骨なものはないが、君主国との良好な関係を築くことを

王室・政府ともに重要視している。民主主義国家であっても名門と呼ばれる政治家一族との親睦は肯定的にとらえている。

 

軍事

軍警部の下に公国軍が存在しており、陸海空の諸部隊を擁している。現在は飢饉の影響で各地に分散して復興任務にあたっている。

経済

伝統的に農業国であったため、踏襲されると考えられている一方で、資源開発や石油開発を通じて海外との交易による新しい収入を得ることも検討されている。

文化

教育

男女問わず基礎教育8年、応用教育4年の義務教育が行われた後、一度徴兵される。

任期を終えた後は希望に応じて国から専門教育課程への助成金を受け取るか、就労支援金を受け取るかを選ぶことが出来るが、貧困家庭が多いために大抵就労支援金を選ぶことが多い。

芸術的特産品

絨毯とタイル画、陶磁器、レリーフ彫刻など、イスラム文化の影響を受けた特産品が非常に多く、特に絨毯はどんなに貧しい家庭でも立派なものを一つは持っていることが多い。

食文化

香草と香辛料をふんだんに使った料理が多く、火を通した温かい食事を食す。冷たいものを食べる西瀛人は非常に少ない。

これは飢饉で限りある食物を腐らせないように、あるいは菌を殺すための工夫が行われてきた事の影響が大きい。

主食としては麦を加工したパンや、長粒の米が好まれる他、肉は宗教的事情もあって羊肉が好まれる。煮込み料理がもっとも多い。

近年は大公による外国の食文化の紹介が行われていることもあって他国の食文化も受容されつつある。

宗教

仏教とイスラム教が国民の間で主な信仰となっている。仏教徒は西瀛族に多く、イスラム教徒はウィドゥア族に多い。

仏教では大乗仏教の影響が大きく、仏教徒は人口の5割を占めている。イスラム教ではスンナ派のみが確認されており、人口の3割を占めている。

残りの2割は両親が仏教徒とイスラム教徒であったことによる影響が大きい人々、つまりはどっちつかずではあるが、どちらの教えも尊重しようとする人々で占められている。

宗教間対立は建国初期にこそあったが、異民族との戦いの最中に相互に協力し合ったことで融和が進み、現在では対立は起きていない。

人物

王室

  • スヴィアド・ウェリル・ヤ・ストゥルア(スヴィアド4世)

現大公、国家元首。フリューゲル暦873年時点で48歳。本来は先代大公の四男で大公位を継ぐはずではなかったが

長男は夭折し、次男は飢饉で病死、三男は放蕩者のため、四男でありながらお鉢が回ってきてしまった人物。

能力的に極めて優れた資質と呼べるものはないものの、人の使い方が上手いと政府関係者の間では好意的に捉えられている。

  • アルダシール・スヴィアド・ヤ・ストゥルア

第1公子。公位継承順位第1位。敬称は殿下。フリューゲル暦873年時点で20歳。

次期大公であり、現在は兵役に就いて父の代理として国内各地の慰撫をしている。

次期大公としての器は国民からも高い期待を寄せられている一方、本人は胃薬が手放せない。

  • シャティー・ライラ・ゼ・ストゥルア

第1公女、継承順位第2位。敬称は殿下。フリューゲル暦873年時点で18歳。

本来なら兵役を経験するところ、健康診断で病弱のため適合せず兵役免除に。将来の進路に悩んでいる。

政府

  • レバン・マアルーフ

公国首相。ウィドゥア族の絨毯職人の家の出。イスラム教徒。

  • 喬小川

公国副首相。西瀛族の名士の家の出。仏教徒。