天照院幕府(正式な国号は「大秋津国」)は秋津列島を統治する武家政権である。
名称は初代将軍細川経氏が首都「洛安京」の古寺「天照院」に政府を置いたことに由来する。
国名 | 大秋津國 |
国旗 | |
国章 | |
幕府旗 | |
幕府章 | |
国歌 | 海ゆかば |
国鳥 | カラス |
首都 | 洛安京 |
元首 | 由仁 伝75代皇王 |
将軍 | 細川経政 第7代上将軍 |
公用語 | 日本語 |
政体 | 権威主義武家政府→部分的民本主義評議制 |
通貨 | 貫 (対外決済にはVaを使用) |
開国 | フリューゲル暦 32828期911年 11月中旬 |
目次
概要
大秋津國は秋津列島に位置し、秋津本島、北山道、丘州、肆国からなる島国である。周囲には自治国の琉宮国、秋津海を隔て幹半島、東華夏海を隔て中夏、西南泰平洋を隔て石動が存在する。
歴史
秋津民族は石動民族と同じく地球を脱出した日本民族の後裔にあたり、その建国は早くユネティプロジェクトが本格化するフ歴0年以前に移民が試みられたと伝わる。
その後、日本国皇室を皇王とし(初代天神皇王)秋津皇国http://tanstafl.sakura.ne.jp/modules/xpwiki/?%E7%A7%8B%E6%B4%A5%E7%9A%87%E5%9B%BDが成立した。
幾度かの政変がありながらも統一を保ってきた秋津皇国であるが、357年に中央政府が崩壊、450年代〜470年断続的な政府が成立した後、475年に石動第二帝国http://tanstafl.sakura.ne.jp/modules/xpwiki/?%E7%9F%B3%E5%8B%95%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E5%B8%9D%E5%9B%BDに併合される。
しかし、まもなく石動政府に反発し480年に再独立するも周辺国である石動、幹国を敵に回した為に安定せず482年に崩壊した。
その後、長く中央政府が存在せず群雄割拠と幹国人、中夏人海賊による支配が続いた。
530年代より生じた石動南北動乱http://tanstafl.sakura.ne.jp/modules/xpwiki/?%E7%9F%B3%E5%8B%95%E5%8D%97%E5%8C%97%E5%8B%95%E4%B9%B1の影響は秋津にも及び、丘州に南朝方勢力の根拠地が置かれ、北朝支援の幹国との戦場となり幹国政府により丘州自治政府が成立した。
この頃、秋津列島からは独立していた佰愿神社領佰愿諸島http://tanstafl.sakura.ne.jp/modules/xpwiki/?%E4%BD%B0%E6%84%BF%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E9%A0%98%E4%BD%B0%E6%84%BF%E8%AB%B8%E5%B3%B6は本土と周辺国情勢を憂慮し、本土の有力者と共に南秋津諸藩連合http://tanstafl.sakura.ne.jp/modules/xpwiki/?%E5%8D%97%E7%A7%8B%E6%B4%A5%E8%AB%B8%E8%97%A9%E9%80%A3%E5%90%88を設立した。
しかし、大幹帝国の後裔たる大明帝国の消滅、石動第三帝国の消滅など東方世界全体の退潮と共に秋津列島も不安定化し、再び長い暗黒時代に突入した。
この混乱を鎮めたのが初代将軍細川経氏である。細川経氏は秋津各地の豪族を服属させ嘗ての石動第三帝国の足利政権を範とした幕府制を樹立した。
そして、6代将軍細川経隆は反抗的な豪族の反乱を制し、911年に満を持して開国に至ったのである。
皇王
皇王(こうおう)、訓読みで「すめらおおきみ」と読み、敬称は「皇王陛下」「主上」「聖上」などとお呼びする。
皇王は日本国皇室の直系に近い後裔と伝わり、石動皇帝とは遠縁とされる。
古い記紀資料によれば「天皇」と称した例もあり、(天神天皇)など表記に揺れがあったとされるが、次第に地球時代の皇室の「天皇」に遠慮し「皇王」の名称に落ち着いたとされる。
幕府・政治
石動第三帝国の足利幕府を模範としており、将軍の政治を管領が輔弼する体制となっている。
しかしながら、一般的な国家と比してかなり複雑な政治体制であることは疑いない。
武家の棟梁である「上将軍」は夷狄が存在しない現状で「征夷大将軍」という名称への違和感や「大将軍」より上位の存在としてアピールする為に考案された。
議決機関である評定衆(定員100名)は当初、任命制であったが、細川経隆将軍の英断により半数の50名が選挙制となり平民への参政権が与えられ部分的に民本主義(民主主義)が取り入れられた。
評定衆
評定衆は法律の制定、国家予算の議決、開戦・講和、条約締結を審議する他国の議会に相当する機関であるが、朝廷ではなく幕府に属する。
武家枠25名 公家枠15名 神職枠5名 仏教枠5名 平民枠50名(民選)
現在の秋津国では政治結社は認められていない。
非合法組織として地下活動をしている秋津共産党や国家社会主義秋津労働者党などが知られている。
上将軍
歴代上将軍
国土
秋津列島は本州と北山道、肆国、丘州、琉宮により構成されている。
宗教
天照宗
天照宗(てんしょうしゅう)は釈尊を天照大神の使いとする神道を主とした神仏習合を説く仏教の一派である。
長い戦乱の時代が続く秋津では宗教・宗派対立を無くしていく試行錯誤がなされるようになっていった。
その中、地球時代日本の戦国時代において、諸宗派・諸教団がそれぞれの神仏を戴いて共存することを理想とした天道思想が見直され諸教習合の機運が高まっていった。
神仏習合の天照宗はともすれば時に神社側からも仏教側からも攻撃を受けてきたが、諸教習合が説かれ始めると、その先駆けとして評価されるようになった。
秋津の大部分を統一した初代将軍、細川経氏は天照宗の教団を傘下に組み込み、天照院に政庁を置いた。
時の仁文皇王は天照宗教主を「大統理僧正」という神職と僧侶の頂点に任じ、事実上の国教に近い扱いを受けるようになった。