北海連邦は、8世紀に建国された、フリューゲルで最も高緯度にある国家である。首都はラティハヴ。現在の政府所在地はガトーヴィチ民主帝国オストラフ県。
目次
国家概要
国名 | 北海連邦 |
正式名称 | 北海連邦 |
首都 | ラティハヴ |
政府所在地 | オストラフ(ガトーヴィチ民主帝国) |
最高指導者 | 総督子 |
政治体制 | 議会制民主主義 |
通貨 | ホッカイ・マリュースク |
主な産業 | 観光業 |
概要
887年、朝まだき総督府官邸に大潮海軍将校とその部下が闖入し、那賀野総督及びファンゼッペン気象庁長官ら幹部を射殺、大北圈連帶聯邦の建国を宣言した。クーデター当時私邸にいた那賀野一家は、突然のクーデターにも動じぬヘルトジブリール社会主義共和国軍が一件の背後にある可能性を考慮し、自動国交樹立規程を採用していたガトーヴィチ民主帝国への亡命を決断した。
一方、ガトーヴィチ民主帝国政府は、依然帝国内の測量に当たっていた北海連邦気象庁職員を含む在瓦北人を保護すると共に、カリクリャータルスカヤ首相が「北海連邦政府を探す」と宣言したように、大北圈連帶聯邦の国家承認を見送っていた。那賀野総督一家がガトーヴィチを亡命先に選んだ事は不幸中の幸いであった。
イヴァングラート市内のチェリョームシキ空港に到着した那賀野一家は、ガトーヴィチへの亡命を申請し、直ちに受理された。総督の息子は、卑劣な海軍将校の凶刃にかかりし総督の跡を継ぐべく、自らを総督子(そうとくし)と名乗り、北海連邦気象庁職員らと協力してガトーヴィチ最北の島オストラフに北海連邦亡命政府を樹立した。
組織
総督府 | 外務省 | |
国務省 | ||
研究省 | 地理庁 | |
環境庁 | ||
気象庁 | ||
国防軍 | ||
北海議会 | (改新の会より70名、社会革命党より4名、民主党より2名) |
国交を有する国
- ガトーヴィチ民主帝国
- 昭栄国(自動国交樹立)
- サンシャ独立国
- ベロガトーヴィチ大公国
- スルガ
- ロシジュア平和連邦
- その他、クーデター発生前に国交のあった世界各国。