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ヴォルネスク独立戦争

写真:ガトーヴィチ帝国の巡洋艦から発射されるミサイル
開戦 720年6月10日(25936期)
停戦 721年5月15日(25970期)
終戦 757年2月25日
結果 ヴォルネスク・スラヴ共和国の独立
無賠償
交戦勢力
ガトーヴィチ帝国ノイエクルス連邦
ヴォルネスク・スラヴ共和国(ノイエクルス自由国)
ヴェールヌイ社会主義共和国(南瓜共和国)
ヘルトジブリール社会主義共和国
呼称
ガトーヴィチ帝国ヴォルネスク解放戦争
ヴォルネスク・スラヴ共和国
ノイエクルス連邦ヴォルネスク分離戦争
ヴェールヌイ社会主義共和国ヴォルネスク独立戦争
ヘルトジブリール社会主義共和国

開戦まで

ノイエクルス連邦のヴォルネスク特別行政区では、高度な自治権が付与されたにも関わらず自治政府の怠慢によりインフラ整備が遅れ、ヴォルネスク市民が生活に困窮していた。
スラヴ連合は719年9月、ヴォルネスク特別行政区に調査団を密入国させ、調査結果を公表するとともに、ノイエクルス連邦に対してヴォルネスク特別行政区の独立を要求した。ノ連は、この要求を内政干渉だとして受諾を拒否、調査に参加したガトーヴィチ人専門家らの不法入国を咎めて、専門家らの即時引き渡しを求めた。ガトーヴィチは不法入国を認めず、ノ連はガトーヴィチによる内政干渉を非難し、同国との国交を断絶した。
一方ヴォルネスク特別行政区では、スラヴ連合の調査結果公表に触発されて突発的に反乱軍が発生し、ノイエクルス連邦が鎮圧のため砲撃を開始した。
事態の急展開を受け、ガトーヴィチ帝国は720年6月10日(25936期)、ヴォルネスク特別行政区に高度な自治権を与えることなどを停戦条件として(のち、ヴォルネスク・スラヴ共和国の独立承認に変更)、ノイエクルス連邦に宣戦布告した。ノ連はヴォルネスク特別行政区において既に高度な自治が実現している事を認識していないと指摘したが、ガトーヴィチからは明確な回答を得られなかった。
ガトーヴィチ帝国の宣戦布告に勢いづいたヴォルネスク全面独立運動同盟は、720年7月(25940期)までにヴォルネスク全土を掌握し、ノイエクルス連邦に反旗を翻した。同じターン、ヴェールヌイ社会主義共和国は、戦争の早期終結を図るために対ノ連参戦し、ヘルトジブリール社会主義共和国も、サンサルバシオン条約に基づいて対ノ連宣戦布告をした。(ただし、ヴェールヌイが攻撃されるまで静観)

経過

ガトーヴィチ帝国、ヴェールヌイ社会主義共和国、ヴォルネスク・スラヴ共和国は、厭戦感情をもたらして戦争を早期に終結させるため、主にノイエクルス連邦の都市部に向けて陸地破壊弾を発射した。この方針に関しては第三国から懸念や批判の声が聞かれた。(後述)一方ノイエクルス連邦は、継戦能力を破壊するためにミサイル基地、防衛施設、鉱山を重点的に砲撃した。目標国は前期・中期がヴォルネスク地域、後期がヴェールヌイであった。ガトーヴィチへの砲撃は一回のみであった。
また、ヴェールヌイ社会主義共和国への砲撃を確認したヘルトジブリール社会主義共和国は、ノイエクルス連邦の防衛衛星、軍事衛星を崩壊させた後、人工衛星の打ち上げに必要なロケット台を衛星レーザー砲で破壊した。721年5月(25969期)、衛星レーザー砲によってノ連のウラン鉱山が山ごと崩壊・消滅したことは特筆に値する。

停戦

721年5月8日(25969期)、全参戦国は以下の条件で5月15日(25970期)以降の停戦に合意した。

  1. ヴォルネスク特別行政区の領域において独立したヴォルネスク人による政府を建設する。
  2. 正式政府樹立のため、ヴォルネスクにおいて自由選挙を実施する。
  3. 自由選挙に際しては各国の合意に基づき国際選挙監視団を編成する。
  4. ミハイル州への治安維持活動に際し、軍事行動の決定を下した人物は臨時行政府及び正式政府から排除される。
  5. 第4項に該当する人物を除き、ヴォルネスク特別行政区公職者の臨時行政府及び正式政府への参加は阻害されない。
  6. 正式な政府が発足するまでの間、ヴォルネスクにおける行政はヴォルネスク・スラヴ共和国臨時行政府に委ねられる。
  7. ノイエクルス連邦は正式政府が発足し憲法が制定され次第、ヴォルネスクの独立を認める。
    合意後、ノイエクルス連邦は、速やかにヴォルネスク特別行政区を解散し、民間人・ノイエクルス軍を撤退させた。

終戦

744年2月18日、ストリーダ王国の仲介で同国ルンドストレーム県においてヴォルネスク独立戦争講和会議が開催され、全参戦国がルンドストレーム講和条約に署名した。
757年2月25日に、全参戦国の批准が完了し、ヴォルネスク独立戦争は終結した。