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イスタシア自治領

国名イスタシア自治領
正式名称
国旗イスタシア王国国旗※王国時代の国旗を暫定的に使用している
国歌
政治体制暫定自治政府によるゆるやかな統治
国家元首自治政府代表
公用語イスタシア語(地球時代の標準ドイツ語に準ずる言語)、英語
通貨ミンツ(Minz)

概要

 イスタシア自治領は、かつてノイエクルス連邦の間接的な統治下にあったとされている地域。現在は自治政府による暫定統治が続いている。イスタシア諸島に漂着した地球からのゲルマン系漂流民を母体とし発展したイスタシア王国の敗戦・滅亡後、数世紀をかけて徐々に復興が進んでおり、現在はフリューゲル中から反共主義者が新天地を求めて流入し続けている。

政治体制

現在は未だ主権国家としての完全な統治機構を有しておらず、自治政府代表の指揮の下、各政党がゆるやかに連合して運営されている。

政治政党

  • イスタシア社会自由党(Sozialliberale Partei Istasialands)
    現在の暫定自治政府の中で大きな勢力を有している中道~中道左派政党。
  • 帝国党(Istasias Reichspartei)
    旧ラングラード=カルス帝国の皇帝家の末裔を支持し、帝政復活を目論む右派政党。
    社会自由党や、旧イスタシア王家を支持する王党派とはやや対立関係にある。

歴史

※現在執筆途中です

旧セニオリス共和国時代の前史

  • 移民船団の到着と王国の成立
     環境汚染と資源の枯渇が進んだ21世紀の地球からの移民を乗せた船団セニオリスは、500年頃に惑星フリューゲルのとある島に着陸した。着陸地点(現在のハルクステン特別市郊外)を中心に船団名を冠したセニオリス王国が建国され、豊かな森林資源を元に発展を遂げた。この頃の王国では目立った政変や巨大災害もなく、人々は平和に暮らしていたとされている。
  • ラングラード連邦共和国の滅亡と難民の漂着
     620年、南方のラングラード連邦共和国が、相次ぐ巨大地震や隕石の衝突によって滅亡した。これにより、多数の難民が北方に存在するセニオリス王国に流れ着いた。セニオリス王国は平和的にこれを受け入れ、新たにランガル人、カルス人が王国の一員となった(ラングラード連邦共和国については、下の年表あるいはこのページを参照)。難民には優れた技術者・学者が多数含まれており、王国では長年の間に失われていた地球時代の科学技術や社会制度を彼らが伝え、王国は経済成長の時代を迎えることになる。
  • 貧富の格差の増大と怪獣の襲来
    難民の受け入れ以後経済発展が進んでいた王国であるが、一方で資本主義の浸透や機械化の進展により、以前よりも貧富の格差が増大するようになる。問題はすぐには顕在化しなかったものの、貧困層の不満は年月と共に次第に高まっていった。そんな中、683年2月、突如として怪獣「いのら」3体がセニオリス本島南東部に上陸、王国の穀倉地帯を踏み荒らしていった。王国は他国との接点を持っていない関係で、十分な軍事力は有しておらず、多大な犠牲を出しながらなんとか1体を倒したものの、残りの2体にはなす術が無かった。結局、約1か月後には怪獣は王国を離れていったが、特に農村部での被害は甚大で、中央の政府がただでさえ不足していた食料を徴発したこともあり、ついに一部の村で飢餓が発生し始めた。これを機に、民衆の不満が一気に爆発した。
  • 内乱(セニオリス民主化革命)と共和国の建設
    王国での最初の反乱は683年12月14日、南部の小都市で発生した。王政の転覆を目論む地方領主や、民衆に同情した中産階級らによって反乱は瞬く間に全国に広がり、内乱状態となった。しかし、すぐには王制廃止には至らず、王国側と反乱軍に国土が2分され、長期間にわたり膠着状態が続いた。反乱軍は688年9月7日臨時政府を樹立、紆余曲折を経て691年11月21日、臨時政府側が王都ハルクステンに入城し内戦は終結した。その後臨時政府の主導で内戦からの復興を遂げ、721年12月14日、革命38周年を記念し、正式にセニオリス共和国が建国された。
  • 鉱山開発と経済成長
    建国後、共和国はヴァノミス連邦の援助を受け、ウラン鉱山開発を行った。開発は無事成功し、レゴリス帝国など先進国への燃料定期輸出によって、共和国は安定した財源を得た。その財源を基に、首都圏の住宅開発やインフラ整備、社会保障制度の拡充を行い、共和国の経済はこれまでにない発展を見せることとなった。
  • 国内経済の安定と社会民主党の台頭
    これまでにない経済成長と、社会民主党主導の充実した社会保障制度により、共和国は一人当たりの所得や幸福度の水準が先進諸国並みに達し、豊富な地下資源も功を奏して国内経済は非常に安定した。その結果、社会民主党は共和党と並び国民の支持を大きく集め、その議席数を大幅に増やした。それに伴い、民主化当初ほぼ4分の3を占めていた共和党は749年現在6割ほどに減少したが、堅実な保守政党としての地位は揺るぎないものであり、社会民主党との二大政党制の道が開かれる結果となった。
  • エルドラード遷都を行い、世界最大の都市圏形成へ
  • 世界共産化への危機とEDTOの結成
  • 813年戦争
    旧セニオリス政府の公式見解によれば、ヴェニス株の保有率をうち多くを社会主義国家が占めていた状況下において、ヴェニス社における軍事産業の拡大が社会主義・共産主義のフリューゲル的拡散につながることを懸念し、規模が拡大する前に対処する必要が生じたためと説明されている。
    しかしながら、後年に流出した機密資料によれば、当時の国防相がヴェニス側と内通しており、対赤軍テロに向けた兵器開発の一環として、一種のデモンストレーション及び演習目的で「戦争」を起こしたというのが事の顛末であった。皮肉にもこの目的はヴェニス側においては達成されたといえよう。
    具体的な戦争の経過はこちらの記事を参照。この戦争によりセニオリス共和国を含むEDTO加盟国は敗北し、ディースブルク条約により軍備制限が課されたものの、苛烈な制裁はされなかった。
  • FENA加盟を目指すも頓挫しクラリス連邦へ
    813年戦争後、共和国は国際的地位の回復に努め、FENAへの加盟を視野に進めていた。同時期、共和国は南西の埋め立て地を国際的ないのら実験場として開放し、データの収集に励んでいた。
    そんな中、普蘭・中夏民国による当該実験場へのレーザー照射を旧セニオリス政府が容認したことから、主権統治能力への国際的な疑念へと発展していった。セニオリス政府は疑念の払拭を模索した結果レゴリス帝国との合併を決定。
    順調に進むかと思えたが、共産主義者の正当な取り締まり(当時共産党および共産主義活動は非合法化されていた)を理由に社会主義国の妨害を受け危機的状況に陥る。事態を憂いたラングラード王党派がクーデターを起こしたことで、大国の軍事介入を経て旧セニオリス政府は解体されクラリス連邦が成立した。クラリス連邦はその後、構成各国の情勢不安定化や、相次ぐ天災の影響を受け多くの国民が世界中に散らばった。

イスタシア王国の成立とルッコラ主義の繁栄

イスタシア王国はフリューゲル歴31360期871年2月9日に成立。ルッコラの国土全体への繁茂と同時に、他国との交流を絶つ独自路線に突き進んでいった。当時開発されていた、船団イスタシアに搭載されていた人工知能プログラムを流用した「IRX」は、産業により生み出される富と人々の需要の量を正確に予測し、それに応じて国全体の産業育成計画を立案するという非常に画期的なもので、これによりフリューゲルで最も人・資源・資本を効率よく活用する完全な自給自足経済が実現しかけていた。

相次ぐ他国からの干渉、そしてノイエクルス自由国による宣戦布告

ルッコラの繁茂はこの頃には留まるところを知らず、外交能力が著しく低下したことにより、他国から相次ぐ干渉を受けることになる。
中でもイスタシア王国の破滅へとつながったノイエクルス自由国からの宣戦布告(31665期)は、そのまま攻撃と混乱による国土の大規模な崩壊を招き、王国政府自体が機能不全に陥り自然消滅した。
その後、ノイエクルス自由国自体も国土の荒廃が進み、現在ではイスタシア"敗戦"後の統治権を有しているかは現時点で不明となっている。

現セニオリス連邦地域の成立との関係

現セニオリス連邦地域には、旧セニオリス共和国~クラリス連邦時代の国民である旧セニオリス人および旧ラングラード=カルス帝国からの民族であるランガル人・カルス人(総称して現セニオリス連邦ではハルクステン人と呼称)のうち、社会主義化を受け入れた人民が現在も一大勢力として残り続けている。しかしながら、社会主義アレルギーと君主制への憧憬(主に旧ラングラード=カルス帝国民)を捨てきれない人々も多く、次々と"赤の楽園"と化したかの地を離れ、諸勢力の緩衝地帯となっていたイスタシア地域や、隣接する旧ラングラード=カルス帝国領域へと移住した。

地理

イスタシア地域は、大きく2つの島から構成されており、首都ミンツェン(Minzen)が存在するアンスフルト島が本島の扱いとなっている。
南部の島々にはかつてラングラード=カルス帝国の一領域だったヴェストリュッセル島も含まれている。
国土の大半は比較的温暖で、本島及び周辺諸島はCfa気候に属する(年降水量は700mm程度)。南部の一部地域は夏に気温が高く乾燥するCsa気候が分布しており、オリーブなど特色ある作物が栽培されている。

民族

イスタシア人

「イスタシア人」という呼称は、現在では一般にイスタシア地域に住む諸民族全体を指す。そのため、「イスタシア人」という民族は現在公式には存在しないこととなっている。

ランガル人

かつてイスタシア王国民であった旧イスタシア人と民族的にほぼ同一であるため、王国崩壊時に同化し、ランガル人として一体化した。現在では表面上、各個人がどちらをルーツとするか判別することは簡単ではないが、大まかな傾向として、元イスタシア王国民は低地ドイツ語由来の方言を、元ラングラード帝国民は高地ドイツ語由来の方言を用いることが多いとされている。

カルス人

地球時代の西スラヴ系民族を出自とし、かつてラングラード=カルス帝国を構成する民族の一つだった。
現在はかつての故郷ともいえるヴェストリュッセル島に多くの人々が暮らしている。

ハルクスタニア人

地球時代の北欧を出自とし、北ゲルマン語群に属するハルクスタニア語を母語とする。
現セニオリス連邦では一般に「ハルクステン人」と呼称されている。

オニキス人

地球時代の白人系アメリカ人の移民船団を出自とし、10世紀以降イスタシア地域に漂着した人々。日常語には英語を用いている。