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民族自治軍管区ハルィチナー

 

国名 民族自治軍管区ハルィチナー
正式名称 民族自治軍管区ハルィチナー
ロムィナ語:REGIUNEA MILITARĂ AUTONOMĂ NAȚIONALĂ HALICINA
ロムィナ語転写:レジューニャ・ミリタール・アウトノム・ナツョナール・ハルィチナー
英語:Ethnic Autonomy Military District of Galicia/Halychyna
国旗
建国 フ暦919年/回復暦1年3月下旬
標語 ハルィチナー未だ消えずHALICINA NU A MURIT ÎNCǍ.
首都 リオヴ・オルトドクスLIOV ORTODOX
最大都市 リオヴ・オルトドクスLIOV ORTODOX
最高指導者 人民代表REPREZENTANT AL POPORULUI/兵士評議会SFATURILE SOLDAȚILOR
政治体制 評議会共和制
公用語 ロムィナ語
通貨 レイLEI
主な産業 商業、客船運航業、鉱業、林業、農業

 

歴史

「危機」より数十年後、フ歴919年/回復暦1年に廃墟から復活し地域一帯の秩序を回復したこの軍管区は、史料の散逸から「危機」以前の歴史が今もなお不明瞭なままである。「危機」による破壊が比較的少なかった幸運な農村での発見によって、ジェチJECIと呼ばれる巨大な国家のいち軍管区であった事だけが判明している。

「危機」によってジェチ政府が崩壊し、各地で獣同然の生存競争の無政府時代、そして僭称者による小規模な地方政権が乱立した僭称者時代に至って混沌を極める中、ジェチ南方の小都市スチャワに駐屯していたロムィナ系の国軍部隊は「危機」の直後から、周辺の小都市と農村の住民と協力しながら軍隊を基盤とする共同体を形成し、軍隊仕込みの規律と秩序を維持していた。この部隊に所属していた数人の若い兵士たちが、軍政下にある駐屯地周辺の狭い地域の内部のみで秩序を享受する事に満足せず、このシステムを組織の外にまで拡張する事で擬似国家を打ち立てよう、と結成したのが兵士評議会の始まりである。軍管区REGIUNEA MILITARĂとはかつてジェチの国軍が各地の方面軍の管轄範囲を定めただけの線でしかなく、民族境界や地方自治体の境をまったく無視した線引きであったのだが、初期の兵士評議会は山脈と河川によって構成され防衛に適していた、この軍管区の境界線に着目した。評議会はこの軍管区「ハルィチナー」の範囲内のみの秩序回復に集中し、各地に乱立していた玉石混交の地方政権に対しても、軍管区の内部であれば存在を許容せず断固打倒し、外側であれば暴君が支配する酷い地方政権であろうとも承認ないし黙認し明け渡してしまう、という二重基準で臨んだ。軍管区の内側で長年断続的に戦いが続き、外側の地方政権から侵攻を受けた事もあったが、それでも軍隊式の規律を維持出来ていた事、無政府時代に苦労し強力なリーダーシップを求めていた人民の強い支持があった事から、兵士評議会は半世紀近くの秩序回復戦争に勝利し、軍管区「ハルィチナー」の秩序を再確立したのである。

その後、評議会は回復暦4年/フ暦922年に現在も続く民族政策を施行、回復暦12年/フ暦930年9月には治安維持公安政府を組織し、軍政を引き継いだ事による弱点である先軍政治と、政府としての未熟さの双方を克服している。

民族と言語

人民はロムィナ系とその兄弟民族NATIUNI FRĂȚIEIであるポルスキ系・ルスキ系から成る。人口比はロムィナ系が約三割、ポルスキ系が約二割、ルスキ系が約五割であるが、民族自治に影響を及ぼさぬよう、詳細な統計は行われていない。

ロムィナ系/ロムィナ語ROMÂNĂ

ジェチ時代よりも更に遥か遡った地球時代の、第一古代期の巨大帝国にまでそのルーツを辿る事が出来る民族。兵士評議会はロムィナ系の兵士達が結成した組織であり、秩序回復戦争時にはロムィナ系人民に総動員を発した一方で、様々な理由から多民族の徴兵を実施せず、評議会軍はロムィナ系兵士のみで戦い抜いた。結果として女子供から老人まで、ロムィナ系人民の半数以上が戦場に立ち、実に民族総人口の二割近くが死傷する事となった。流した血の代償に軍管区の再成立の立役者となり、現在も評議会で国防と統治を担う指導的役割を果たしている。ポルスキ系がブルジョワジーから貧民に至るまで都市住民となっているのに対し、上流階級以外のロムィナ系人民は農村の小規模自作農として暮らす者が多い。軍管区の公文や教育に用いられる言語はロムィナ語が第一であるが、兄弟民族の言語への翻訳も充実している。

ポルスキ系/ポルスキ語Polski

「危機」以前のジェチを支配していたと称される民族。僭称者時代も、ポルスキ系がロムィナ・ルスキ両民族を支配する形の地方政権が各地に樹立されており、秩序回復戦争はロムィナ系兵士による兵士評議会が、軍管区の内部に乱立するポルスキ系の地方政権を倒していく形で行われた。民族的な敗戦の後は兄弟民族となり、指導民族のロムィナ系を支えるような状態になっているが、民族意識と反抗心は今も決して弱くはない。多くが都市に居住し、官吏や学者といった知識人、芸術家等が多い。

ルスキ系/ルスキ語Ruski

人口で言えば最大多数を占める民族。秩序回復戦争期には、ルスキ系人民の兵士徴募が考えられた事もあったが、評議会はロムィナ系の兵士のみで戦い抜く事に拘り、ルスキ系は後方での戦時経済の維持による戦争協力に徹した。ポルスキ系と対照的に無政府時代から都市化が遅れた農村に居住しており、世間ではルスキ系人民は田舎の純朴な人々、ルスキ語は素朴な俚言と見做されている。遺伝子解析の結果、血統的にはロムィナ系に近いと判明しているが、言語・文化はポルスキ系に似通っている。特にルスキ語とポルスキ語の差異は小さく、ポルスキ系の一部の民族主義者は「ルスキ語はポルスキ語の方言であり、文化も派生に過ぎない」として同一民族であると主張しているが、評議会人文科学部門及び、主要な学会はこれを民族同化論として退けている。ルスキ系人民の側も親ポルスキではなく、自立した民族であると認定し民族自治の諸権利を与えている、評議会のロムィナ系に対する感謝の念の方が大きい。政治・経済分野では目立った活躍が無い一方で、軍管区で広く信仰されているスラヴ信仰の祭祀官の多くをルスキ系が占めており、宗教面での貢献が非常に大きい。

用語

ジェチJECI

かつて周辺地域を統治していた巨大な国家。どのような国家であったのか、資料の散逸によって詳細は判明していない。一般的にはポルスキ系が多民族を支配する共和制の国家であったと伝えられるが、ポルスキ系民族が「危機」以降に遺した史料が示すものであり、この史料中の「自由民主主義の下で、諸民族・諸階級の調和と繁栄が保たれた、極めて理想的な国家であった」との史観は学校教育からは排除されている。ジェチとはロムィナ語での呼称であり、その語源は一説にはポルスキ語で共和国を意味するジェチポスポリタŘečpospolitaに由来するとも言われ、ポルスキ系人民だけでなくルスキ系、そしてロムィナ系人民も非インテリ階層を中心に信じている者が多い。しかし史料の裏付けに乏しい事から、評議会教育部門・人文科学部門共にこれを認めていない。

危機CRIZǍ

回復暦1年/フ暦919年よりおよそ80-100年前、何らかの大規模な災厄によって巨大国家ジェチが崩壊した事件。対外的な全面核戦争とも、あるいは国家破産に端を発する内戦の帰結とも言われるが、史料の散逸によって現在もなお、その詳細は明らかになっていない。

無政府時代PERIOADA ANARHIEI

僭称者時代PERIOADA PRETENDENTULUI

秩序回復戦争RǍZBOI RESTABILIT

第二共和国DOUA REPUBLICǍ/Druga Řečpospolita

秩序回復戦争の中期、評議会と敵対する多数の地方政権群が反・評議会で一致し、合同で建国を宣言した偽国家。かつてのジェチを第一共和政と扱い、自らをその後継たるジェチ第二共和政と位置付けていた。クラコウィア、及び軍管区の外縁以北に位置するポルスキ系地域の都市であるルブリンLUBLINを根拠地とし、建国宣言直後には殆ど戦う事無く軍管区の北西過半をその支配下に収め、評議会をこのまま呑み込んでしまうのではないかと目されたが、優勢が見えた事によって綻びが生じ始めた。玉石混交の地方政権群が一時的に結集したものに過ぎなかったため、勝ちが見えて来ると早くも自らの戦後の利益誘導に走り、中には離脱するものや軍事行動をボイコットするものまで現れた。更に軍質も均一化されておらず、中には軍隊としての組織化が為されていない、野盗か馬賊がそのまま戦っているに等しい部隊も含んでいた。最初で最後の決戦となったプシェミシルPȘEMYȘLの戦いにおいてこの弱点を突かれ、評議会軍が敵前線の馬賊部隊が守る弱体な部分を中央突破し、5万以上の敵集団の包囲殲滅に成功している。この大敗を機に総崩れとなり、「第二共和国」は結成から僅か11ヶ月で崩壊した。この崩壊をもって秩序回復戦争は中期から後期に移行し、各地方政権は各個に評議会に降伏するか、または打倒される事となる。
しかし、戦後もポルスキ系住民の暴力的民族主義者を中心にこの偽国家を信奉する者は後を絶たず、彼らは「第二共和国」を名乗って評議会転覆運動や様々なテロ行為を続けている。

57年隕石衝突IMPACT 57

回復暦57年/フ暦975年1月下旬に軍管区の北西部に落着した巨大隕石と、それによって引き起こされた一連の災害の総称。隕石は旧首都リオヴに隣接する都市に直撃し、発生した衝撃波によってリオヴ中心地区は消滅、当時の人民代表及び評議会高位メンバーを含め、リオヴ住民の九割以上が死亡すらも確認出来ない消息不明となった。統治の消滅による軍管区の崩壊を防ぐべく、落着の数時間後には南方の都市にて兵士評議会臨時委員会が立ち、人命救助に奔走しつつ、リオヴの地に首都を再建する計画を始め、被災から僅か4週間で新首都リオヴ・ノウの第一次暫定整備が宣言されている。その後、7月に再建兵士評議会が正式に発足し、臨時委員会は解散している。

ロケット軍ARMATA RACHETE

48年/966年7月に陸軍砲兵科弾道ロケット軍から商用ロケット分科会が分離。56年/974年3月、「必要最小限の自衛能力」として50発のミサイル発射能力の取得を目指すと公表。57年隕石衝突を受けて、同年7月に発足した再建兵士評議会の新人民代表は「15年以内に隕石迎撃衛星を打ち上げる」と宣言し、長らく燻っていた商用ロケット分科会に再び膨大な予算が投じられ、僅か7年後の64年/982年7月に、観測衛星「人民の結束UNITATEA POPULAȚIEI」、同年9月に技術的に困難とされていた隕石迎撃衛星「リオヴ人民POPORULUI LIOV」の打ち上げを一度の挑戦で成功させた。この年の12月には軍事・商用両方の成果を評価し、陸軍砲兵科の傘下である弾道ロケット軍から、三軍と並ぶ独立軍であるロケット軍へと改組されている。108年/1026年5月には、レーザー兵器を搭載した攻撃衛星「秩序ORDIN」1号の打ち上げに失敗するものの、直後の2号の軌道上への投入に成功。かくして軍管区は衛星レーザーを保有し、軍事大国の侵攻に対する強力な抑止力を手にした。

管区革命REVOLUȚIE REGIONALĂ

回復暦70年代/フ暦990年代に兵士評議会に提出・可決され、82年/1000年より本格始動した、軍管区の国土を一新する開発計画。

地理

自治区

halychyna

黄土色:ルスキ=ロムィナ自治区
金色:ロムィナ自治区/ブコウィナBUCOVINA地方
赤色:ポルスキ自治区/ポルニャ・ミクPOLNIA MICǍ地方
朱色:ルスキ=ポルスキ自治区
青色:東西ルスキ自治区

各自治区ごとに、行政・教育サービスにおける各言語の優先権が認められている。なお、ロムィナ語のみ非ロムィナ自治区においても排斥されず、初等教育で第二言語科目として授業が行われる他、行政・裁判は常にロムィナ語に翻訳された文書で記録される事が求められる。

主要都市

 

リオヴLIOV 回復暦1-57年/フ暦919-975年にかけて存在していた旧首都。ルスキ系の人々が暮らす農村地帯の中に位置するがロムィナ系・ポルスキ系が多い大都市であった。
リオヴ・ノウLIOV NOU 「新しいリオヴ」を意味する新首都。57年隕石衝突によって消滅した旧リオヴの跡地に開発された。
リオヴ・オルトドクスLIOV ORTODOX 「正統なるリオヴ」を意味する新首都。管区革命の目玉政策として、軍管区内の西部に位置していたリオヴ・ノウを「正統なる位置」である東部に移すために遷都が決定された。83年/フ暦1001年2月中旬に、リオヴ・ノウから首都移転がなされた。
クラコウィアCRACOVIA 軍管区の西部、ポルスキ自治区最大の都市であり、軍管区でも第二の都市。かつてのジェチでも国内第二の都市であったと言い伝えられており、ポルスキ系の住民が多く、都市文化もポルスキ系のそれである。
スチャワSUCEAVA 南部ロムィナ自治区の中心。ブコウィナの古名で知られる一帯はジェチ時代よりロムィナ系が多く、この都市と周辺の農村から徴兵されたロムィナ系の国軍部隊が駐屯しており、その隊の有志が組織したのが兵士評議会の始まりである。
フストHUST 西ルスキ自治区の小都市。ルスキ自治区の中では比較的大きな都市であり、農村暮らしの多いルスキ系にしては珍しく、この都市には固まって居住している。
チェルナウツィCERNĂUȚI ロムィナ自治区の小都市。ロムィナ系の人々が南方から渡来して最初に開拓したと言われる、ロムィナ系の人民にとっての大きな歴史的意義のある町である。

メディア

兵士評議会

兵士評議会は「全てのロムィナ系企業は評議会によって管理運営される、非ロムィナ系企業は民間自立に任せる」という特殊な二重基準を打ち出しており、メディアもその例外ではない。無政府時代より存在していたロムィナ語メディアは回復暦4年/フ暦922年よりその全てが兵士評議会報道部へと統合されている。

リヴィウ・ポシタĽviv Pošta

ルスキ語・ポルスキ語の二言語同時発行を行っている巨大日刊紙。ポルスキ語ではルヴフ・ポチタLvôv Počta。かつて存在していたロムィナ語メディア群は例外なく兵士評議会の下部組織へと改組されたため、軍管区内最大の非ロムィナ語メディアであった本誌は結果的に国内で最も力のある民間系報道機関となっている。権力の監視装置を自認し、評議会に懐疑的・批判的な記事を載せる事もあるが、元々は無政府時代の大衆タブロイド紙が数奇な運命から大手メディアになってしまった存在であり、現在も政治記事よりもゴシップやスポーツの報道が多い。「保身のあまり評議会に近付きすぎ、擦り寄るような提灯記事も載せている」と急進派反体制運動からの批判を受ける事もある。

国際関係

特筆すべき国家群

国名 備考
ネオ下北沢帝国 軍管区成立直後に外交関係を樹立、再開発の初期に頻繁な交易が実施された。建材を中心とする資源輸出による最初期の経済発展の中で、最も多大な恩義がある国と言える。46年/フ暦964年12月にフリューゲルを脱出し、宇宙へと旅立っていった。旅立ちの際には兵士評議会のメンバー、そして人民代表も別れを惜しんだという。
ロシジュア帝聖平和ドミニウム 再開発の初期に国交を樹立。軍管区史上初の定期輸入が当国からの商品輸入であり、富国強兵には欠かせない資金の重要な調達先となった。
神聖ガトーヴィチ帝国 国交樹立後に砲弾に関連する戦略資源の貿易が何度か行われた後、35年/フ暦953年9月25日、軍管区初の成文の国際条約である「ガトーヴィチ-ハルィチナー修好条約」が、軍管区内の都市チェルナウツィにて結ばれている。
ピシア共和国 現存する中では軍管区成立の次に建国された国家。軍管区側から国交樹立を打診、樹立後は積極的に貿易の提案を行い、鉄鋼と木材の輸入の面で重要なパートナーとなっている。
普蘭合衆国 長らく静謐を保っていた超大国。国家活動が再始動した直後に、ひこにゃんによって合衆国から膨大な資源が軍管区を含む諸国に流出する事件が発生。この騒動で流出した砲弾の返還交渉を機に、奇妙な縁から国交が結ばれた。
カルセドニー社会主義共和国 列強の一角にして、軍管区の安全保障上の最大のパートナー。49年/フ暦967年12月にスチャワ条約が結ばれ、ウラン輸出の対価として防衛同盟が結ばれた。
ブバスティ首長国 62年/フ暦980年、価格200兆Va/返済義務180兆Vaで発行した大規模国債の取引にブバスティが応じ、これによって軍管区は資金滞留の困難を脱した。なお、厳格な猫崇拝を敷いている国であり、普蘭合衆国に続いてまたも猫に縁がある国との国交である。82年/1000年11月、ルッコラの繁茂によって連絡が絶える。

その他国交を有する国

国名 備考
リブル民主主義人民共和国  
ヘルトジブリール社会主義共和国  
大石動帝国  
アルバス共和国連邦 放棄済
王冠連合 クラカス聖ラディスラウス王冠領、ショッテン・ローテン王冠領、オーヴァリア大公領による共通政府。放棄済
ナルガ自治政府/ラ・フローリド共和国
セリティヌム共和政  
アーネトイ=ロックバーン社会主義共和国 略称は「姐=陸社会主義共和国」。放棄済
和礼共和国 放棄済
ヴェニス・コンプレックス
新洲府共和国
ベロガトーヴィチ大公国
自由惑星同盟
新秋自由共和国

対外債務貸借

フォーラムを参照