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北端自由連合(亡命政府)

国家概要

北端自由連合は、887年に成立した北海連邦の亡命政府の一つである。
しかし、樹立宣言を実施したサンシャ独立国政府を含めて国際社会から亡命政府としての承認を受けていない。

国名 北端自由連合
英名Northern Freedom Coalition (NFC)
国の標語自由・平等・前進
首都ラティハヴ(名目上)

サンシャ独立国オカ・マナ酋長領パラ・モニカ郡
マイナーズ牧場内敷地(事実上)
最高指導者 那賀野提督(名目上)
政府首班コーリー・マイナー大統領?
政治体制大統領制/議会制民主主義

歴史

 フリューゲル最北端にある北海連邦とは、サンシャ独立国との間で国交は設けられていない。

  大北圈連帶聯邦 は、887年に発生した北海連邦で発生したクーデターによって成立した。ガトーヴィチ民主帝国へ 那賀野提督の子は亡命したのに対し、北海連邦亡命政府の樹立を宣言した。 前者は、北海連邦の後ろ盾であるヘルトジブリール社会主義共和国が後継政府として承認し、後者はガトーヴィチ民主帝国が承認するという事態に至った。サンシャ独立国政府は、軍部クーデターによる成立を良しとせず亡命政府を承認した。こうした国際的な対立に自国政府が飛び込んだことについて、サンシャ独立国国内の報道機関はトップニュースとしてこれを扱った。このニュースに付随する形で、北海連邦における軍部クーデターは不明確な情報の中でスキャンダラスに報道番組で扱われていた。

 コーリー・マイナー氏は保守系報道ケーブルテレビチャンネル「NTS(ナショナル・テレビジョン・サービス社)」の熱心な視聴者だった。同局おいては北海連邦の軍部クーデターは「民主主義の破壊」であり、ヘルトジブリール社会主義共和国が同軍部の背後にあると主張し「社会主義者の侵略は続いている」と訴えた。パブで同番組を視聴していた同氏とその友人は「北海連邦の民主主義を防衛し、勝共しなくてはならない」(国務部および報道機関に送られてきたファクシミリより原文ママ)と考えたものとみられる。

 同氏は、自己の保有する牧場の納屋の一つを北海連邦亡命政府の「行政庁舎」として利用するため、この施設にインターネット回線や電話回線・電線を引き込んだ。889年3月17日正午に国務部およびサンシャ公共ラジオ、サンシャ・ヘラルドに亡命政府樹立宣言をファクシミリで送付した。同日15時には、パラ・モニカ郡庁舎とオカ・マナ酋長領院にも同様の内容を送付した。
 なお、同団体がファクシミリを送信した国務部の電話番号はパスポート申請書類を各地の申請センターから受け付けるためのものであった。

反応

国内における反応

 このファックスを受信したサンシャ公共ラジオは、オカ・マナ酋長領地域放送で「亡命政府樹立宣言」を「興味深いニュース:パラ・モニカで『北海』亡命政府樹立か?」とした題名で2分48秒間「地域の娯楽とイベント」の番組枠で扱った。アナウンサーはこの樹立宣言において「酒税撤廃(サンシャ独立国は酒税が高く、一律80%とされている)とビールの配給制実施」としていたことに着目し、「実に理想的な政策」として称賛した。のちにこのアナウンサーは、この発言について「国際関係の配慮が不足していた」として陳謝した。

 パラ・モニカ郡保安官事務所は、このファクシミリの受信後ただちに出動し、事態の把握に動いたもののそこにあったのは「樹立記念パーティー」と称し、ビールを飲み続ける数人の集団があるだけだった。同保安官事務所はただのいたずらだと判断し、同郡の庁舎に対して特別な対応は不要と通知した。
 オカ・マナ酋長領は3月17日16時15分にこのファクシミリの内容を確認後、酋長の権限を以って警察の増員や住民用の避難シェルターの確認など非常時に備える準備を進めた。しかし、パラ・モニカ郡長官から「ただの酔っぱらいの集団。特別な対応は不要と進言する」との電報を受け、警戒を解除した。

 国務部報道官は、北端自由連合が国際社会で話題になっていることについて記者から質問を受けた際に「どうしてSPS(サンシャ公共ラジオ)が外電に載せたのか、理解に苦しむ」と回答し、「この思慮不足の外電のせいで我々は余計な業務に従事させられている」とサンシャ公共ラジオの対応に不満を表明した。

外国における反応

フリューゲルにおけるどの国家も北端自由連合を承認していない。

政治体制

 大統領制と議会制民主主義と推測されるものの、唯一の資料からは十分にその政治体制を読み取ることができない。