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ベロガトーヴィチ大公国

 

国号ベロガトーヴィチ大公国
政治君主制
国家元首 
中央政府委員会主席セミョーン=アリマノヴィッチ=パトロフ
最高評議会ベロ 
公用語ヴォルネスク語・ガトーヴィチ語

政治

一院制を採用し、公国議会は大公の名の下開かれる。憲法は大公を国家の中心とし諸民族の統一の頂点であり神聖不可侵な存在としている。現在は立法府として最高評議会ベロが代替わりとして存在する。行政府に関しては中央政府委員会が設置され政府主席が長を務める。

ベロ・リーソフ公家

ガトーヴィチ民主帝国君帝リーソフ家の分家。ヴォルネスク族系の大貴族プーシキン侯爵イリーヤと婚約することでヴォルネスク族のプーシキン侯爵領を事実上吸収し、現在のベロガトーヴィチ大公国の範図となった。

リーリフ家の第二皇子だったウラジーミルはベロガトーヴィチ大公となり、男系男子に長男ミハイルベロガトーヴィチ公、次男にヤーイカ公、スヴェトロ公、孫に大公位継承者順にミハイルベロガトーヴィチ公の子としてウラジーミル二世、ロマジオン、チャイカ。スヴェトロ公の子にアレクサンドル、ヤーコフが続く。

 

歴代大公

ウラジーミル=フリストフォロヴィチ=ベロ・リーソフ

850年2月~880年1月

ミハイル=ウラジミロヴィッチ=ベロリーソフ  

880年2月~

以降ガトーヴィチ帝国君帝が大公位を兼任。

統治機関

事実上の軍事政権であり最高評議会ベロの下に4軍合同意思機関委員会が調整機関として存在し、4軍のパワーバランス維持の名目で陸・海・空・突撃隊から各機関8名の現役武官が合議制の下最高評議会「ベロ」に対し意見提出を可能としている。

議会

ガトーヴィチ人・ヴォルネスク人全面統一戦線ベロを政権与党とし、連立与党としてガトー人系民族右派ベロガトーヴィチ帝国発展党が存在する。現在は最高評議会ベロの追認をするだけで議会の体をなしてない。

 

最大野党にキリスト教民主主義同盟正教会派、みんなの左派、国際スラブ同盟に続く。

一方で暴力革命防止法並びに共和主義者抑制法により「共和主義」「共産主義」を党是とする政党の結党を禁止し、該当の政党はすべて解党された。それに基づきベロ・リーソフ家は王党派グループ、反共主義者、民族主義者グループ、聖職者右派、大スラヴ主義者、ヴォルネスク民族主義者、ガトー民族主義者を統制し突撃隊総監理局の統制下に置きベロ・リーソフ家並びに臨時政府の無制限の忠誠を約束させた。

 

 

軍事

 

陸軍、空軍、沿岸海軍の三つの軍種で構成される国軍を有する。他に突撃隊と呼ばれるベロ・リーソフ家直下の私有組織を有し、「国内監視・国外のスラヴ諸国との関係強化協力・三軍の監視・政府関係者の警護」を任務とする。

臨時政府発足後は三軍の大公からの統帥を強化、保護の名目の下、「大公軍事顧問団」が軍政・軍令の全権を委任されている。臨時政府発足後は国家スラヴ軍は解体された。

突撃隊

モットーは「神は我々スラヴ人のみを許した」突撃隊はベロ・リーソフ家の政治警察として君臨し、国内の反乱に備えて設置された旧国家スラヴ軍を吸収するとその組織としての劣化性が加速化した。突撃隊は陸海空の国軍に対し「彼等は王党派やスラヴ主義者がバリケードを組んだ時外に居た。我々は常に中に居た」とする神話を元に監視と統制を叫んだ。

突撃隊総司令官はベロ・リーソフ家の長がなることが慣例であり実質的な実務は突撃隊幕僚部がこなし、組織としては3つの総局、9つの独立局で構成されている。