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タンファ王国

国号タンファ王国
政治事実上共和制(タンファ・ヴォルネスク族王冠を国家元首と憲法で定めている)
国家元首 イォシフ・N・ナーロフ統領
革命大評議会ウラジーミル・M・ティモシェンコ議長
行政院長 ニコライ・U・ケレンスキー
公用語ヴォルネスク語・ガトーヴィチ語
国旗

政治

革命大評議会を国家の最高諮問機関とし、立法院と行政院を司る。司法機関に関しては革命大評議会の付属機関である革命防衛所に指導されることが明記されている。

共和制を採用し、事実上の国家元首であり行政権の長である統領は革命大評議会48名の三分の二の賛成をもって就任する。革命大評議会議員にについては終身制である一方で統領の一存で「追放」「任命」「補充」が行われており統領に強い人事権が与えられている。国権の最高機関である同機関は後述するスラヴ・ファシスト党の最高意思決定機関である会議並びに補助局の強い影響を受ける。42名の議員がスラヴ・ファシスト党員であり残りの6名は軍の功績と統領の信頼をえて就任した将軍らである。

統領については終身制で、統領が不慮の事故等で欠員した場合序列第二位が就任することとなる。

歴史

大革命評議会を頂点とした独裁国家。ベロ・リーソフ公家の権威が失墜し四つの革命と政変により事実上の無政府状態となったヴォルネスク地域にて「共和主義・国家主義・社会主義・反共主義・反君主制」の五つを唱える共和国民俱楽部を母体とする「国民戦線」が指導権を固めた。短命ながら革命はさらに激化し「スラヴ的ファッショ」党による国民戦線の乗っ取りによって国民戦線のイニシアチヴは共和国民倶楽部からスラヴ的ファッショに移った。

スラヴ的ファッショはのちに報復遠征という名の白色テロルを実行、国民戦線の左派を粛清したのちにメニショフ初代統領の支持基盤であった右派を追放し統領による個人独裁を完成させる。初代統領が没すると二代目のナーロフは民族主義者、ガトー派、大スラヴ主義者を追放し、「共和スラヴ主義」「大スラヴ国」の貫徹なくしてヴォルネスクひいてはガトーヴィチを始めとするスラヴ系諸民族の「生存圏」確保は不可能とした。

「国民戦線」は歴史的使命を終えた、ナーロフの独裁はあらゆるスラヴ主義的な多様性を破壊しつくし自らを「大スラヴ国」の統領を名乗った。彼はかつての故郷である地球に存在したイタリアの独裁者ムッソリーニを信奉し「スラヴ的ファッショ」を「スラヴ・ファシスト党」と改名し「スラヴ人前へ」と題する演説をもって大スラヴ主義の時代の終焉と共和スラヴ主義の到来を預言し、革命の防衛と大スラヴ主義の排撃を訴えた。彼はヴォルネスクの支配者としての根源としてタンファ・ヴォルネスク族王冠を利用した。彼は「反君主制」を唄いながら伝統的なヴォルネスク族に関連する権威を利用し自らの独裁を正当化させた。故に同国の国号を王国と名乗ることのゆえんである。

議会

スラヴ・ファシスト党

共和主義、世俗主義、国家主義、社会主義、反共主義といった様々な右派的、或いは国家によっては左派的ともとれる思想形態で構成され、党員はナーロフへの無抵抗の忠誠と党への献身を要求さ

上意下達の下指導者原理・分派の形成は公然たる反革命などとする.

民会と呼ばれスラヴ・ファシスト党以外の党は軒並み解党された。

娯楽

世界的リゾート運営企業であるゼニデル―の長期的な交渉の末埋立地にてヴォルネスク・ゼニデルーランド誘致に成功する。

軍事

陸軍、陸軍航空隊、沿岸海軍が存在する。