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セリティヌム共和政

セリティヌム共和政

国名セリティヌム共和政
英:Republic Seritinum (省略形:RST)
羅:Libera Res Publica Seritinum(省略形:LRPS)
漢:芹庭縫夢(省略形:芹国)
国旗
(1043年以降)
国章
国歌我らの土地を耕せ
標語正義・勤労・開拓
首都ヤヌアリウス首都州 ノウム・ラティウム
元首ルキウス・ウァレリウス・メルラ(第二代執政官)
政体共和制

国の概要

 977年11月に建国された共和制国家。

 国の歴史教科書の一つであるセリティウム前史には、地球時代の21世紀後半にユニティプロジェクトによってフリューゲルへ飛び立った船の一つがセリティウムの起源と記されている。この船には、地中海沿岸地域から集められた人々が多くいた。 (注:WIKI世界設定より一部設定を参考にした) 地球から旅立ち、フリューゲルへ向かう長い旅の間、地球を恋しく思う人々によってラテン文化への回帰運動があり、人名や姓に古代ローマ時代のものを用いるようになった。

 これがきっかけで、公用語や日常会話は英語(一部でフランス語も)が中心となっているが、ラテン語由来の単語や表現も多く使用されている。

 前述の2つの入植地による自治連合、セリティヌム自治連合が前身で、この時代には未だ国家を名乗っていなかったが、971年11月に憲法の発布と建国宣言を行った。首都は ヤヌアリウス首都州の 「新しいラティウム」を意味するノウム・ラティウムに置かれている。政府は各国の外交官にノウム・ラティウムへの大使館設置を推奨・歓迎している。

国名

  前身のセリティヌム自治連合と区別する目的で、国内では共和政セリティヌム、セリティヌム共和政(羅:Libera res publica Seritinum)と呼ばれる事が多いが、公文書上の表現はセリティヌム共和国(英: Republic Seritinum)が一般的なものとなっている。

 セリティヌムの名称は宇宙時代から使われているもので、古くは船の名前を指していたとされる。名前の由来は諸説あるが、最も有力な説としては古代ローマによるイタリア統一の契機となった第三次サムニウム戦争における重要な戦いの一つ、センティヌムの戦いの戦場名センティヌム(Sentinum)から来ている、というものがある。この説では、センティヌムが何らかの理由で誤って伝えられたか、訛った事でセリティヌムになった、と言われている。

 国旗は建国時に制定されたもので、古代ローマ帝国が用いたとされる旗の意匠をベースにしている。力強く飛び立つ鷲は国の飛躍を願ったものであり、黒色は暗い宇宙の旅の苦しみを忘れないためのもので、黄色は暗闇の中でも輝きを忘れないためのもの、赤色は博愛を示すものとなっている。

国民

 地中海沿岸地域の様々な国の人々を先祖に持つが、長い宇宙の旅の間に同化した事で、セリティヌム人としての国民意識が確立されている。このため、政府見解としては単一民族による国家ではあるが、これには異論もある。

 公用語は英語。日常会話では英語を中心に一部でフランス語が用いられる事もある。また、ラテン語由来の単語や表現も多く用いられる事も特徴の一つである。

 宗教はカトリックや正教、イスラム教を信じる者など多様だが、最新の調査では国民の7割が無宗教という調査結果もあり、宗教離れが進んでいる。

政治

 憲法施行後も共和政体のよりよいあり方を求めて試行錯誤が行われており、権限の集中や縮小の試みが繰り返されている。

  • 行政権は首都州・属州設立法に基づく基準を満たした首都州・属州の行政長官(982年1月時点で基準を満たすのは1首都州・3属州のみ)による選挙で選出された執政官が掌握している。
  • 立法権は首都州・属州設立法に基づく基準を満たした首都州・属州の行政長官職にあるものとその経験者、行政副長官職にあるものとその経験者、監察官職にあるもの、執政官経験者、国民会議長経験者によって構成される上院の元老院と、首都州・属州設立法に基づく基準を満たした首都州・属州の住民による選挙によって選出された議員によって運営される下院の国民会、これら二つの議会が掌握している。
  • 司法権は執政官が指名を行い、元老院によって承認された13名の法務官によって運営される最高法院が掌握している。

 977年時点では立法権を握る国民会が大きな権限を持っていたが、981年の憲法改正や、982年に施行されたポンペイウス分権法により、行政権を持つ行政長官が大きな力を持つようになった。

基本政策

 978年に「セリティヌム・ヴィジョン」を発表し、開発や外交の基本方針として掲げている。

行政

セリティヌム行政史

977年~981年までと982年以降

 977年11月から981年12月までの期間は、建国間もない事もあり、行政の実務や権限は各首都州・属州に設置された都市・属州政府に委ねられていた。 この体制は憲法公布時の「都市協議会は発足したばかりであり、各地方の実情をよく知らないまま都市協議会主導で開発を進める事は公益に資さないばかりか、国民の反発を招きかねない」という国民会からの提言に基づくものだった。

 982年1月1日に施行されたポンペイウス分権法は、この体制を大きく変えた。まず、名目的な変更として、都市協議会は共和国執政府と名称を変えた。これには単なる都市の集合体による行政府ではなく、一つの国としての行政府であるという事を示すためであった。共和国執政府は名称変更以前の都市協議会がそうであったように、行政部を設置し、行政部を通じて、政策立案や政策遂行のために設置された各局に対して行政命令を行う。

 実務的な変更では、首都州と各属州の自治権を尊重する点では変わりはなく、首都州および各属州に統治の一端を担わせるという制度自体は変えず、これまで通り首都州および各属州に独自の行政機構を持つ事さえ許しているが、行政部の命令や規則は各州の命令や規則に優越する。法的には各州が独自に持つ行政機構は行政部から行政権を委託され、代理執行しているだけであるため、各州の行政機構は行政部から行政命令権を行使されれば、それに従わなければならない。ポンペイウス分権法は、ユウェンティウス政権の悲願であり「効率的な資源配分や行政を行うためには、ポンペイウス分権法は必要不可欠」という立場をユウェンティウス政権は取っている。

 施行に際して、地方の反発は大きかったが、ユウェンティウス政権は国内政治の成功と対外外交の成功によって、これらの反発を鎮静化させた。982年に施行されて以降、大きな混乱もなく今日までこの制度は存続している。

セリティヌム行政組織図

  

 ポンペイウス分権法の成立と同時期に行われた981年憲法改正では、共和国執政府の代表は、首都州および各属州の行政長官らによる選挙によって選出されるようになり、選出された代表には国民会より「執政官」の称号が付与される事となった。また、執政官は対外的には「国家元首」であり、平時においては内政の責任者であり、戦時では軍の最高指揮官であると憲法に規定した。

地方行政単位

 地方の行政単位は首都州と属州から成り、首都州と属州の違いとしては「首都設立法に基づく指定首都」であるかどうかの違いのみがある。978年時点で、首都州の名前を持つヤヌアリウス首都州は首都であるノウム・ラティウムが設置されているため、首都州の名称を持つ。仮に、今後首都がヤヌアリウス首都州からフェブルアリウス属州に移動した場合は、フェブルアリウス属州はフェブルアリウス首都州という名称に変更される。

 首都州および属州の命名としてはラテン語における月の1月から12月までの呼称に基づいている。最初に設置されたヤヌアリウス(1月)首都州、次に設置されたフェブルアリウス(2月)属州、と設置順に命名が行われている。12首都州・属州を超えた場合の呼称については定まっていない。

首都州・属州名首都州政府・属州政府所在地
ヤヌアリウス首都州ノウム・ラティウム
フェブルアリウス属州ラエティア
マルティウス属州キサルピナ
アプリリス属州ナルボネンシス
マイウス属州アカエア
ユニウス属州キュプルス
ユリウス属州イリュリクム
アウグストゥス属州トラッキア
セプテンベル属州ノリクム
オクトーベル属州エピルス
ノウェンベル属州ウルテリオル
デケンベル属州キテリオル

歴代執政官

No名前任期
1ティトゥス・ユウェンティウス977 – 984
2ルキウス・ウァレリウス・メルラ984 – 1026
3マルクス・フラウィウス・カト1026 – 1040
4セルウィウス・ユニウス・サリナトル1040 – 1068
5アウレア・セルウィア・ノヴァ・フィデリス1068 – 現在

立法

 981年以前は国民会のみだったが、981年の憲法改正により元老院と国民会の二つの議会が置かれるようになった。元老院は世論に左右されない各州の代表による議会として、国民会は世論に敏感な人民の議会として設置されている。元老院が上院であり、国民会が下院という位置づけで、立法権に関しては平等ではあるが、条約の批准に関する事柄や行政人事、軍権の行使について、執政官への助言と同意を行えるのは元老院のみで、国民会は行えない。国民会特有の権限としては、予算を伴う法律の発議は国民会のみが行える。

 

セリティヌム立法府の状況(980年1月)

左(←)元老院 国民会(→)右

  

元老院情勢

 目だった党派の違いは無いが、各州の意見の違いが対立となって現れる事がある。近年ではポンペイウス分権法とそれに伴う諸改革に賛成か、そうではないかで意見が対立する事が多い。最大派閥はヤヌアリウス首都州(10議席)及びフェブルアリウス属州(10議席)によるポンペイウス改革支持派でユウェンティウス政権を支持しており、マルティウス属州(5議席)及びアプリリス属州(5議席)によるポンペイウス改革反対・慎重派はユウェンティウス政権に対して批判的である。

国民会情勢

 ユウェンティウス派(155議席)、分権派(84議席)、中間派(35議席)、ポンペイウス派(26議席)で、ユウェンティウス=ポンペイウス派による改革主義勢力が国民会の過半数を超える181議席を掌握している。分権派は84議席で野党第一党の地位にあり、中間派は政策ごとに与党・野党支持で分かれる事が多い。

被選挙権等

 国民会議員の被選挙資格は、16歳以上かつセリティヌム国籍保持者という年齢・国籍要件に加えて、(1)兵役か開拓事業に従事した経歴がある(2)何等かの分野で顕著な功績を残している(3)執政官もしくは首都州・属州等の行政長官の推薦を得ている、という3条件のいずれかに当てはまる必要がある。任期は12年であり、再選は国民会の4分の1以上の賛成を得ている者を除き、禁止されている。

 元老院議員は以下の条件に当てはまるものであれば自動的に議員職が与えられる。(1)首都州・属州の行政長官職にあるもの、及び経験者(2)首都州・属州の行政副長官職にあるもの(3)首都州・属州の監察官職にあるもの(4)執政官経験者(5)国民会議長経験者。定数はその時々で異なり、一度任命された者は辞職するか、司法の場において有罪判決を受けない限り、元老院議員職を生涯あり続ける事が出来る。

司法

 立法府である元老院・国民会や行政府である共和国執政府に比べて権限は小さく、司法権も完全な独立を果たしている状態には無い。法曹資格者が国内に少なく、育成が進んでいない事が要因で、法曹資格者の確保は急務となっている。

 司法府の最高機関としては最高法院が設置されている。執政官によって13名が指名され、元老院の承認(原則として全会一致)を経て選出される法務官13名によって最高法院が運営されている。

 最高法院は各首都州・属州の法務官・法務官を任命する権限を持つ。各首都州・属州における地方審を第一審として、紛争が解決しなかった場合には最高法院下審を第二審、尚解決する見込みが立たない場合は最高法院上審を最終審として解決が行われるが、9割以上の訴訟は地方審で解決される事が多い。

 死刑制度は廃止されており、最高刑は終身刑。

外交

外交方針・外交史

 外交方針は10年に一度見直される事になっているが、伝統的に武力よりは対話による解決を目指しており、国際社会での立場は特定の勢力に肩入れしすぎず、中立的な立場に立って意見を表明する事で各国から信頼を得ていく、という外交が基本となっている。

981年 – 984年(第三世界外交の挫折、孤立主義へ)

 981年1月にティトゥス・ユウェンティウス執政官が表明した外交方針は、「国連参加消極主義」「第三世界積極参画主義」の二つが挙げられる。国連への加盟を目指すものの、加盟したとしても先進国間の利害関係、対立には極力関与せず、第三世界の国々と積極的な交流を持つことによる自国の発展を目指していた。

 しかしその後、第三世界の国々との友好外交が成功したとは言い難く、先進国が設立を主導した国際協力組織BCATへの加盟や、理事国推薦を巡るルクスマグナとの対立や先進国への強い不信などによって、「国連参加消極主義」も「第三世界積極参画主義」を支持する気運は完全に消滅した。

 また、同時期の執政官選挙で国連にも第三世界にも寄る事のない孤立主義外交を打ち出したルキウス・ウァレリウス・メルラが当選した事により、これ以降のセリティヌム外交は国連からも第三世界からも距離を置く事となった。

985年 – 1040年(混迷の時代、鎖国へ)

 この時期、セリティヌムは急速な経済成長を遂げたが、同時に産業の効率化を達成出来ず、長い間社会的混乱が続いた。特に、農業人口の不足による自給率の急速な低下は食糧供給体制の破綻を招き、国内で暴動が発生。諸外国からの支援を受け続けなければ国の存続も危うい状況に陥った。

 また、人材面にも課題があった。急速な経済成長によって中央省庁でも各種問題に対応出来る大量の人材供給を必要としていたが、中央省庁が求める水準の高度教育を受けた人材は当時少なく、このことは行政活動に停滞をもたらし、政府が数十年もの間有効な手立てを打てないまま時間を浪費した一因となった。

 結果としてセリティヌムは混乱の収束を最優先として、外交活動の停止を宣言。鎖国に入り、再開国する1040年代までの間、セリティヌムは閉じられた世界となった。この長い鎖国によって、結果的に社会の混乱が収まってしまった事から、官民問わず国際協調主義ではなく、メルラ政権時代から続く孤立・非干渉主義こそがセリティヌムの国益に繋がるのではないかと思う、或いは錯覚する層を確実に増やす事となり、これは後述するBCAT脱退の遠因となった。

1040年 – 現在(BCATの脱退、孤立主義の再確認と国連積極支持へ)

 孤立・非干渉主義を支持する声こそ増えたものの、1040年に新しく執政官に就任したセルウィウス・ユニウス・サリナトルの政権(以下、サリナトル政権)内では、BCATは依然として必要であり、同時にBCAT以外の国とも平和・友好関係を築く必要性を唱える高官も発足当初は多かった。鎖国解除とともにそのような外交活動を行う方針で政権内では一致した。

 手始めに友好関係を築くべき国として名前が挙がった国は、かつて留学生を多数派遣したオーヴァリア大公領、カルセドニー社会主義共和国、ロムレー湖畔共和国だったが、オーヴァリア大公領は鎖国解除した時にはすでに滅亡しており、残るはカルセドニー社会主義共和国かロムレー湖畔共和国に絞られたが、カルセドニー社会主義共和国は陣営色が強く、またSLCNを牽引する立場にある事から当分表立って友好関係をアピールする事はBCATへの配慮上好ましくないとする声が外交局主流派では中心的だった。

 他方、ロムレー湖畔共和国はBCATとは微妙な関係にあるが、当時一般理事国から退任しており、幾分陣営色も薄いと考えられた事や、同国が文化的交流に積極的である事から、声を掛けるべきはまずはロムレー湖畔共和国とする方針が決まり、これはラエティア協定の締結という形で結実する事となった。

 しかし、長い鎖国政策によってBCATとロムレー湖畔共和国間に生じている対立関係は外交局の想像以上のもので、ロムレー湖畔共和国との学術協定の締結に関してBCAT側に通知が無かった事に関して、一部BCAT諸国が批判。その際に用いられた「ロムレー湖畔共和国の釣り餌にセリティヌムは引っ掛かった」とする一部BCAT加盟国の主張には、民間の交流を促進させる協定の締結に関する干渉への不快感も相俟って、これまで比較的BCATとの関係を維持するべきだとするサリナトル政権の穏健派すらBCATとの関係見直しも止む無しと考えるようになった。

 結果として釣り餌表現の撤回、謝罪がない限りは脱退も辞さないとするセリティヌムの姿勢にもBCAT諸国はBCATとの対話の意志が欠けていると非難し、駐BCATセリティヌム大使は1043年 5月下旬にBCATに脱退を通告、BCATの議場から退場した。同年6月下旬にBCATは第四号決議としてセリティヌムをBCATから除名し、これをもってBCATとセリティヌムの関係は絶たれる事となった。

 BCAT脱退以降のサリナトル政権の方針は、孤立・非干渉主義の政策・国連体制の支持に徹する事であり、これは現在も続いている。

現在効力を持つ協定・条約の一覧(掲載は締結年月順)

参加している協定/条約名締結年月特筆すべき事項、コメント
(RPに影響するものではありません)
威芹経済連携協定979年 5月ヴェニス・コンプレックスとの間に結ばれた経済連携協定。
我が国の発展のもとになっている。
フリューゲル国際連合憲章981年 3月国連抜きにフリューゲルの国際政治は語れない。
国連の理想は理想に過ぎないが、BCATから脱退した今となっては、
国連の理想が崩壊してしまえば、我々の安全を誰も保障しない。
我々は我々を守るために、これを堅持すべきだ。
ベルクマリ包括的協力機構(BCAT)983年 3月
1043年5月脱退
その理念を信じてはいたが、結局は無意味なものだった。
価値観を共有する者同士で集まる事は良い事だろう。
その価値観は、我々と異なっていたが。
ラエティア協定1042年11月今は苦しくとも数十年後の我々に必要なものだ。
ロムレーでの学びは、それだけの価値がある。
人材への投資を怠った事で我々は存亡の危機に立たされたのだから。

外交関係を持つ国の一覧(掲載は国交締結順)

国名国交開設年月関係/印象/特筆すべき事項
コメント(RPに影響するものではありません)
民族自治軍管区ハルィチナーフリューゲル暦
978年1月
ヴェールヌイ社会主義共和国フリューゲル暦
978年1月
ヴェニス・コンプレックスフリューゲル暦
978年1月
普蘭合衆国フリューゲル暦
978年8月
リブル民主主義人民共和国フリューゲル暦
978年月
カルセドニー社会主義共和国フリューゲル暦
978年10月
神聖ガトーヴィチ帝国フリューゲル暦
978年10月
ヘルトジブリール社会主義共和国フリューゲル暦
978年9月
成蘭王国フリューゲル暦
978年10月
ロムレー湖畔共和国フリューゲル暦
978年10月
ラ・フローリド共和国フリューゲル暦
978年10月
カドレン共和国フリューゲル暦
978年10月
ロシジュア帝聖平和ドミニウムフリューゲル暦
978年10月
レゴリス帝国フリューゲル暦
979年10月
ルクスマグナ共和合衆皇国フリューゲル暦
982年12月
サンシャ独立国フリューゲル暦
983年4月
新洲府共和国フリューゲル暦
983年12月

経済

国際統計上の世界最貧国であり、国民の多くが困窮している。

産業

伝統的に、主な産業は農業で、職人による手工芸品の生産が一部で行われている。

最近になって鉱山を開発して外国に輸出する試みが始まったが、国内に978年時点で有望な鉱山が一つしか無く、資源開発に暗雲が漂っている。

社会構造

情報が不足しています。加筆が必要です!

教育

 6歳から15歳までの9年間、基礎教育機関である基礎養成校に通った後、中等教育機関である発展養成校に3年間通う。その後は本人の希望に応じて、無料で進学出来る士官学校に進むか、開拓事業団に就職するか、私費で研究機関の大学に通う事が出来るが、978年時点で大学はほとんど機能しておらず、裕福な家庭の子だけが大学に進学出来る状態にある。

文化

福祉

軍事

軍務省傘下に正規軍であるセリティヌム国防軍が存在しており、地上軍・空軍・海軍の三つの軍種から成る。
現役軍人、予備役合わせて89万3千人を擁する。(1068年時点)
潤沢な予算によって装備は充実している一方で、海外派兵経験が無いため、練度の面が懸念されている。

セリティヌム地上軍

セリティヌム軍の三つの軍種の一つ。陸上任務を担当する。約56万人の人員を擁する。
主任務は、セリティヌム国内の防衛や、国益のための海外作戦、国際社会の平和維持活動など多岐に渡る。

軍団(Legio)を基本単位として編成されており、
各軍団は、歩兵師団、機甲師団、砲兵師団、防空師団、独立師団などの部隊から構成されている。
複数の軍団から編成された軍(Exercitus)も存在しており、現在6個軍が編成されている。
他、特殊部隊が配備されており、情報収集や対テロ作戦などに使用される。

セリティヌム空軍

セリティヌム軍の三つの軍種の一つ。航空・宇宙任務を担当する。約12万人の人員を擁する。
任務は空中戦闘、偵察、輸送、戦略攻撃、防空、電子戦など多岐にわたる。
また宇宙空間においても活動し、軍事衛星「インテグリタスII」防衛衛星「ラドゥメナIV」を保有している。

航空団、衛星運用部隊などの部隊や、各種航空機の運用や訓練、整備を行う航空基地、
作戦支援を行う航空管制部隊、レーダー監視部隊などの支援部隊からなる。

セリティヌム海軍

セリティヌム軍の三つの軍種の一つ。海上任務を担当する。約21万3千人の人員を擁する。
任務は海上戦闘、海上交通路の確保、潜水艦作戦、海上輸送、海洋調査など多岐にわたる。

北海、東海、南海、西海方面を担当する4個の外海艦隊と、内海警邏を担当する1個の内海艦隊が存在し、
外海艦隊には空母部隊を中心に、巡洋艦部隊、駆逐艦部隊、潜水艦部隊が配備されている。
内海艦隊には小規模な駆逐艦部隊や機雷敷設部隊、掃海部隊、輸送部隊が配備されている。