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ウェールリズセ連邦

 

国家概要

国名 ウェールリズセ連邦
英名 Commonwealth of Waleridse
国旗
元首 セルジオ・スウィトナー(Sergio Suitner)
首都 ウィリーツェン(Wilyzen)
公用語 イタリア語・英語
通貨 Lira Waleridse/ウェールリズセ・リラ:₤
国歌 Serenissima Waleridse(最も清らかなウェールリズセ)
人口 調査中
政体 民主共和制

 

ウェールリズセ連邦またはウェールリズセ・コモンウェルス(Commonwealth of Waleridse)はフリューゲル暦847年11月3日に成立した国家。首都はウィリーツェン、第二首都はサンジュブレ。かつてアスティージ島及びエンリヘッテ島を領土とし、ヴェネツィア・ジュリアをルーツとした 「ウェールリズセ連邦共和国」の後継国家であり、外交関係の引継ぎに際しては「合意ある継承」を原則としている。

 

歴史

  • 586年体制 – 社会民主同盟の凋落
     約600年前にイタリアより飛び立った移民船団「ウェールリズセ」は、航路のミスにより、長年フリューゲルから遠ざかっていたが、ワープ航法の一時的な開発(現在はロストテクノロジー化)により、フリューゲル暦584年、アルファケンタウリ星系第4惑星フリューゲル至近へワープに成功。フリューゲル発見後、探索艇等により殖民可能な無人地帯を捜索し、船団会議においてリアライン地方への殖民を決定した(現在のウィリーツェン周辺)
     リアラインの地に降り立った最初の船は船団旗艦「ウィリーツェン」であり、船には千名のヴェネツィア・ジュリア出身のイタリア人が乗っていた。徐々に開拓を進め、585年末には現在のウェールリズセの殆どの領域の測量成功に至る。586年、移民船団提督であるベルドルト・アルベルティーニ提督はウェールリズセ共和国の建国を宣言し、ローマ法及びフランス憲法に基づく民主主義国家の樹立を宣言。ウェールリズセ共和国が建国される。以後、社会民主同盟が政権を追われるまでの時期を586年体制と現在のウェールリズセ政治史は定義している。
     586年から600年までの間は中央集権化が極度に進んだ時期であり、ウィリーツェン以北の住民と以南の住民では激しい所得格差が発生。クリクルム・ポーラーに代表される巨大隕石災害、消費財の不足、インフラの未発達、社会保障制度の未熟、教育水準の著しい悪化等の要因が事態を悪化させ、586年から590年代前半には半ば内乱寸前の雰囲気へと突入。しかし同時期に、エーラーン教皇国、ヴェールヌイ社会主義共和国の協力により、エーラーン教皇国からはフランツ・フォン・ビツィンガー枢機卿が内政顧問として派遣され、ヴェールヌイ社会主義共和国とは589年に「ヴェールヌイ社会主義共和国によるウェールリズセ共和国域内における治安維持に係る協定」を締結。内政面での改革推進や、治安状態の回復により、590年後半には国家秩序を取り戻すに至る。外政面においては、民主主義の擁護運動を展開し、アルドラド帝国の民主化に対し積極的支持を表明。また各国との友好促進のため、597年及び604年にヴェールヌイ社会主義共和国、レゴリス帝国と相次いで会談、これら二国との平和友好条約を締結へと漕ぎつけた。また新興国連帯の一環としてアゼロティータにおける六カ国会議を主催したが、ノホ・ヘレコ連邦やシェロジア共和国の外交姿勢に強い不信感を抱くに至り、両国との国交関係を断絶。残るヴェールヌイ社会主義共和国、テークサット連合、コーデクス共和国の協力を得て、アゼロティータにおける六カ国会議の成果として新興諸国経済理事会の成立に貢献した。
     しかしこれらの外政面の評価は今日においても二分されており、レゴリス帝国との一時的な関係悪化や、ノホ・ヘレコ連邦やシェロジア共和国、そしてベルサリエーレ王国といった国々との関係悪化は政権与党であった社会民主同盟にとってダメージとなり、600年代後半には議会選、総督選で相次いで大敗、ウェールリズセ・キリスト教社会同盟の躍進を許す結果となり、政権与党の座を退いた。
  • ENEC改革 – 戦乱の時代へ
     610年代にはウェールリズセは未曾有の経済成長を遂げ、経済特区の設置による商業を振興。都市の防災都市化等により災害被害の減少、社会保障・インフラ・教育の全てに対し積極的投資を行ったことで、610年代後半には先進国の格付けを国際機関より得るに至った。外政面では安全保障環境の構築や、ENEC関係国との関係強化等を推進、ENEC議長国としての役割を十全に果たした。しかしシェロジア危機やテークサット事変などによる、未曾有の危機に直面する事も少なくなく、多くのウェールリズセ人が戦争の雰囲気に晒されたことで社会的には不安材料が増加。これらに対し、政府は国際空港の建設などで外国人観光客を呼び込み、国内の活性化を図ろうと試み、これは部分的には成功した。
     625年には新首都ウィリーツェンへの移転が大筋決定され、626年には626年憲法の公布、連邦制の導入による地方自治の強化、国旗国名の改定、政府内改革など様々な改革方針を打ち出しており、建国50周年までに世界有数の経済大国へと成長させるというヴェンデッタ政権のスローガンの下、高水準の経済成長が続いたが、630年代になると従前より続いていた国内の不安がフリューゲル同時社会不安の煽りを受けて増悪し、国内で大規模な暴動が発生、ヴェンデッタ政権は退陣を余儀なくされた。ヴェンデッタ政権の次に政権を担ったのは新興政党である国家ファシスト連合であり、第二代大統領にはミハイル・スウィトナーが就任。この後、ウェールリズセは絶え間ない戦乱の時代へと突入することになる。
  • 戦乱の時代 – 二大陣営による覇権争い
  • ウェールリズセの最盛期 – フリューゲルの停滞
  • 宇宙船によるフリューゲル脱出 - 宇宙航海時代
  • 宇宙航海の失敗 – フリューゲルへの帰還へ
  • 「新時代の外交」 – 現在 

 

政治・経済

連邦議会”ヌオーヴォ・パーチェ・ペルラ” – Parlamento Waleridse「Nuovo Pace Perla」

 

上院

社会民主同盟 ウェールリズセ・キリスト教社会同盟 ●国家ファシスト連合 人民社会党

下院

社会民主同盟 ウェールリズセ・キリスト教社会同盟 ●国家ファシスト連合 人民社会党

847年11月現在、ウェールリズセ連邦議会は上院下院を持ち、定員数は上下両院合わせて1448議席である。
議会内の勢力は与党として革新勢力の社会民主同盟(ASD:Alliance of Socialists and Democrats)
中道勢力のウェールリズセ・キリスト教社会同盟(CSU:Christian Social Union in Waleridse)が連立を組み、連立政権を成している。

野党側は第一党としてファシスト主義を掲げる国家ファシスト連合(WUF:Waleridse Union of Fascists)が存在感を有しており
野党第二党は社会主義を掲げる人民社会党(PSP:People’s Socialist Party)となっている。
上院においてはASDが287議席、CSUが148議席、WUFが235議席、 PSPが128議席を有し、下院においてはASDが312議席、CSUが65議席、WUFが201議席、PSPが72議席を有する。

●政治分析
現与党であるASD及びCSUの関係は良好であり、当面の間はASD=CSU連立政権が継続されるものと見られる。
しかしながら、国際情勢の緊迫化等の事情、安全保障上の脅威が生じた場合に、WUFが急速に勢力を伸ばす可能性を否定し得ない。

●考慮すべき歴史的経緯
WUFはかつてのウェールリズセ連邦共和国時代、及び宇宙航海時代の前半に政権を獲得していた経緯から、一定の支持者が存在する。ASDはかつてWUFと連立政権を組んでいた経緯から、WUFとも一定の関係を持っており、ASD=CSUの関係が破綻した場合、WUFに乗り換える可能性がある。
今後ASD=WUF連立政権が成立した場合、その時点よりウェールリズセ連邦が急速な軍事拡大路線、安易な武力行使路線に踏み切ることを過去の歴史から否定し得ない。

●特筆すべき外交
・ASD、CSU、WUFはいずれも親レゴリス帝国的であり、その同盟・友好国に対しても一定の配慮を見せる外交を展開すると見られる。しかしながら、カルセドニー社会主義連邦共和国に対しては、WUFが与党である場合にその歴史的経緯から、一定の距離を置く可能性が考えられる。

・PSPはその政治主張から、反レゴリス帝国的である一方で、社会主義の国々との協調路線を採る可能性がある。

 

外交関係

国交を有する国々(847年現在)
レゴリス帝国 【同盟国】【烈ヱ相互安全保障条約】【烈加ヱ開発支援協定】
カルセドニー社会主義連邦共和国 【烈加ヱ開発支援協定】
ロムレー湖畔共和国 【友好国】
フェネグリーク帝国  
ローレル共和国  
ライン共和国  
ミルズ皇国  
   
   

●現在効力を持つ条約・協定

レゴリス帝国・ウェールリズセ連邦間における相互安全保障条約

ウェールリズセ連邦に対する開発支援協定