概要
アーネトイ=ロックバーン社会主義共和国(あーねとい=ろっくばーんしゃかいしゅぎきょうわこく、Socialist Republic of Arnetoi-Rockburn 、英語略称SRAR)はフリューゲル歴981年3月下旬に成立したマルクス・レーニン主義を掲げたアーネトイ共産党と、社会民主主義を掲げるロックバーン社会党による二党制社会主義共和国である。
歴史
旧ドヤキメ王国時代(フリューゲル歴001年~フリューゲル歴345年)
初代国王カーベ・ドヤキメはフリューゲル歴001年に現在のアーネトイ島(旧ドヤキメ島)に木造帆船5隻からなる艦隊を率いて上陸。旧ドヤキメ島にはドヤキメ王国以外にも多数の小勢力が乱立していたが、カーベ・ドヤキメは島外から持ち込んだ近代兵器を用いてドヤキメ島を制圧。王都パンプカンにてドヤキメ王国の成立と王位の戴冠を宣言した。カーベ・ドヤキメの旧ドヤキメ島上陸から22年後、フリューゲル歴023年の出来事である。初代国王カーベ・ドヤキメの治世はそれから5年ほど続き、フリューゲル歴028年に逝去。
以来、ドヤキメ王国はドヤキメ家によって統治され、フリューゲル歴298年までは数代の暗愚によって国が傾きながらも大きな災いも無く平穏な微睡を享受していた。しかし、フリューゲル歴298年に海外から輸入された、民主主義、自由主義思想を説く書籍によって状況が変化した。(輸入時期にあっては複数の説が提唱されている)ドヤキメ王国にとって不運な事に当代国王タック・ドヤキメ16代国王は暗愚中の暗愚と言って相応しく、また貴族の腐敗も大いに進行していた時期でもある。
フリューゲル歴300年、国民が議会開設を求める抗議運動を王都パンプカンにて行い、王政府及び貴族は軍隊を以てこれを鎮圧。死者は2334名、重軽傷者は49134名にも上ったと記録されている。(パンプカンの惨劇)また当時関係のあった諸外国から厳重な抗議を受けた王政府は激発、ドヤキメ島の周辺に機雷を散布し重度の閉塞状態へと島全体を陥らせてしまう。周辺国との連絡通信を全て断たれたドヤキメ島は暗黒時代(フリューゲル歴300年~フリューゲル歴345年)を迎える。
フリューゲル歴311年に16代国王タック・ドヤキメは逝去。17代国王としてギントフ・ドヤキメが即位した。ギントフ・ドヤキメは開明派で知られており、国民は改革を期待したがそれが実行される事はなかった。貴族による専横が既に王権にまで及び、最早国王は国主足り得なくなっていたのだ。ギントフ・ドヤキメは貴族によって王城に軟禁され、貴族による腐敗した寡頭制によって当時のドヤキメ王国は動かされていた。圧制と増税は留まる所を知らず、パンプカンの惨劇の恐怖が冷めぬ中、フリューゲル歴334年王都郊外のアーネトイ広場にて国民議会が結成される。
フリューゲル歴334年に結成された国民議会は秘密裡に、しかし猛烈な運動を開始。軍部隊への浸透、行政への浸透、そして何よりも国民への浸透。パンプカンの惨劇を反省して国民議会は決定的な局面が訪れるまで、影の中に潜み人の海の中に潜り続けた。
フリューゲル歴340年、王都パンプカン郊外のアーネトイ広場にて国民議会が議長フレンド・ロックバーンによって招集される。国民議会は青空の下、討議を行い王政府並びに貴族に対しての要求を議決した。
我々、アーネトイ広場に集った国民は議会を開き、以下の様に要求する事を議決した。 一つ、王政の終了、並びに貴族階級の廃止。 一つ、人道に対する罪を償うこと。 一つ、国民から収奪した富の返還。
国民議会議長メーキッコ・ロックバーン
この要求に対し、王政府並びに貴族は当然の様に拒絶。軍部隊の出動を発令し弾圧を試みる。しかし、軍部隊の半分が出動を拒否し明確に国民議会へと合流する。フリューゲル歴340年10月27日、国民議会に合流した軍部隊とアーネトイ広場を制圧せんとする軍部隊が交戦を開始。此処にドヤキメ革命戦争が勃発した。アーネトイ広場に突入した王政府側軍部隊(以下、政府軍)は国民議会に合流した軍部隊(以下、革命軍)によって撃退され、アーネトイ広場は依然と国民議会の本拠地として機能し続ける事になる。王都にて勃発したドヤキメ革命戦争に各地方もまた、政府側、国民議会側に別れ戦闘を開始。革命の炎はドヤキメ島全土へと広がった。
政府軍は当初、事態を楽観し戦力を集中させず各個によって対応した結果、革命軍の巧みな戦術によって撃破される部隊が多数続出した。しかし、革命軍もまた装備面で政府軍に劣る為、少なくない被害を被る事になる。フリューゲル歴341年の夏を迎える頃には戦線は膠着し、政府軍と革命軍はまだら模様の様にドヤキメ島を染めていた。結果的に、王都パンプカンを占めた者がドヤキメ島を統べる事になるのだが、王都もまた政府軍と革命軍により半々ずつ占領され膠着状態に陥ってしまっている。この膠着状態は数年間続き、革命軍の将軍ショウリャック・チャレンジャー(以下、チャレンジャー将軍)の登場を待つ事になる。
フリューゲル歴344年、国民議会議長メーキッコ・ロックバーンによって見出されたチャレンジャー将軍、当時北方戦線を担当していたが東部戦線が政府軍によって突破され危機に陥る。メーキッコ・ロックバーン議長はこれの対応をチャレンジャー将軍に一任。北方戦線より転進したチャレンジャー将軍は、突破した政府軍の大部分の包囲殲滅に成功。この功績を以て、チャレンジャー将軍は革命戦争に於ける絶大な権限を付与された。チャレンジャー将軍は八面六臂の活躍を見せ、王都以外の全ての戦線を平定。革命軍による王都の完全包囲を成し遂げた。時はフリューゲル歴345年1月17日の出来事である。
王都に僅かに残った政府軍残党はこれ以上の抗戦を断念。革命軍の降伏勧告を受け入れ、ほぼ無血にて王都は革命軍の占領下に置かれる。ドヤキメ島全土を制圧した革命軍はドヤキメ革命戦争の終結を宣言。ドヤキメ共和国準備委員会を設立し、次なる国作りを開始した。フリューゲル歴345年12月25日、クリスマスと同日にドヤキメ革命共和国の成立を宣言。長きに渡る暗黒時代の終了と、新たなる時代の幕開けである。
旧ドヤキメ共和国時代(フリューゲル歴345年~フリューゲル歴900年)
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政治
最高連絡委員会
アーネトイ共産党とロックバーン社会党の連絡を目的とした委員会。事実上、国家権力の全てが集中しており最高連絡委員会の各局、各部署によって国家が運営されている。連絡を目的とした委員会の為、最高連絡委員会委員長は設置されておらず、アーネトイ共産党書記長とロックバーン社会党総裁、国民から選ばれた代表(以下、国民代表)による合議によって意思決定を行う。現在、ロックバーン社会党によって改革の必要性が訴えられているが、アーネトイ共産党が断固反対の立場に立っており改革の目途は立っていない。
最高連絡委員会には内務局、立法局、司法局の3つの大きな局があり、各局長は慣例によりアーネトイ共産党書記長、ロックバーン社会党総裁、国民代表によって兼任される。各局は異常な程に独立しており、国軍とは別の実働部隊すらも各局は保有している。
アーネトイ共産党
アーネトイ共産党は国民議会を構成する下級議員の集いを