改ラードゥガ打ち上げ、観測衛星投入成功/衛星保有回復へ
観測衛星「ゼムリャM」(земля:大地)を搭載した新型の衛星打ち上げロケット「ラードゥガ1.1」(Радуга:虹)の1号機が、969年3月下旬、南行政区のプラグリェース発射場から打ち上げられた。
ロケットの開発と打ち上げを管理している宇宙委員会(国土省、工商計画省、労働福祉省、国家保衛省が共同で所管)によれば、衛星は32分後に分離され、打ち上げは成功した。
共和国が新規の衛星打ち上げを行うのは、626年3月の防衛衛星「シチート」以来343年ぶりで、再建後としてははじめて。
政府は災害対策の観点から、これまで途絶していた宇宙開発、衛星の保有運用体制の回復を急いでいた。
今回の打ち上げ成功によって、観測衛星の保有回復が成され、地震の事前察知に一定の目処がついた格好だ。
(世界の宇宙開発セオリーである気象衛星の開発・打ち上げは、過去と同様にスキップされたようだ)
共和国の宇宙開発は、596年12月に発生した東行政区への大質量隕石落下(最大都市ウメェールイを含む東行政区の半分と首都圏の一部で多大な被害が発生し、900万人以上が死亡した)を受けて、迎撃衛星の保有を目的に事業が開始されたもの。
606年5月に国産ロケットのラードゥガA1を打ち上げ、観測衛星「ゼムリャ」の軌道投入に成功し、以降614年3月には目的であった迎撃衛星「グラス」、622年2月に軍事衛星「ルーク」、626年3月に防衛衛星「シチート」を投入し、列国に並ぶ衛星保有国となっていた。
主力国産ロケットであるラードゥガは、最小構成のA1が保守機材の打ち上げで安定運用された一方、大型衛星用の拡大構成型は失敗が相次いで、財政を圧迫した為、失敗事業の烙印を押された。
ラードゥガ計画を担当した開発企業体は解散され、A1の製造運用のみ国土省傘下の衛星保守部門に移管されている。
共和国にとって宇宙開発は「苦手分野」のイメージが付き纏う。
新生ラードゥガ・ロケット開発主任者で宇宙委員会副局長も務めるイゴール・チェスノコフ氏は、弊紙の取材に対し以下のようにコメントした。
「再建後に新設された宇宙委員会は、宇宙開発の立て直しにあたり、過去の経験を十分に踏まえて、この間準備を行ってきた。ラードゥガのコンセプトは、共和国の国情に最も適しており踏襲している。問題とされたのは基幹部の姿勢制御系が大型構成時に必要な能力を発揮できないところにあった。今回成功した1.1は最小構成だが、将来の大型構成を念頭において十分な改善を施している。国家と人民を失望させない成果をあげたい」
SSpactの各代表が交代/共和国が政治代表派遣国に
サンサルバシオン条約機構は、967年4月、ヘルトジブリール社会主義共和国首都ベルグシュロスの条約機構本部において条約委員会を開催し、機構の各代表役職派遣国を交代することを決議した。
これにより、政治代表をヴェールヌイ社会主義共和国、軍事代表をヘルトジブリール社会主義共和国、外務代表をロシジュア帝聖平和ドミニウムが、それぞれ派遣することになった。
特に軍事代表については、884年3月以来空席状態が続いており、かねてから問題視されていた。近年の加盟国増加や情勢を受けて、組織強化の必要性が検討され、今回の決議に至ったようだ。
政府は、政治代表に現SSpact共和国政府代表部のエル・イグナショフ特命全権大使を継続して当たらせる事としている。(本記事最後に経歴を記載)
共和国は初代政治代表派遣国であったが、国家機能停止に伴い権利喪失。今回の就任は839年9月にぶり二度目となる。
ヘルトジブリールが軍事代表を派遣するのも868年9月ぶりの二度目であり、政治代表・軍事代表が奇しくも発足時(641年10月)と同じ陣容となった。(発足時は政治代表が現在の外務代表の機能を有していた)
注目されるのは、外務代表のトラハト=ラシュハからロシジュアへの交代だ。
ロシジュアは、その特異な政治機構や社会構造が度々注目されており、これを表す「超越」は各国の研究対象ともなっており、ひとつのブランドを確立している。
国際関係においては平和主義を全面に押し出し、非武装国としても知られる。
こうした国が、集団安全保障の枠組みである機構の外交窓口、調整役となることによる「良い変化」に期待が寄せられている。
エル・イグナショフ/経歴
東行政区カニェーク出身。ユーリ・ノルシュテイン総合大学法学部卒業、外務省入省。在サンシャ大使館参事官、国際法規局条約課第二室長、外交政策局安全保障政策課長、外務大臣秘書官、駐ガトーヴィチ特命全権大使を経て、現在は駐ヘルトジブリール特命全権大使、SSpact共和国政府代表部特命全権大使を務める。