約100年ぶりの開国
956年4月、普蘭合衆国は約100年ぶりに開国を宣言した。この100年の間、フリューゲル国際連合が設立されるなど国際情勢は大きな変化を遂げたが、中でもレゴリス帝国・ロムレー湖畔共和国の間に永久同盟なるものが締結されたことは注目すべき事柄である。鎖国中の普蘭合衆国では一切の通告がなかったこともあり、「三国同盟の上位互換として締結されたのでは?」「永久って名前が厨二っぽくない?」など様々な声が聞かれた。
両国とは定期貿易が再開され引き続き友好関係を継続している一方、レゴリス帝国駐普蘭軍は900年代に入ってから本国の命令を殆ど受け付けない状態であり、軍事区画アクアβ一帯を事実上占拠している状態が続いている。首都ベルクマリでも酔っ払いのレゴリス兵が出没しては乱暴狼藉を働くなど治安は悪化の一途をたどっている。合衆国政府はレゴリス帝国本国と協議を求めているものの、のらりくらりと返答を先延ばしにされており問題の長期化が必至の情勢である。
対外的には鎖国直前より対立構造にあったライン共和国をめぐる一連の問題に決着がつき、ヴェールヌイ社会主義共和国 、大石動帝国、成蘭王国と早速国交を開設するなど国際社会へ正式に復帰が行われた。また開国に伴う政府発表が行われ、その中で当面の間フリューゲル国際連合へは加盟を見送ることが明らかになった。従前のライン問題やフリューゲル国際連合起草委員会の脱退など、国際協調主義に対する懐疑的な声は政府・国民共に強く当然との反応が広がっている。
※ライン共和国をめぐる一連の問題に関しては、近く総括として普蘭史観を公表する方針。
普蘭領ラインラント設立
959年10月、非正常関係に陥っていたライン共和国が機能停止に陥ったことによる講和条約が締結された。条約の内容に移すと比較的穏健なもので、非正常関係の終結や今後両国の間で対立が発生しないようラインラント港を開港し、相互理解と友好を促進するため最大限の努力を行うものとなった。ラインラント港の開港式典では、普蘭合衆国政府首脳、旧ライン政府関係者などが出席し関係改善に大きく期待を持たせて終了した。この様に普蘭領ラインラントは両国の合意のもと平和的に設立されたが、神聖ガトーヴィチ帝国アフトルーチキン外相より「普蘭、対ライン戦勝を宣言。非正常関係布告は宣戦布告に相当せずと見ゆ」との談話が発表された。
これを受けて合衆国政府は報道官談話として「講和条約は関係正常化に関する条約であり対ライン戦勝を宣言ではない。むしろ合衆国では強硬的な併合に及んだ瓦帝によるエステル国併合を快く思っておらず、外交問題として提起する可能性がある。」と牽制。与党神聖同盟幹部への取材では「まずは非正常関係を宣言して、瓦帝に対して圧力をかけるのはどうか?」など強硬的な意見も聞かれた。ただ議会全体としては「瓦帝がこれ以上踏み込んでこない限り、開国直後にリスクを侵す必要はない」との考えが主流となっており急激な事態の悪化は回避されたと思われる。
アクアマリン信仰の広がり
鎖国している間、国内ではアクアマリン宝石を崇める民間信仰が勢力を拡大させている。元々一部地域で信仰されていたものであるが、鎖国中ヴェニス領との貿易を通して逆輸入されたものが拡大していったと思われる。ヴェニス領では普蘭人がレゴリス人と並んで40%を占めるなど、ヴェニス株の保有量が少ないわりに強い影響力を維持している。国内有力財閥カレスティア社への取材によると、ヴェニス株の保有量を増やしたい思いはあるが完全に出遅れており今から投資しても期待する効果は得られないと唇をかみ締めた。
有力議員への取材によると「先住民時代はアクアマリン宝石信仰が貢献したことがあったのかもしれんが、今となってはヴェニス社が仕組んだ人々を惑わすカルト宗教のようなものよ」と信仰の広がりに困惑するばかりだった。
その他ニュース
【軍事】ヴェニス社より新式兵器を大量購入。旧式化した軍備を刷新せよ
【政治】レゴリス帝国駐普蘭軍への思いやり予算制定。年10兆Va規模
【社会】ひこにゃんの間でふるさと観光がブーム。毎年1万匹規模のひこにゃんが成蘭王国へ里帰り?
【広告】東方諸国へは普蘭領東インド諸島から御岳大社領御岳山諸島を経由していくのが安上がり