メニュー 閉じる

円角・非評議会派282議員、「超越綱領」を採択

1162年3月28日付〈中央通信〉

 27日、円環派、角錐派、非評議会派に属する共和国議会議員282人がガーネット州モリオン市の旧「南の風」本部で集会を開き、”中道、平等、地域”の3つの原則を柱とした「超越綱領」を採択した。これらの議員は共和国議会内の会派として「超越連盟」(Transcendence League)を結成した上で今後協働して活動することが発表され、共和国に社会主義評議会に対抗する強力な政治組織が生まれたこととなる。一方で、非評議会派議員のうちサンディカリスト系の78議員は「超越綱領」から社会主義の語が削除されたことに反発して超越連盟への参加を拒否し、独自に「サンディカリスト連合」(United Syndicates)の結成を発表、タラン・コーサイト共和国議会議員を初代代表に指名した。
 円環派出身のエント・アベンチュリン生産搬送配給委員長は、1160年の共和国議会議員選挙の直後から「超越的新体制」の樹立を円環派・角錐派及び非評議会派の各議員に呼び掛けており、その中で社会主義、中道主義、平等主義、地域主義の四原則を「超越的社会主義」概念の柱として受け入れることを求めていた。しかし、非評議会派の支持母体である反体制派の中にはこれらの勢力の究極的な目標である共和国の非社会主義化にとって後退となるという理由で社会主義を原則として受け入れることに反対する勢力が少なくなく、最終的に彼らの意を汲んで「超越綱領」からは社会主義が削除されることとなった。しかし、これは結果として社会主義体制への支持を強く求めていたサンディカリスト系議員を超越主義の手から取り落とす結果となり、「超越的新体制」は非社会主義勢力の色が強く出た形となった。サンディカリストが離脱したために超越連盟は発足時点で共和国議会の過半数を確保できず、エントが提唱する「新体制」を実際に実現させるためのハードルは高くなったと言えよう。
 超越連盟は特定の指導者を置かず、最高意思決定機関はすべての共和国議会議員の参加する連盟総会となるが、議会内での代表者はティーナ・ユーファストーン共和国議会議員(議会民主派)が務めると発表された。代表を置かない体制は「平等主義」の原則に則るためであるとされるが、イデオロギー的な統一を欠いた連盟が分裂を避けるためには、特定の人物に強力な権限を与えることを避けなければならなかった以上、必然的な判断であったとの指摘もある。

熾烈なイデオロギー論争に対する嫌気も

 エント・アベンチュリン生産搬送配給委員長が「超越四原則」を発表して以来、円環派・角錐派・非評議会派の間では激しいイデオロギー論争が繰り広げられてきた。ガーネット州内で発行されている自由主義系の報道機関Advance!紙は「エントPLC委員長の「超越」を糾弾する」と題して四原則が実質的に円環派のご都合主義によって形作られたものであると強く批判、非評議会派内でもかなりの議員がエントの四原則を受け入れず、独自のイデオロギーを維持したままに新体制に参加するティーナ・ユーファストーン共和国議会議員の「部屋の二つある家」構想を支持していたとみられている。結果的に、エントが「社会主義」を取り下げることで非評議会派内の民主主義・自由主義勢力の支持を確保することを選び、サンディカリストの支持と引き換えに大枠としては「三原則」となったエントの超越主義路線が採用されることとなった。
 一方で、このイデオロギー論争の中、イデオロギー論争自体を嫌い、「過去の思想に囚われた議論」を離れて「未来へと跳躍」すべきであるとの声も上がった。明確な提唱者は明らかになっていないが、「未来主義」を掲げる一部の議員はエントの四原則は異なるイデオロギーを有する各政治勢力の間の妥協のための概念に過ぎず、一方でティーナの「部屋の二つある家」もイデオロギーの差異を棚上げにするという別の形での妥協を提示しているに過ぎないとした上で、「超越主義」そのものを新たな時代の象徴として受け入れ、社会全体が「超越」に向かって統合されていくべきであると提案している。未来主義派はここで挙げられている「超越」とは何であるかについて明示的な解答を与えておらず、極めて抽象的な概念を提示するに留まっており、それにもかかわらず超越主義に対する統合を求めるというかなり急進的な立場はイデオロギー論争の中で強い支持は受けられなかったが、既存のイデオロギー対立の処理方法で苦しめられることになるであろう今後の超越連盟において、彼らの唱える抽象的な「超越」を受け入れることが一つの解決策となる可能性もあるのかもしれない。

超越主義者たちの外交政策は

 1160年末の共和国議会選挙で、外交委員会は委員会社会主義者の本拠地である「三大城塞」、正方派が確固たる基盤を築いている研究設計委員会以外で唯一社会主義評議会が「勝利」した委員会となった。外交委員会選出の共和国議会議員80人のうち60人が社会主義評議会主流派である正方派・台形派出身の人物で占められた結果は、外交委員会が「超越主義者」たちを信用していないことを端的に示している。委員会社会主義者系以外のイデオロギーを持った外交委員長ははるか昔、979年に当時のテハネ・ヘリオトロープ大統領に指名されたタント・スティショバイト外交委員長が最後であり、同氏が当時の人民党・革新党の委員会社会主義勢力にある程度配慮した外交姿勢を取っていたことを考慮すると、非委員会社会主義系の「外交政策」が前面に打ち出されたのはその前のテレト・ブラッドストーン外交委員長までさかのぼることになる。
 960年に就任したテレト・ブラッドストーン外交委員長は「同盟国重視」の看板の下、リブル・石動両国のSLCN加盟やハルィチナーとの相互援助条約の調印など共和国の安全保障上のパートナーの拡大を推し進め、一時は当時のトーネ・ユーファストーン大統領の後継者と目されていたが、971年に発生したセニオリス・クーデターに関連して生じた大秋津國天照院幕府による安保理決議違反に際し、同盟国(WTCO加盟国)である秋津国の立場を守るために安保理の会合を「数の論理」で押し切る形で一時閉会させた(当時の安保理理事国は同盟理事国が加烈天、一般理事国が路瓦超石の7ヶ国であり、WTCO系理事国3カ国とヘルトジブリールの支持で安保理の会合を終了した記録が残っている)行為が烈路両国の批判を呼び起こしたことを革新党をはじめとする委員会社会主義諸政党に非難されたことで世論支持を失い、978年のトーネ大統領の退任と同時に失脚した。後任のタント・スティショバイト外交委員長以降は一貫して「FUN重視」を掲げる委員会社会主義系の外交方針を支持する外交委員長が就任し続けており、現在は非委員会社会主義系のイデオロギーがどのような外交思想を有しているかすら明らかではない状態となっている。
 このような状況下で、超越主義者たちがどのような外交方針を掲げるかは、次回以降の共和国議会選挙で外交委員会の議席を委員会社会主義者から奪えるかを決定づけるだろう。超越連盟の事実上の発起人となった円環派はその「超越思想」をロシジュア・セニオリス両国から輸入したものとみなされており、実際両国やその背後にあるSSPactとの関係性を重視する声が大きい。SSPactとの関係性重視は社会主義評議会主流派が現状実質的に採用している、「SLCNを中心とした、加烈天協調改め加烈瀬協調の形でのFUN重視」という外交姿勢と無矛盾であり、1160年次選挙でもこれを評価されて円環派は最小限の勢力を外交委員会内に確保することに成功している。これに対して角錐派はBCATを含めたより「広い意味での」FUN主義を訴えているが、これは同派が旧連合党内の親瓦勢力を一定数取り込んでいることに起因するものであると言えよう。角錐派の一部にはKPOを含めた「五陣営によるフリューゲル」を受け入れるべきであるとの意見も存在するようである。
 これに対して、長らく地下活動に甘んじていた非評議会勢力の外交姿勢は全く不明である。かつてのサンディカリストは長年連合党の支持基盤として親瓦的な外交姿勢を支持していたが、1世紀半~2世紀以上前の外交姿勢が現時点でも維持されているかは不明瞭である。自由主義者に至っては「南の風」時代からそもそも外交をあまり重視しておらず、国際社会を単なるビジネスの場と見なしていた節があり、民主主義系の勢力も1020年政変以前の共和国議会で単独で大きな勢力を有したことが無かったために外交についての姿勢は不明確なままとなっている。現時点で新生超越連盟の主導権を握っているのは円環派系であり、したがって外交についての方針も円環派に引きずられた内容になると見られているが、今後各派の独自色が超越主義の外交姿勢にどのように影響してくるかは興味深い。

【政治】動力委員会、技術委員会、それぞれ円環派、角錐派系の委員長を選出。社会主義評議会はこの選出を追認。
【社会】東ジャスパー地域オビキュラーのCDX像に落書きを試みた青年が拘束される。およそ400年前の建立時のツシア・シトリン住環境委員長の発言を引用した上で「CDX主義は超越を否定している」と主張。
【国際】ノイエクルス連邦、イスタシア自治領の領有権について沈黙を保つ。「不明瞭な状況の長期化は同地域の復興に不利益」外交委員長

関連投稿