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共和国議会、解散総選挙決議案を僅差で可決

1158年3月26日付〈中央通信〉

 共和国議会は25日、共和国議会のすべての議員の任期を1160年末をもって終了させ、すべての小選挙区で一斉に選挙を行うことを各小選挙区の選挙管理委員会に要請するいわゆる「解散総選挙決議案」を賛成308、反対256、棄権・欠席36で可決した。この決議案に法的拘束力は存在しない者の、25日中には400以上の小選挙区が選挙の実施に同意し、1062年末に実施されて以来98年ぶりとなる事実上の「総選挙」が行われることは確実な情勢とみられている。
 共和国議会は長い間10年ごとの総選挙を実施していたが、1020年に成立した社会主義評議会体制は反評議会勢力の伸長をもたらしかねない総選挙を拒否し、小選挙区単位で時期を分けてばらばらに選挙を行うことを求め続けていた。評議会体制の成立後、1032年、1040年、1050年、1062年に実施された総選挙はいずれも評議会派が圧倒的多数を確保したものの、非評議会勢力を議会から一掃することはできず、社会主義評議会体制を根拠づけるための憲法改正などの評議会側が求めていた制度改革を遅延させる要因となっていた。1062年以降評議会は総選挙の実施を拒み続け、最終的に1135年に成立した改憲は大統領の廃止や社会主義評議会の憲法への明記とともに、共和国議会の任期制度を完全に廃止することで総選挙の実施要求から法的な根拠を奪い去った。
 しかしながら、この流れの中で進んできた評議会体制内で権力が一部の派閥、特に台形派に集中するようになったことで、評議会内の非主流派に甘んじてきた円環派・角錐派両派の不満が溜まり続け、結果として非評議会派議員の提出した「総選挙要求」決議案支持という大規模な造反に結びつくことになった。円環派・角錐派両派は中央処理・内務公安・軍部の3委員会が主導する社会主義評議会体制内において低い地位に位置付けられていた生産搬送配給・住環境の両委員会内で支持を広げ、両委員会から選出されている共和国議会議員のほとんどすべてである223人に「解散総選挙」を支持させることに成功した。他のいくつかの委員会からも円環派・角錐派両派の影響力によって総選挙への支持が表明されたことにより、50人余りの非評議会派議員グループの提出した「取るに足らない」決議案が採択される結果となったのである。
 円環派・角錐派両派や非評議会勢力は既に総選挙に向けて動き出していると見られている。非評議会派議員の事実上の支持母体と見なされている、社会主義評議会体制内では「非社会主義的」という理由で非合法化されている政治組織-反体制派ー内部でも自由主義者や「委員会解体論」に等しい司法府の独立を訴える急進主義者が主流派から排除され、サンディカリストや議会主義的な穏健勢力が主導権を握ったとされており、来たるべき総選挙において重要な役割を果たすことは間違いない。

非評議会派議席、円環・角錐両派を「食う」形で伸長

1160年12月26日付〈中央通信〉

 25日に投開票が行われた共和国議会選挙(総選挙)は、いわゆる「非評議会派」グループが選挙前のおよそ4倍にあたる200議席を獲得して躍進した。もともと体制内主流派である正方派・台形派との距離が遠かった生産搬送配給委員会や動力委員会での躍進が顕著で、両委員会に配分されている240議席の3分の2を非評議会派が確保した。結果として、両委員会をもともと押さえていた円環派・角錐派が形成したグループは議席数を減らすことになった。しかしながら、非評議会派が勢力を伸ばした結果、正方派・台形派による社会主義評議会主流派を支持する共和国議会議員は全体の半数を割り込み、円環派・角錐派グループは事実上のキャスティング・ボートを握る形となったため、「これは実質的な勝利である」(円環派議員)という声も聞かれている。
 総選挙に先立って、円環派・角錐派両派内部では「非評議会派に完全に合流し、一体となって総選挙を戦うべき」という急進的な意見もあったが、角錐派内で合流は「埋没」を生み、結果として「社会主義評議会非主流派」から「非評議会派内での非主流派」に立場が変わるだけになってしまうという懸念が示された結果、両派の非評議会派との協力は部分的な形にとどまった。これは非評議会派候補との間の「票の食い合い」を生じさせたために、正方派・台形派系の候補を完全に追い落とすことができず、両派が改憲をブロックできる200議席を超える議席数を確保する結果に結びついたと指摘される一方、非評議会派が選挙後の政界において完全な主導権を握ることが阻止された結果、円環派・角錐派両派が強い立場で政治に臨むことが可能になったと評価する意見もあるようである。

動力委員会・技術委員会、現職委員長の解任を決定

1160年12月27日付〈中央通信〉

 総選挙から一夜明けた26日、動力委員会と技術委員会はそれぞれカイネ・モリオン動力委員長とヤノン・アメシスト技術委員長を解任することを発表した。両委員長は正方派に属しており、1143年にユシン・トリディマイト中央処理委員長に指名されて委員長に就任していた。26日の総選挙で両委員会では円環派・角錐派連合と非評議会派が大幅に議席数を伸ばしており、両委員会の実質的な支配者が社会主義評議会主流派勢力から移ったことを端的に表す結果となった。
 1135年憲法では各委員会には名目的に大幅な自治権が認められており、法的には各委員長はその委員会によって指名される規定となっていた。しかしながら、1020年以降の慣例から、各委員会は中央処理委員長が指名し、社会主義評議会の承認によって就任することが繰り返されており、実質的には「三大城塞」が他の6委員会を支配している状態であった。動力・技術両委員会は委員長の解任に際して「中央処理委員会の後任指名は受け入れない」ことを明確にしており、「三大城塞」による委員会支配は崩壊しつつあると見られている。
 一方で、外交委員会でもムメイ・トリディマイト外交委員長の解任が提案されたとされているが、外交委員会は総選挙の結果議席数の4分の3を評議会主流派が占めるなど評議会主流派の影響力は未だに強く、解任は拒否される結果となった。

【国際】ルクスマグナ、総会特別会期での「公約」を果たす軍備削減。外交委員会内のタカ派からは「特別会期から軍縮の実行まで長期間要した理由を問うべき」の声も。
【政治】セビーリャ一般理事国退任について、一部外交委員から「ムメイ外交委員長の国連大使時代の姿勢に起因」との批判も、正方派・台形派はムメイ外交委員長の外交姿勢を評価する態度を崩さず。
【経済】商業売上高年間1800兆Vaに到達。「商業国家としての到達点」生産搬送配給委員長談。

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