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【特集】カタリナ国連大使に訊く国連とセニオリス外交の展望 他

1157年11月24日付

【特集】独占インタビュー カタリナ国連大使に訊くフリューゲル国際連合とセニオリス外交の展望

<北方セニオリス新聞>

国際の平和と安全の維持を目的とするフリューゲル国際連合の歴史は、1150年3月で300周年を迎えた。最初期においては当時の同盟理事国となった三大国、”烈天加三国協調”の延長線より始まったとも言われる国連は、その後の国際情勢の変化――BCAT、KPOなど新陣営の登場を経ながらも、国際秩序の安定と大戦の防止に変わらず貢献しつづけている。

国連中心の世界秩序は今世紀においても継続していくものと見られ、憲章の理念はいまやフリューゲルの全ての主権国家における常識とさえ思われるまでに到達しているが、一方で国際連合の内部においては課題も存在している。当初の国連本部があったヴェニス・コンプレックスの滅亡以来の本部所在地の問題は、1080年5月の安保理第53号決議で勧告されながらも未だに決着していない。フリューゲル中央銀行の体制の問題は、中銀のフリューゲル経済における主要な役割の遂行のために必要性が強調されながらも、議論は低調のまま第30回通常会期での決議案提出は見送られた。総会や安保理における、手続きの問題点も度々指摘される事項であろう。

散見される国連組織の課題において、安保理同盟理事国としてセニオリスが果たせる役割とは何か?今後の国際連合が目指す姿とは?1147年に就任したカタリナ・ハルクステン=エルステイン国連大使に尋ねた。

カタリナ・ハルクステン=エルステイン(Katarina Hrqstn-Elstein)第9代国際連合セニオリス政府常駐代表とは?

カタリナ・ハルクステン=エルステイン国連大使

経歴

1110年セニオリス連邦ハルクステン州生まれ
1132年聖ラウリス女子大学国際法学部卒、同年民間企業に就職
1135年ハルクステン州議会議員に当選
1138年州議会議員を辞任、ハルクステン大学法学研究科(大学院)へ
1143年ハルクステン大学博士課程修了、同年セニオリス外務省に入省
1145年国連セニオリス政府代表部
1147年国連セニオリス政府常駐代表

人物

自身でも「起床時間の半分以上は喫煙している」と自称するほどの愛煙家として知られるが、一方で喫煙所以外での喫煙を行っていた同僚らを強く咎めるなど強硬な”分煙派”としても知られる。
この振る舞いにより「喫煙者の友人はほとんど居ない」とは多くの関係者が語るところでもある。
執筆論文は『国連安保理同盟理事国就任によるセニオリス外交の変容』など。
ドゥブラフカ・ハルクステン=エルステイン第7代国連事務総長は女系の祖先。

総会と安保理、国連の両輪を司る役割

――本日はよろしくお願いします。

「はい、よろしくお願いします。」

――さて、早速ではございますが、より具体的な質問に入る前段階として、まずは国連大使の業務内容についてお聞かせください。

「かつての時代、外交の最前線は首脳や外相級の会談にありましたが、国連以降における最前線は、国連大使間において完結することが多くなりました。無論、これは首脳・外相クラスのやり取りが重要性を失ったというわけではないのですが、少なからずの外交的駆け引きは最終的に国連組織の内部で完結するとの意味で、国連大使の立場は重要なものと考えています。」

――国連体制下においても、新たな国際機関の創立や平和友好条約の締結など首脳・外相クラスの会談により外交状況が大きく変化する事例はありましたが、国連大使間のやり取りにおいてもそのような外交状況の変化は起こり得るのでしょうか。

「国連大使は、あくまで国連組織の枠組みの中ではあるものの各国政府を代表する立場です。国連組織は非常に大きな枠組みであり、現下で大戦級の戦争を防いでいる最大の要因でもあるわけですから、大使級のやり取りにおいて外交状況が変化してしまうことは容易に起こり得ます。平和に対する脅威への強制措置や、安保理決議に基づく共同統治領の設置など、国連大使が国家主権に関わる交渉を担う場面も存在するのです。」

――国連大使の職務について、重要性のお話を伺いました。セニオリス連邦は国連においては、現在安保理同盟理事国として活動している状況にありますが、他の加盟国の国連大使との活動に差異はあるのでしょうか。

「違いを論じる観点としては、2つの軸が考えられます。非理事国と理事国という比較では、安保理における発言機会を有するか否か、というものがあります。オブザーバー参加を認められた場合を除き、非理事国は安保理においては発言機会を有しておらず、議論に際して自国政府の見解を述べ関与する機会を持ちません。全加盟国で構成される総会と、理事国で構成される安保理の双方における発言を考慮する必要があることで、理事国の国連大使は非理事国に比べ活動量が増加しやすい傾向にあるでしょう。

そして安保理理事国の間においても、一般理事国と同盟理事国においては活動内容に相違が生まれます。一般理事国は多くの面で同盟理事国と同様の権利を有していますが、拒否権を有しておらず、またその地位が10年ごとの4カ国の推薦に拠る違いがあります。拒否権を有さないことで一般理事国の反対が無意味になるということは当然ありませんが、最終段階での究極的な歯止めのような役割ができないことは留意すべき点です。また、陣営の合意によって選出される同盟理事国と異なり、自らの推薦票4票分のための調整に当たる局面も存在することでしょう。

一方で同盟理事国は拒否権を有するため、安保理決議の採択にあたっては必ず同盟理事国の反対を避ける必要があります。最もこれまで安保理においてこの拒否権が発動した機会は存在していませんが、これは事前より全同盟理事国が同意できる前提で決議案が作成されてきた証左というべきでしょう。実質的には決議案の成否を決めるという点において、同盟理事国の役割は重要なものと言えます。」

安保理新時代とともに始まった同盟理事国セニオリス

――同盟理事国の重要性についてのお話がありました。現在安全保障理事会には4カ国の同盟理事国が存在する中で、セニオリス連邦が果たすべき独自の役割といったものは考えられるのでしょうか。

「現在のセニオリス連邦の役割を考えるにあたっては、1041年の同盟理事国任命を受けた時期より振り返るのが望ましいでしょう。1041年は安保理の人員に大きな変動が起きた年代でした。この年には我が国の同盟理事国への任命、同盟理事国としてのカルセドニーの復帰、国連創設以来の一般理事国であったロムレーの非理事国化など数々の変化がありましたが、中でも最大だったのはBCATから初めての同盟理事国が任命されたことでした。これは憲章第12条第2項に記されているような、3陣営より代表国が選ばれる旨同意されていた時代を考えれば、明らかに画期的な変化でした。

憲章第12条第2項が存在している経緯は諸説があろうかと思われますが、おそらく国連が当初はいわゆる烈天加三国協調の延長線として形成されてきた背景が反映されたものではないかと私は想像しています。事実として、国連創設からしばらくの同盟理事国は、レゴリス・ヘルトジブリール・カルセドニーの三国が任命されてきました。この三国協調の時代は、我が国で起きた忌々しきクーデター事件も含む複数の外交的な連鎖反応により、990年代には既に終わりつつありましたが、1041年の安保理編成の大変化はその終了を象徴する最大のきっかけと言えることでしょう。

この背景を振り返るならば、1041年より同盟理事国を勤める我が国の役割とは、ポスト・三国協調時代の国連における要を担うことであろうと私は考えます。」

――先ほど同盟理事国の役割についてのお話において、全同盟理事国が同意できる前提での内容が作成されてきたとの話題がありました。ポスト・三国協調時代の安保理とは、新たに加わったBCAT同盟理事国たるヴェールヌイも含めた4カ国での協調を目指すことになるのでしょうか?

「先ほども述べた通り、同盟理事国は拒否権を有しておりますので、決議案の成立にあたっては全ての同盟理事国が反対しないことが必要条件です。決議案の成立により、安保理がその任務を適切に遂行することを望むのならば、我が国を含めた4カ国の同盟理事国が納得できる範囲での活動に限られることは避けられません。その意味合いでは、三国協調に変わって四カ国協調が訪れるだけだとの指摘はその通りなのかもしれません。

しかしここで強調したいのは、三国協調時代の負の側面とは、それは当時のフリューゲル経済の大部分をなした超大国らによる秩序決定の時代だったということです。先にも述べた通り、1041年においていわゆる三国協調は名目上も完全に消滅しています。我が国が目指すべきは、過去SSpactを代表し同盟理事国を勤めていたヘルトジブリールの代替となることでも、限られた国家による秩序決定の枠組みとしての四カ国協調を作ることでも、あるいはその片棒を担ぐことでもなく、国連創設当初からも変化している国際情勢の中で真の国際協調の姿を模索することなのではないでしょうか。」

強硬な”分煙派”としてのルーツ

<<カタリナ国連大使からの申し出により喫煙休憩に入る。喫煙室において、大使の素顔について伺った>>

――カタリナ国連大使といえばセニオリスにおいて類を見ないほどの「愛煙家」として知られていますね。不躾ながら、私も喫煙者の端くれとして、大使の喫煙習慣について非常に関心を持っております。一日どれほどの量をお吸いになられるのでしょうか?

「お恥ずかしい話ではありますが、実のところ私は場所と時間が許す限り無意識に消費している面があり、私自身では日々の消費量をほとんど把握できていないのです。かつて秘書に言われたところでは『1日に8ダース』なのだそうですが、私自身でも信じがたい数字です。そうですね…昨日補充に充てた箱数を考えますと、1日の消費量はおおよそ5ダースほどになっているのかもしれません。」

――どちらにしても、驚くほかない数字です。拝察するに、そちらは比較的”弱い”タバコであるように思われますが、より”強い”タバコを嗜まれることはないのですか?

「例えるなら、ガムのようなものです。刺激的なガムは眠気覚ましには役立つかもしれませんが、日常のひと時で心穏やかに過ごしたい時にわざわざ嗜むことはしませんよね。最も、ここまで明確に吸い分けている喫煙者は私くらいなものでしょうが。」

――大使にとっての”強い”タバコとは、どのような物なのでしょうか?

「集中力を高める時や、気分を全く切り替えたい時に利用することが多いでしょうか。日常の1本で充足感を得られるというと嘘にはなりますが、満ち足りない感覚を知っているからこそ、重要な局面での1本が効果的になるものです。」

――そのようなお考えを持つ大使が、喫煙を始められたきっかけをお教えください。

「20代、ハルクステン州議会議員を勤めていた頃です。忘れもしない、議員2年目の時期でした。あらゆる人々との協力、交渉、論戦…ありとあらゆる手を尽くしてようやく予算成立の見込みが立とうというときに、議会の中心的人物による重大な収賄事件が発覚したのです。それは凄惨な光景でした。私達の血の滲むような努力の結晶が、一瞬にして吹き飛ばされてしまったのですから。

しかし予算の成立を期待していた支援者にとっては、収賄など知った話ではありません。予算が流産となり虚ろな足取りで事務所に戻った私を待ち受けていたのは、大量の抗議の電話と、若手議員からの情報の引き出しを狙うマスメディアでした。

もはや顔面蒼白となった私に、先輩議員が勧めてきたのが、丁度今吸っている物と同じ1本とライターでした。それは私にとってはこれまで無縁のものでしたが、もはやあらゆる気力が失われた中では救いの手であるかに感じました。その1本は私の気分を劇的に変えたわけではありませんでしたが、私自身にもう一度”生”を取り戻させたように思いました。これが、私にとって最初の喫煙でした。」

――現在のような喫煙習慣は、ハルクステン州議会議員の時代に由来するものでしょうか?

「あの数年間は、なにかに頼らなければ到底やっていけないような時期でした。収賄事件以来、ちょうど州議会に嵐が吹き荒れていた時期だったという不幸もあったのかもしれません。

一つだけ、事例をご紹介しましょう。あれは私がハルクステン城を視察していた時の出来事でした。スケジュール調整などは全て関係者のみで行っていたはずでしたが、私を含めた州議会議員に対する抗議デモに取り囲まれる事態が発生したのです。デモ隊は私達に対する怒りの言葉を直接ぶつけ、それは警官によってデモ隊が直接排除されるに至るまで続きました。その中には私に対する個人攻撃もあり、私がハルクステン城の利益を不当に得ているとの言葉を受けました。私たちの一族がハルクステン城の城主だったと言われる時代は、第一共和国よりも以前だというのに…。当然、ハルクステン城は国営の公園であり、私たち一族が何らかの利益を得るようなことは一切ありえません。第一共和国の時代でもこの構図は同様だったことでしょう。

このように、あらぬ言葉に歯を食いしばったり、あるいは信頼を裏切られ絶望した日が何度あったことか。精神的に過酷な状況下において自らの生を実感するには、もはや喫煙以外の選択肢はなかったのです。」

――現在のような熱心な分煙派としての立場もまた、当時より形成されたものなのですか?

「喫煙は適正な場所と時間に行われるべき、私がこのことに気づいたのは、喫煙を始めて少し遅れてからのことでした。州議会議員の仕事につかの間の休息が出来、実家で過ごしていた私は、何気なく一本に火を付けました。しばらくすると、居合わせた妹が激しく咳こみ始めました。妹は重度の喘息でしたが、議員としての職務で余裕を失っていた私は、そんな単純なことさえも忘れていたのでした。喫煙という一個人の満足のために、他者に重大な不利益を与えてしまったのです。私にとって忘れられない、痛恨の失敗でした。」

――妹さん、あるいはご家族から大使の喫煙習慣について何か仰られたのですか?

「いえ、妹は心優しく、議員生活の大変さも理解していましたから、私の習慣について触れたことは一度もありません。家族も同様でした。しかし妹の身体は間違いなく、はっきりとした形で、煙を拒んでいました。

共有の場において、個人が煙を嗜む影で他者の不利益が見過ごされてはなりません。周囲への配慮を見落とす視野狭窄こそが、喫煙者の立場をより狭めているのです。私は煙とともにあるひと時無しでは耐えられない身体となってしまいましたが、そうであるからこそ、良識ある喫煙者でありたいものです。」

国連の残された課題、セニオリスの担うべき立場

<<喫煙室から戻りインタビューを再開した>>

――国連組織の課題と、今後セニオリスが担っていくべき立場についてお伺いします。まず現状の国連組織について、大使の認識する課題についてお聞かせください。

「フリューゲル国際連合は創設から300年を越えましたが、その加盟国数は多少の前後がありながらも10カ国以上、多くの期間で20カ国前後の水準を保ち続けています。国連憲章に謳う理念・目的がもはや国際社会の共通理念とさえも言える中ですが、組織の運営上の問題は実のところ国連創設当初よりあまり大きく変わっていないように思います。最たる事例が、総会の会期制です。国連総会の通常会期は10年を1会期として開催される形となっていますが、これまで実に13回に渡り会合が開かれない会期が存在しました。

会合の開催に至らない理由としては、期日までに提出された議題が存在しなかったというものになります。しかしこのような会合が行われていない期間中に提出された議題についても、10年単位で開催する会期制を理由として、本格的な議論については結局次の10年を待たなければなりません。ここから総会の課題については、議題提出から即座に議論に移れない制度の問題や、議題がない期間においても1会期となる問題、あるいは1会期あたりの長さの問題についても指摘することが出来るでしょう。

より直近の問題としては、国連総会本部の問題も指摘できることでしょう。国連本部は創設時の総会第1回通常会期で決議されて以降ヴェニス島に置かれていましたが、ヴェニス・コンプレックスの滅亡以降は1080年5月の安保理第53号決議でカルセドニー社会主義共和国内に臨時本部が置かれ、以降正式な本部所在地は未だ策定されないままとなっています。」

――エーゲ地域の問題など、国際情勢に関わる議題についてはつつがなく解決されているように見られる一方で、国連組織そのものに関わる課題は残り続けているということでしょうか。

「すべての加盟国が参加する議論の場として、総会の機能性は国連全体の利益にとっても重要なことです。先程述べたように現在の総会の運用は国連創設以来のものですが、この問題が残置されてきた背景には創設からしばらくの数会期においては問題が表面化してこなかったとの理由もありますが、憲章改正の難易度の高さという理由もありました。総会通常会期は国連憲章によって10年に1度と定められていますが、この改正には当初は加盟国3分の2による批准完了という高いハードルがあり、抜本的な改革は暗礁に乗り上げていました。総会を含めた国連組織の改革への道筋がようやく開けたのは、1135年に憲章改正の要件が大幅に緩和されてからのこととなりました。

国連本部の議論は、第1回通常会期において定められた当初の本部所在地が滅亡したことが直接の要因ですが、現在のように再策定が難航している背景の一つには、第1回通常会期において所在候補地に関する議論が不十分なまま半ば既定路線のようにヴェニス島が策定されてしまった経緯もありました。第1回通常会期中に提起されていた国連本部所在地に関する三原則についても、むしろヴェニス島への設置を規定化するためのように挿入された文言により、ヴェニス滅亡後の再策定の困難化を招いておりました。三原則については1140年代の第30回通常会期で修正され、所在地策定の道筋についても現在行われている第31回通常会期において我が国として提案を行っているところです。」

――憲章改正の簡化と、国連本部再策定にむけてのセニオリスの取り組みについてお伺いしました。現在の国連組織の課題を踏まえ、セニオリスが今後果たすべき役割について改めてお聞かせください。

「先ほど休憩前に、我が国の役割としてポスト・三国協調時代の国連の要を担うとお話しました。そのうえで現状の国連の課題を踏まえるならば、ポスト・三国協調時代の国連の要として、限られた国家間の合意形成ではなくより幅広い国家間での合意形成を基調とした国連への改革、すなわち総会の制度改革などを通じた国連組織全体の活性化を主導することこそが、セニオリスの果たすべき役割だと私は考えています。」

――本日はお忙しい中貴重なお話をお聞かせいただき、ありがとうございました。

「ありがとうございました。このインタビューを通じ、皆様に少しでも国連の活動に関心を抱いていただければ幸いです。」

<<終>>

【政治】ミロシュ大統領、次期選挙への不出馬を表明 制度的超越党への配慮か

<イグナイト・タイムズ>

1157年10月、ミア・ミロシュ大統領は記者会見を行い、1159年5月に予定される次期大統領選挙への立候補を見送る考えを示した。後継指名については「現時点で心に決めている候補者は居ない」としながらも、「平等と超越というコモンウェルスの根幹的価値観を担える候補者が望ましい」と期待を示した。不出馬の理由については「大統領としての残りの任期に集中し、平等と超越を真にセニオリスに根付かせ引き継いでいくため」とした。識者らは「事実上制度的超越党(ITP)の候補者を後継指名したもの」と指摘している。

ミロシュ大統領の選挙対応を巡っては、前回選挙で政党連合「社会党・加速ブロック」として選挙協力したITPで交代論が囁かれ始めていた。ミロシュ大統領はセニオリス社会党(ŠSP)所属ながらITP加速派を引き付ける連合の中心的存在となったが、議会選挙を通じŠSPはITPにお株を奪われた形となった。ITP内部では、浮いた存在となっていた少数派閥も主流の加速派の指針に合流した他、議会での支持基盤を欠き存在感を示せていないミロシュ大統領の手腕を疑問視する向きもあり、挙党一致の候補を求める声がますます強まっていた。

今回の不出馬は、1159年選挙におけるITPとŠSPの選挙協力継続のための配慮とも見られる一方で、ŠSPの党員からは「ITPによる乗っ取りではないか」との声も漏れ聞こえる。大統領の表明についてITP幹部は「ミロシュ大統領の超越的平等への取り組みに敬意を表する」とし、「大統領の路線は継続されなければならない」と後継候補の擁立を示唆した。

その他

  • 【政治】セニオリス民主同盟、次期選挙において政党連合を形成しないと表明 幹部「我々自身の手で保守の教えを訴える」(ヤドラスコ・ニュース)
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  • 【政治】ガレシッチ首相、次期選挙について「中道路線の継続問う」 与党連合での選挙協力か(イグナイト・タイムズ)
  • 【社会】「平等こそが超越だ」ITP支持の労組がイグナイト中心街を行進 加速主義の支持広まりを示す(労働者ネット1000)

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