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ヤドラスコ出版『燃ゆる薔薇園』

副題:虚構世界のロシジュア

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(月刊芳醇915年7月号 コラム『超越的に学ぶ”超越”』)

「超越」とはなんでしょう?価値観の乗り越え?近未来的デジタル統治機構?はたまた、人智を超えた存在への畏敬でしょうか?超越とは一見してわかりにくい突飛な概念であり、フリューゲルの政治理論をこれから学ぼうという者たちの頭痛の種としても広く知られた存在となっています。冒頭で紹介したように、超越の具体例として思い浮かべる存在がそれぞれに全く異なるという方も少なくないと思います。

実は、読者の皆様が超越と聞いて思い浮かべたそれぞれの事例は、全て誤りであるとも言えません。同様に、超越に対する捉え方にも実は一通りの見方はないのです。本稿では、超越という概念に関して、私なりの見解を述べていきたいと思います。

超越君主制の概要

先でも察せられた方も多いかと思いますが、超越という概念を学ぶとき、抽象的な字面が非常に多く用いられます。
イメージを掴むためには、超越のその始まりに学ぶのが最適です。ここでは超越の誕生の地であるロシジュア、その統治体制の「超越君主制」について見ていきましょう。

統治理論を学ばんと志す多くの人にとって、君主制と共和制という大きな二大区分は非常に馴染み深いものでしょう。君主制とは、世襲などによって継承されていくたった一人の人物が国家のトップに君臨する形態のことです。君主制は、その国家のトップたる君主が持つ権限に基づきさらに絶対君主制、立憲君主制など細かい分類を行う事ができます。ロシジュアの「超越君主制」もまた、この君主制の派生として成立しました。

成立の経緯を見てみましょう。ロシジュアの建国当初の国号は「ロシジュア帝国」であり、多数の軍閥を平和的に統合した皇帝が君臨する君主制国家でした。しかし850年8月、ロシジュアの首都での大火に皇室が巻き込まれるという大事件が勃発しました。

臣民の懸命な捜索・救命活動にも関わらず、皇室の多くは行方不明のままでした。しかし火災の様子を中継していたあるメディアが、炎に囲まれる中に在る皇帝の姿を捉えていました。皇帝はなおも周囲を見回していたようでしたが、やがて大火傷のためか激しく吐血すると共に倒れ込み、そのまま炎に包まれて消えてしまいました。皇帝が焼死する様子がロシジュア全土に中継された、衝撃的な瞬間でした。

直ちに樹立された臨時政府は、皇帝の焼死という事態に際し、統治機構の行方について決断を迫られます。空位である帝位を相応しい人員に託すか、共和制に移行するか。一般的な選択肢としては、こうした道のりが考えられるでしょう。

しかし、ロシジュアの民の皇帝への敬愛は、単なる建国者への畏敬の枠を大きく超えたものでした。民衆は皇帝がいないという事実を受け入れることが出来ず、帝位の継承や共和制の移行などの全ての現状変更を拒みました。一方で、全国的に中継されたロシジュア皇帝の死の瞬間は、ロシジュアの人々の記憶にトラウマのように刻まれており、人々が最も受け入れがたい皇帝の死という事実の物的証拠となっていました。

皇帝は今もどこかで見守っているという淡い期待と、その皇帝が既に死んでいるという動かぬ物証の矛盾に苛まれた集団認知は、やがてある一つの概念に行き着きます。かつてロシジュア国民に寄り添い、死してなおなお畏敬の念を受ける皇帝陛下…ロシジュアの民は皇帝陛下が皇帝でなくなった後も、「陛下」と呼び導きを仰ぎ続けました。そして、皇帝の死の間際の激しい吐血、皇帝を包んだ炎という、人々のトラウマとして刻まれたこの光景は、「”陛下”は人智を超越した存在となり我々を見守っている」という主張の論拠へと変貌しました。これが、「人智・生命を超越した存在である”陛下”が君臨する」ロシジュアの「超越君主制」の誕生となったのです。

ではここで、ロシジュアの体制についてより掘り下げてみましょう。このロシジュアの体制を分類するとするならば、それは君主制でしょうか?それとも共和制でしょうか?

実態を見れば、君主たるロシジュア皇帝は先述の通り既に存在しておらず、その統治は「ソシアート」が全てを担っている状態です。ロシジュアの実際の制度上も、「ロシジュア皇帝」が空位であることは宣言されており、臨時政府を継承した「超越的移行ソシアート共同体(TTSC)」は「君主制途絶えし後の新体制への平和的移行」を当初の目的としていました。君主の地位に関する規定は完全に削除されて久しく、全ての意思決定はソシアートにおいてなされています。したがって分類を行うならば、ロシジュアの体制は「共和制」に分類されるべきでしょう。しかしロシジュアの民は、その統治が人智・生命を超越した”陛下”…すなわちかつての皇帝に導かれていることを信じてやみません。実際の政府の意思決定において、かつての皇帝は建前上も含めて一切介在しないにも関わらず、ロシジュアにおいて”陛下”は当然に存在しているものと認識されているのです。

学会における定説を紹介しましょう。現在の一般的な学説では、ロシジュアにおける特殊な統治状態について、”陛下”が君主制の流れを汲んだ概念である点と、実態に関わらずこの”陛下”が国家を導いていることが当然視されている点を反映し、この体制を君主制と解釈し『超越君主制』と定義しています。「君臨すれども統治せず」の立憲君主制との比較としては、制度上の君主権限が形式的な物も含め全く存在していないことや、そもそも君主が物理的に存在していないことが相違点とされます。これらのことから、ロシジュアの特殊な体制は『君主がいない君主制』、『統治すれども君臨せず』と形容されることもあります。

最も、この定説が全ての専門家に支持されているわけではありません。ロシジュアの体制に共和制という以上の意味合いはないという見解もありますし、TTSCをロシジュア帝国下部の一組織と解釈し一般的な君主制の一時的形態に過ぎないとみる見解もあります。TTSCの公式見解としては、ロシジュア皇帝の死によって帝国成立以来の君主制は断絶したとしているものの、現在の形態については言明を避ける形を取っているようです。ロシジュア皇帝が死したという事実を反映しながらも、君主への想いを残す国民感情にも配慮した対応だと言えるでしょう。

ロシジュア以外の事例を見てみましょう。超越的な政治体制を採用した国として代表的なものは、崇高エンヴィーゲ守護天使国が挙げられます。この国は社会主義国家における共産主義クーデターに対するカウンタークーデターによって誕生した政権です。その指導者たちはかつての建国の英雄を目標とし、たゆまぬ努力により超越的存在に至り、国家を内外のあらゆる脅威から守護することを掲げています。また現在は解散済みですが、ロシジュア国内にて形成された北海連邦の亡命政府である極圏超越主義連合は、亡命理由となったクーデターにより命を落とした那賀野提督をなおも指導者とした政府でした。故人に指導者としての永遠の生を与えるという、まさしくロシジュアの超越君主制と同様の事例だと言えるでしょう。

両者の事例に共通することは、過ぎ去ってしまった時代を慈しみ、過去と現在という時系列の隔絶を超越し、過去の人々の助力あるいは模倣によって現在の問題解決を試みるということです。ロシジュアの超越君主制もこれにあたります。「超越」を読み解くうえでの捉え方として、「時系列の超越」はその一つとなりうるかもしれません。

超越君主制の位置づけ

君主制・共和制の区分とそれらに対する超越君主制の位置づけを考える中で、歴史上試みられた存在である選挙君主制は留意すべき概念でしょう。君主制の形式を残しながらも、その冠を戴く者を貴族による投票で選ぶというこの体制はフリューゲル史においては事例に乏しくありますが、地球史においてはポーランド=リトアニアが著名でしょう。そもそも君主制国家と共和制国家における国家元首を考えた時、両者を隔てるものは「世襲による継承」であるはずです。この一点を踏まえれば、選挙を経て継承される選挙君主制の君主と共和制の間に明確な境界線を引くのは困難にも思われます。

この「選挙君主制」により詳しく見ると、公的には共和制を標榜した場合や、実質的には世襲君主制として機能した場合など様々な事例が存在したようですが、超越君主制との関わりという観点で見て重要なことは、「君主制と共和制という異なる概念の要素を併せ持つ」という点です。世襲による継承は認め難いが、共和制も正統性が薄くなるため認められない、そのような思いから生まれた「特異的体制」であるという点こそが、超越君主制と似る部分となるでしょう。

個人的な見解を述べるならば、超越を冠する体制には、民衆が持つ強い思い・理想へ突き進む力こそが欲しいところです。ロシジュアの超越君主制は、皇帝陛下は既に無いという現実を突き付けられながらも、なおも皇帝陛下を失いたくないという民衆の強い思いから生まれたものでした。これは貴族や特権階級の保身として利用される選挙君主制との大きな違いです。既存の観念の枠に留まらない理想を求める民衆の強い思いの現れ、その成功例こそが「超越」なのではないかと思慮します。

(「理想への推進力」と言えば聞こえは良い。だが、その定義をもってするならば、ロシジュアの現在の体制はどうだろうか?我々の理想は皇帝陛下に末永くお導きいただくことだった。だが、TTSCの口上はそうではなく、「既存の君主制は断絶した」と断言している。民衆の強い思いの具現化のみをその論拠とする「超越君主制」は、余りにもTTSCにとって都合の良い解釈なのではないか?「現在の形態は人の解釈による」とするTTSCの口上は、我々を都合よく共和制に馴染ませるためだけのものではないか?私にはより深い研究が必要だ)

超越君主制に関する一通りの説明としてはこのようになります。ここまでで、超越という概念が「既存の観念を超えた全く新しい理想、あるいはその実現を目指す体制や理論」を指すということが、薄々でも理解いただければ幸いです。

「超越」の語源

そもそも、超越という概念が形成された経緯とは何なのでしょう?超越という名称については、先に紹介したロシジュアの特殊な体制の成立時における国名「ロシジュア超越的移行ソシアート共同体(Transcendental Transitional Sociatic Commune of Ruszuah, ロシジュアTTSC)」に含まれていた「超越」という文言に由来します。

(「ロシジュア超越的移行ソシアート共同体」、私はこの国号を反芻する度に、口の中に苦みを感じる。私は「ロシジュア帝国」の臣民であった。私は誇り高きロシジュア帝国の臣民として、皇帝陛下の恩寵を感じながら日々を過ごしていたはずだ。だがこの国号はなんだ?ここには皇帝陛下の息吹は感じられず、そして帝国からの「移行」という無慈悲な文字列が我々の心にトゲのように突き刺さっている。国外の友人らは「超越」のみを話題とするが、私にとっての真の問題はそこではない。皇帝陛下が超越的存在であることは明白なのだから。この国号の真の問題は、そのような皇帝陛下の恩寵から「移行」を唱えていることだ。我々の心の拠り所が何であるか、もう一度考え直す必要があるのだろう。その意味で、この国号を話題とする友人らには感謝したい)

ロシジュアの特殊な体制は、既存の観念との相違点の大きさから独自の呼称が与えられる運びとなり、新たな国名の特徴的部分であった「超越」を由来に『超越君主制』と呼ばれるようになったということです。そして、超越君主制の研究者の間ではここから「既存の観念を超えた存在」という要素を抽出し、他分野の思想概念にも適用させる動きが広まりました。その結果、より一般化された概念として生まれたのが「超越主義」。この概念が何を目的とするかは、ここまでで述べてきたとおりです。では、超越主義の成立過程を俯瞰したところで、その多様性についても見ていきましょう。

超越主義の多様性

既存の多くの政治思想においては、その思想を象徴する特定のシンボルを持っていることがあります。著名なものは共産主義のシンボルたる鎌と槌でしょう。このシンボルが浸透したのは、生産手段の公有化による万民平等という共産主義の理念が、世界中で一致するものだったからでしょう。もちろん各国の共産主義思想においてはその国や理論家の特色が現れることもありますが、基礎理念を共有しているために同じシンボルを用いることができるわけです。特定のシンボルを持つことで、より幅広い層に思想を訴えかける効果も期待できます。

では、超越主義はどうでしょうか?結論から述べると、超越主義に特定のシンボルは存在していません。なぜならば一括りに超越団体と言っても、各段階で超越のベクトルがあまりに異なるために、一目で訴えを示す共通したシンボルを求めるのが困難だからです。超越主義の定義が「既存の観念を超えた理想」であるために、超越主義の対応する領域は非常に広いものとなります。

例えば医学分野では皇帝陛下が死の間際に起こした吐血に着想を例えば医学分野では皇帝陛下が死の間際に起こした吐血に着想を得た、「超越医学」が広がりを見せています。これは万人が共通して持つ血液に対し研究を深め、皇帝の至った超越的存在へ少しでも近づこうというものです。この医学の広まりによってロシジュアの医療における輸血は著しく効率的なものとなったのみならず、近年では血液の新たなる活用法も発見されつつあるとのことで、今後が期待されます。

文化分野では、「超越芸術」のブームも注目されます。この流派は、皇帝陛下の死の間際を象徴付ける血・炎をキャンバスの中で昇華させた作品が発端となり、急速に広まりました。先鋭的な赤色、皇帝陛下への畏敬、生命・物質の超越などをテーマとするこれらの作品は、ロシジュアを代表する存在ともなりつつあります。近年行われた初の超越芸術のみを扱った展覧会は、ロシジュア史上に残るほどの来場者数を記録しました。

もちろん超越主義の出発点である政治分野においても、多くの超越主義的な体制構想が流布しています。このように超越主義は分野の別け隔てなくどこにでも出現する可能性を秘めており、その遍在さゆえに特定のシンボルで表すことが困難なのです。

まとめ

ここまで長々と述べてきましたが、私としても超越に関する理解が十分とは考えていませんし、ここで示したのはあくまで私の個人的見解に過ぎません。百人いれば百通り、いやもしかしたらそれ以上の超越があるのが「超越」であり、答えがないのが超越と言っても過言ではありません。ここまでで述べた「既存の概念を越える」というキーワードさえ押さえれば、誰しもが超越の担い手たることが出来るのです。本稿を読み超越への関心を抱かれた方は、ぜひ皆様なりの超越のあり方について考察してみてください。読者の皆様が今後とも健やかな超越ライフをお送りすることを願っています。

執筆者:ナターシャ・リアクショナ(超越政治学特別教授)

執筆者近影

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エレーナ・インサイティナ名状しがたき自由主義
エレーナ・インサイティナが中務ソシアート代表の地位にあるということは、すなわちロシジュアが正常な軌道を進んでいることを示している。
897年に亡くなったガリーネ・ファスティナの後に任命された彼女は、前任者と比較し我が弱く、リーダーシップを欠くと評価されることもある。だがそれは前任者がロシジュアにとって最も重大だった決断…「ロシジュア超越的移行ソシアート共同体」の設立を、後任に託すことなく完遂させたがこそのことだ。インサイティナに求められたのはロシジュアを穏健に継承することなのであり、物腰の柔らかい彼女はまさしく適任であった。
しかしそれは、彼女がリーダーシップを持たないということを意味しない。不輸不入権の否定に代表される第二次ソシアート改革は、まさしくインサイティナの手によって行われたものだ。ロシジュアが今後も穏健に継承され続けるために必要なものだと信じたからこそ、彼女は監視と非難されようとも改革を断行したのであった。
皇帝への想いは不完全燃焼を続け、ロシジュアの民は未だに大火のトラウマに蝕まれているが、時間だけがこれを解決してくれることだろう。皇帝が真に思い出としての存在になった時に、ロシジュア人はようやく前を見ることができるはずだ。
インサイティナはそのための軌道を敷いた。彼女の代のうちに夢が実現することはないとしても、ロシジュアの民はいずれ彼女の功績に気付くことになるだろう。

明日への気力を取り戻せるその時まで、ロシジュアはまどろみ続ける。
願わくば、そのまどろみが安らかでありますように。
ロシジュアにおける自由社会の形態は、実に不可思議な構造の元で成り立っている。その国家体制は必ずしも民選のものとは言えず、そして権力の暴走を有効に抑える機構が十分とも考えられていない。それにも関わらず、ロシジュアの民はみな他の自由民主主義国家と同等の自由を享受し、国家構造への強い信頼を保ち続けているのである。
ロシジュアの体制の特異性は、国内に1000を数える地方政府たる帝国民ソシアートにおける直接民主制と、全10のソシアート群からなる中央政府たる中央ソシアートにおける間接民主制の編成にある。このうち中央ソシアートにおける民主主義の姿は分かりづらいものだ。
中央ソシアートが間接民主制であるとする論拠は、中務ソシアートを除いた9のソシアートの構成者10名が住民による選挙によって選ばれ、国家の中枢を担う中務ソシアートの構成者が9ソシアートから2名ずつの18名選ばれるシステムによる。このことを一般的な間接民主制議会を持つ国家になぞらえ「90議席の議会から18名の内閣を構成するのと同等である」、というのが中央ソシアートの民主制を支持する識者の言い分だ。
一方で批判的な識者からは、各ソシアートの10名を選出する構造自体の不備が指摘される。9つのソシアートは他国における省庁ないし国務大臣に例えられる専門的な機関であるため、選挙戦はもっぱら帝庁で経験を積んだエリート役人が軸になりがちとなる。特に専門分野の知識が求められる施策が焦点となれば、住民の関心度が低空飛行することも珍しくないことから、「立法府の構成者として国政全体に関与する立場の一般的な議会議員と、専門的機関であるソシアートの構成者を同列視するのは誤り」というのが批判者の見解だ。
「直接民主制の帝国民ソシアートに対し、民衆の影響力が間接的な中央ソシアートは強く出れない」という一説は、権力の暴走が起きた場合に対するこれまでの一般的な想定であった。だが実際には、帝国民ソシアートの不輸不入権の否定といった中央ソシアートの大胆な改革に対し、帝国民ソシアートは対抗する術を持っていなかった。
このように国家体制において自由が根本的に保証されているとは言い難いにも関わらず、ロシジュアにおいて自由社会は息づいている。それはロシジュア人の共通概念である元皇帝への畏敬によるものかもしれないし、単にロシジュア人が専制を必要としていないというだけのことかもしれない。だが、一つだけ言えることがある。
この名状しがたき自由社会は、ロシジュアの民のかけがえのない資産の一つだ。
焼失した君主制灰の中の経済
・安定度: -5.00%
・政治力獲得: -30%
・安定度: -15.00%
・政治力獲得: -15%
・工場出力: -30.00%
・建設速度: -30.00%
850年8月に帝都を覆った大火は、ロシジュアの君主制をその存在ごと焼き尽くしてしまった。857年に成立した超越的移行ソシアート共同体(TTSC)は「君主制亡き後の新体制への平和的移行」を掲げ、平和の象徴であった皇帝に代わるリーダーシップの確立を目指した。
だが、ロシジュアの民の皇帝への畏敬は、TTSCの想定を遥かに超えていた。ロシジュアの民は皇帝に代わるリーダーを模索することを拒み、あまつさえ焼死してもなお皇帝は超越的存在として国民を導いているとまで信じられた。死んだ君主は生きた指導者よりも厄介な存在だった。TTSCはロシジュアが死者に導かれる集団と化すことを避けるべく、最終的に現在の国家元首が誰であるかを棚上げするという苦渋の決断を強いられた。
今日、ロシジュアの地には帝国時代の君主制は存在していないが、同様にそれに取って代わるべき国の姿もまた見出されていない。移行政府を意図していたTTSCはその移行先を見失い、漂着を続けている。
皇帝の幻影は未だロシジュアの地を覆っており、TTSCが真にロシジュア人にとっての指導政府と見なされるには、相当の時間を要することになるだろう。
帝都全体を焼き尽くした火災は、ロシジュア人にとって痛恨の記憶となった。帝都に住まう人々が、その生命や生活の痕跡ごと焼き尽くされてしまったという事実は、ロシジュア人に二度と火災を引き起こすまいという決意を抱かせた…過剰なほどに。
ロシジュアの地における産業は、火災の再発防止という観点から制定された数多の規制によりがんじがらめとなっている。多くの工業は材料から加工法、雇用に関するにまで至る厳重な規制によって片っ端から赤字産業へと追い込まれ、建設業は過剰な防火性能の要件と開発制限によって発注難に陥った。
結果として、建国から半世紀以上が経過した現在においても、ロシジュアの経済の基盤は脆弱だ。粗放農業を主体とした低賃金の農民らは未だに国内の最多数を占めており、生産性の低い経済はロシジュアの国際的競争力を著しく妨げている。
この現状を打破すべく始動した第一次国土改質は、国内の工業・建設業の崩壊という現状を認識していなかったがために、効果のない国庫出動による市場への通貨の過剰流出を引き起こし、インフレによって経済に一層の打撃を加える結果となった。続く第二次国土改質では外資誘致による産業構造の刷新が目指されたが、おびただしい規制はロシジュアにおける開発の機運を急速に冷やし、気まずい関係を残すのみに終わった。産業構造の転換を図った試行錯誤がことごとく芽吹かなかったこの20年余りは、「失われた20年」と呼ばれる悲劇の時代となった。
インサイティナ代表と工業ソシアートは、ついにロシジュアの発展を妨げた各種の規制の撤廃を含めた第三次国土改質プランを発表している。だがロシジュアの民には大火のトラウマが未だに横たわっており、大火の再来を恐れ規制に固執する市民も決して少なくない。第一次国土改質の失敗を受けて渦巻く、経済改革そのものへの疑念も障壁の一つとなるだろう。
ロシジュア経済が灰の中から立ち上がることが出来るかは、中央ソシアートの手腕に掛かっている。

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