1014年6月27日付〈中央通信〉
26日に投開票が行われた大統領選挙一般投票は連合党・民主前進党の両党が推薦するエルネ・モスアゲート生産搬送配給委員長が69.8%を得票、15.1%を得た人民党ケネト・カーネリアン中央処理委員長及び13.9%を獲得した南の風エドムンド・カルデラ・アバスカル動力委員長の両名を大差で破って大統領に当選した。トケン・コーサイト大統領の退任に伴い、1015年1月1日から第14代大統領に就任する。与党両党は未だ高い支持率を誇るトケン大統領を交代させることで向こう12年の安定政権を確保した形だ。
連合党は党公認候補としてトケン大統領、エルネ生産搬送配給委員長、シーク・ウェストカーネリアン内務公安委員長の3名が検討されたが、再選した場合は6年後に再度選挙に臨まなければならないトケン大統領の退任は早々に既定路線となった。人民党系の委員が多数を占める内務公安委員会に属するシーク内務公安委員長を人民党を中心とした委員会社会主義系勢力との関係改善につながるとして推す声もあったが、左派との妥協は「早期の改憲を目指す」という立場に相容れないとして民主前進党との連携を優先して社会民主主義者を自負するエルネ生産搬送配給委員長が最終的に候補とされた。
トケン政権を事実上引き継ぐことになるエルネ新政権が現在の政策から大きく方向転換することはほとんどないであろうが、南の風と犬猿の仲であることは注意をひかれる。エルネ生産搬送配給委員長は下級委員時代から「南の風は事実上の資本主義者による聖域となっている」といった趣旨の発言を繰り返してきたことで知られ、選挙活動中にも「『南の風』の活動は社会主義人民の権利を侵害している」と発言して物議をかもしていた。先の改憲発議において改憲に反対票を投じることで現体制を「守る」ことに貢献した南の風は世論の支持を失っており、1010年次の選挙でも議席を大幅に減らしている。その中でこのような姿勢を取る大統領が誕生することは「南の風」の活動にとっては逆風となるであろう。
連合・民主前進両党、3分の2にわずかに届かず
1010年12月27日付〈中央通信〉
26日に投開票が行われた共和国議会選挙(下院総選挙)の結果、改憲発議を可能にする3分の2、400議席の確保を目指していた連合党・民主前進党の両党は議席を伸ばしたものの併せて387議席に留まり、目標としていた水準にはわずかに及ばなかった。トケン・コーサイト大統領を支える両党は高い支持を確保していたものの、4月に生じたデマ騒ぎに対する大統領府の対応が悪い結果をもたらしたと見られている。
4月1日、国内で唐突に「改憲に反対する軍部が年末の選挙を前にクーデターによって政権を掌握した」という情報が報道ネットワークに流れ、ブラッドストーン市ではクーデターに反対するデモが発生するまでの事態に発展した。これはその日のうちにデマであることが明らかになった。その後の調査により、噂の出どころはアゲート市のローカル報道局の職員がエイプリル・フール用の冗談として用意した記事が手続的なミスで拡散されたことにあることであることが判明している。しかしながら、大統領府はこのニュースに対して真偽の確認を取る前に「我々はクーデターに断固として反対する」という声明を発表してしまい、結果的に大恥をかくことになった。野党の関係者はほとんどがこの情報を真面目に受け取らず、南の風の幹部の1人が「クーデターが本当に発生したのであればガーネット州の独立を宣言すべき」と発言してデマであると明らかになった後に役職から解任されたことを唯一の例外として、全く「騙され」なかった。結果的に、この対応の差が連合党・民主前進党に殺到していた支持を若干野党に引き戻す結果になり、与党両党が僅かに改憲発議を可能にする議席に及ばない結果となった。
アクシデントによって「勝ち損ねた」とはいえ、民主前進党は史上最高の92議席を獲得してさらに勢力を拡大、世論が委員会社会主義から完全に離れていることの証左となった。960年以降一党優位体制を確立している連合党は議席を伸ばしたものの単独過半数には届かない295議席となったため、今後も両党による議会の支配が続くものとみられる。これに対して改憲をめぐる議論で最終的に反対に回ったことで「既得権益のために委員会社会主義者に迎合した」とみなされた南の風は議席を半減させ34議席に終わり、初めて民主前進党の議席数を下回った。改憲に反対する最大野党の人民党は前回より12議席多い131議席を獲得したものの、48議席に終わって過去最低の議席数をさらに下回った革新党を加えても改憲発議を阻止できる200議席超は確保できず、「改憲を阻止できるかは南の風次第」という状況には変化がなかった。
【国際】FUN総会、本部の要件について議論。外交委員長「ラ・フローリド代表の問題提起に対して敬意」
【経済】本土一部都市で「南の風」系の製品に対する不買運動。大規模化に至らずも南の風幹部は「懸念」