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第6回大統領・議会選挙実施 他

979年11月10日付

【政治】第6回大統領・議会選挙実施 社会党敗北

<イグナイト・タイムズ>

軍国体制が崩壊して3年2ヶ月、ミラ・イェリッチ大統領・第5回議会の任期満了に伴う第6回選挙は、当初の任期通りの979年5月、国連監視団によるもと粛々と行われた。

本選挙はセニオリス共和国の体制復活を象徴するものだったが、選挙戦はイェリッチ大統領及びセニオリス社会党が掲げた「社会主義的改憲への再チャレンジ」がテーマとなり、クーデター以前に行われていた改憲議論の再開を如実に示した。

選挙戦は当初、社会民主党が「穏健な路線での社会主義導入」に賛成を表明したことにより、社会党勢力が勢いづくものと見込まれていた。イェリッチ大統領は第31回メーデーにおいて「社会主義体制に向けての最後の戦い」と支持者らを鼓舞するなど、社会主義への道のりは既に舗装されているかのように思われた。しかし対抗馬であったオリーヴィア・ヴラトコヴィチ副大統領との公開討論などを経て、社会主義に対する市民の意識は一転した。

イェリッチ大統領は社会主義の導入過程において「資本主義経済の無秩序を正し、統制ある経済を実現する」と説明した。この「統制」との単語が、今だ記憶に新しいスラヴ国体制下における統制を連想させるとし、自由主義者らの猛反発を生んだのである。

思わぬ猛反発にイェリッチ大統領は「自由社会を尊重することは全くもって変わらず、それは社会主義体制下においても決して変えてはならぬ原則だろう」と火消しに回ったが、失点はあまりにも大きかった。次なる討論会においてヴラトコヴィチ副大統領は「我々の守るべき共和国とは、自由社会に根ざした民主的かつ社会的な共和国だ。それはクーデターの灰燼から蘇りし963年憲法の最も重要な訴えなのであって、いかなるイデオロギーもこれを踏みにじることは許されない」と強く主張。イェリッチ大統領は「この国の全ての社会主義者はそれを理解していることだろう」と反論を試みたが、この討論の優勢がどちらにあるのかは明白であった。

以降、世論調査においてもイェリッチ大統領及びセニオリス社会党は急速に減速し、最終日に至るまで覆せなかった。第5回選挙とは対象的に、社会主義者は自らの痛恨の失点により勝機を逸したのである。選挙結果は大統領選を自由民主党からオリーヴィア・ヴラトコヴィチ候補が制し、議会選もセニオリス社会党は54議席減の76議席、代わって社会民主党が35議席増の57議席、自由民主党が16議席増の27議席となり、中道政党の復権という傾向が顕になった。最終的な投票率は91.50%であった。

社会主義体制の導入という宿願を果たせなかったイェリッチ候補は敗戦の弁として「こうして選挙が実施されたこと、それそのものが共和国の誇りであり、敗れたとはいえ民主的な審判を受けられたことを私自身も誇りに思う」と語り、ヴラトコヴィチ候補への祝意を表明。そのうえで「我々の素晴らしい旅はまだ始まったばかりだ」と第4回選挙で敗れたマリオ・バルバリッチ元大統領の言葉を引用し、「社会主義への道筋はいかなる勢力の企てにおいても覆い隠されることはない。我々は何度でも立ち上がり、共和国は必ずや正しき理想へと歩むことだろう」と支持者を奮い立たせた。

一方、社会主義革命を防いだ形となるオリーヴィア・ヴラトコヴィチ新大統領も「全ての候補者に敬意を、全てのそして未曾有のクーデターより民主的価値観を守り抜いた全ての共和国市民の決意に祝福を」と呼びかけ、激しい論戦の後の「和解」を強調。施政演説としては「民族、信仰、所得、生まれ。それぞれに差異を持つ全ての共和国市民が互いの持つ権利を尊重し、そして自らの権利を最大限に享受する社会を再び蘇らせる」と語った。
しかしヴラトコヴィチ大統領が漕ぎ出す政治の状況は決して易しいものとは言えない。自身の所属する自由民主党は第6回議会においては27議席に留まっており、拒否権を自由に行使出来るために必要な67議席の支持には57議席を有する社会民主党の協力が不可欠の情勢だ。しかし今回の選挙にあたって「社会共和国」の改憲案をも持っていたとされる社会民主党は市場経済擁護の姿勢が強い自由民主党との連立に必ずしも前向きではないと噂される。政界では大統領権限の縮小を含めた、議会への大幅な譲歩の改憲を交換条件に協力を打診するとの構想も持ち上がっている。自由民主党初の大統領となったヴラトコヴィチ大統領の判断が注目される。

【政治】”48年振りの中道大統領” ヴラトコヴィチ政権を読み解く

<新セニオリス通信>

オリーヴィア・ヴラトコヴィチ新大統領

第6回選挙は社会主義革命を掲げたミラ・イェリッチ大統領及びセニオリス社会党が敗北し、「ヤコヴ・ファーラン初代大統領以来の中道大統領」とも称されるオリーヴィア・ヴラトコヴィチ新大統領の誕生と、中道勢力と解される社会民主党・自由民主党が議席を積み増すという結果になった。

社会主義の失点を契機に最大限の攻勢を見せた中道勢力の紛れもない勝利であったが、しかし第6回議会の情勢はヴラトコヴィチ新大統領にとって有利なものとはいい難いものだった。大統領の所属政党である自由民主党の議席は27議席にとどまり、拒否権を自由に行使できる67議席の水準確保には57議席を獲得した社会民主党の支持が必要不可欠だった。一方で選挙前に穏健な路線での社会主義導入に賛成を表明していた社会民主党には、自由民主党との間に埋めがたい距離があった。党内部では「なぜ経済の欠陥を擁護する立場と手を結ばねばならないのか」との主戦論にも近い声も聞かれ、新たなヴラトコヴィチ政権は史上最悪のレームダックと化す危険に晒された。

そうした中で両党を結びつける重要な役割を果たしたのは、21議席を獲得した新興勢力の超越同盟であった。同党の関係者はそのほとんどが国政未経験ではあったが、ヴラトコヴィチ大統領の勝利を受けると社会民主党、自由民主党の関係者らと積極的に会談し、政権構築に尽力した。最終的に三党に9議席の進歩自由党を加え、ヴラトコヴィチ政権の人事はようやく議会の過半の支持を得られるに至った。会見において超越同盟の関係者は「社会主義/資本主義の対立に興ずることは辞め、この共和国の将来を前向きに語る環境を作らねばならない」と語った。政権発足にあたり新興勢力が大きな役割を果たしたことは、共和国の政界にとって大きな新風となりそうだ。

また、四党は「半大統領制の導入」を含む改憲構想についても合意した。大統領制を縮小し、議会の権限を拡大することが主眼となるこの構想では、第2回選挙後に誕生し旧セニオリス自由党の圧倒的勢力を前に膝を屈したサマンタ・プロシネチキ政権、さらに第4回選挙後に無所属の立場より誕生しながらも社会主義勢力の拡大を前に相当程度の譲歩を強いられたバーバラ・オリーン政権での教訓も踏まえているとされ、今回再び議会での立場が弱い大統領が誕生したことを受けて「権限を議会に集中させ、議会制民主主義としての特性を強化する」ことが主眼の一つに位置づけられている。一方でセニオリス社会党などの野党勢力はこれを「社会民主党と自由民主党の政治的取引の産物」と指摘している。本構想が提唱された経緯が史上3度目の議会基盤の弱い大統領の誕生という点にとどまらず、与党内最大勢力の社会民主党の不満を抑えるとの目的も有することは否めないだろう。

最終的に承認された大統領補佐団の顔ぶれは以下である。

役職名前所属
副大統領ゴラン・リンドロート社会民主党
外務長官ゴラン・バルン自由民主党(共和派)
防衛長官イヴァナ・マティアヴィッチ自由民主党(立憲派)留任
法務長官フラニョ・ガレシッチ進歩自由党留任
財務長官イヴィッツァ・トゥジマン社会民主党留任
内務長官カタリナ・マノリッチ自由民主党(自由派)
国土開発長官ミラ・グレグリッチ進歩自由党留任
教育科学長官ペトラ・ミロシュ自由民主党(自由派)留任
経済産業長官イヴァナ・グルバッチ社会民主党留任
資源・エネルギー長官イーヴォ・メシッチ自由民主党(共和派)
運輸衛生長官オリーヴィア・ミロシュ超越同盟
農務環境長官ゴラン・ミロシュ進歩自由党留任
労働長官グン・トピッチ社会民主党
厚生長官ズラトコ・ヴラトコヴィチ社会民主党
行政改革長官カタリナ・マテシャ超越同盟

今回の大統領補佐団人事は、四党合意による「半大統領制の導入」の憲章改正構想に基づき、改正後の内閣人事も見据えたものとなった。すなわち今回の大統領補佐団人事は、今政権で副大統領として任命されているゴラン・リンドロート氏を中心とした将来的な「リンドロート内閣」にも繋がるのである。

この点から多くの識者らは、今政権における大統領の存在感は従来の大統領らに比べ小さいものとなると見ている。
事実、指名された閣僚は8名が中道左派系の社会民主党、進歩自由党の出身であり、大統領所属の自由民主党出身は5名にとどまる少数派である。一方で、中道左派の社会民主党から中道右派の自由民主党までを幅広く含む人事は、左傾化が進んでいたこれまでの政局では実現し得なかった”中道連立政権”の発足を象徴するものと言えよう。

それぞれの長官に注目すると、社会面は中道右派寄り、経済面では中道左派寄りの人事が展開されたことが見て取れる。治安行政などを司る内務長官には自由民主党の自由派からカタリナ・マノリッチ氏が任命された。「リバタリアニスト」を自称する彼女は、「救国評議会下で蓄積した警察組織への不信感を払拭する」と改革の意思を表明している。一方共和国の社会的要素の象徴ともされる労働長官・厚生長官は、共に社会民主党から任命された。両者はそれぞれに「イェリッチ政権下における極端な路線を修正する」と表明しており、一定の勢力を維持している社会主義に配慮をしつつも、中道政治の矜持を守る方向性が示された。

社会主義の過半割れを契機とし、中道勢力による政権は遂に実を結んだ。構想段階の「半大統領制」の有り様も含め、ヴラトコヴィチ政権が共和国に新たなる風を吹き込ませることは間違いない。

その他

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