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ヤドラスコ出版『薄明の中で』

副題:虚構世界のベロガトーヴィチ

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【政治】第44回選挙 共産党圧勝

第44回帝国議院議員選挙は935年-イェゴール51年-8月10日に投開票が行われた。結果は以下の通り。

  • 帝国発展党:42議席(+32)
  • 正教保守党:28議席(±0)
  • 立憲進歩党:28議席(-3)
  • 労働党:0議席(−43)
  • 社会民主党:28議席(−13)
  • ガトーヴィチ共産党:74議席(+37)

中道連立政権の首班を務めた労働党は、その多くが社会民主党に鞍替えしての選挙戦であったが、一人も当選しなかった。中道連立政権に愛想を尽かした国民の票は、君帝廃位を掲げた共産党と帝国発展党に分かれ、共産党が大躍進して第一党となった。

連立交渉は史上稀に見る熾烈なものとなった。共産党は過半数に届かなかったものの、共産党を抜いた政権の発足は君帝を支持する他の4政党全てでの連立以外に存在しなかった。第二党である帝国発展党は、総帥自ら中道左派の社会民主党の議員一人一人に君帝廃止の危険性を説く手に出たが、社会民主党にとって帝国発展党の政策は悪魔と手を結ぶが如きものであり、”左の悪魔”と”右の悪魔”が天秤に掛けられた末に共産党との連立が選択された。共産党政権の誕生は、884年に退陣したクロヴァーヴイ政権以来、51年振り。

【政治】第47代首相にストルボヴァ氏

Любовь Богдановна Столбова:ポリーナ4年-869年、アスタリノイ県生。父子家庭で育ち、中等教育過程を修了後、工業に従事。イェゴール13年-897年にガトーヴィチ共産党に入党。イェゴール15年-899年、セヴェロモルスク帝国大学に入学し、СГУ全学共闘委員会の活動にて名を馳せ卒業。イェゴール20年-904年の第42回選挙にて初当選。格差撲滅を掲げ、帝室制度を格差の象徴として批判している。

帝国議会(臨時会)は同月20日、ガトーヴィチ共産党のリュボフ・ボグダノヴナ・ストルボヴァ委員長を首班指名し、氏は、インターリ君帝陛下により第47代為政院総理大臣に任命された。

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「納得出来ないわ!!ここにだって兵隊は居るのでしょう!?」

「いや、ですから、我が国の兵力にて施行できる作戦にはいささか限りが…」

「あなたまさか命令に背こうって言うんじゃないでしょうね!?私はヴォルネスク大公・サザンベルク公よ!!反逆罪であなたを処罰するわよ!!」

「恐れ多くも殿下、目標であります帝居マリヤ宮は帝国の中心でございます。無論殿下のご命令とあらば兵士は最善を尽くすでありましょうが、おそらく到達さえ厳しいというのが私共の見立てでございます。」

「もう結構!!辺境の地とは聞いていたけど、まさかこんなろくでなしばかりとは思わなかったわ!!」

「…失礼致します」

何度目と知れぬやり取りを終えた私は、与えられている部屋に戻り頭を抱えた。臣民からの圧、ヴォルネスク大公からの圧、十年前では考えられぬ上下からの重圧に私は正気を失いかけている。

935年、それはガトーヴィチ民主帝国の転機であると同時に、ここベロガトーヴィチ大公国にとっての破滅の始まりでもあった。
転機とは疑いようもなく、共産党-社会民主党という帝国最左派の2党によるストルボヴァ政権の発足である。
君帝廃止、共産主義。聞くだけでもおぞましき綱領に、ガトーヴィチ人らは打ち震えたに違いない。彼らはその日以来、ここベロガトーヴィチの地に救いを求めるようになったのである。
そしてそれはリーソフ君帝家にとっても例外ではなかった。アカーツィヤ大公女殿下の到着は、ここベロガトーヴィチの民に歓喜をもたらした。殿下の臣民、そしてベロリーソフ家のミハイル大公殿下は、ヴォルネスク大公・サザンベルク公の地位を謹んでお渡しし殿下を迎えた、のであるが…

「ここって本当につまらない場所ね!!ゴミのような土地にゴミのような人間ばかり!!あんた達にはお似合いね!」

「……今ばかりは、共産主義者の気持ちが分かる気がするよ」

恐れ多くも初代「宰相」を拝命したミハイル殿下は、補佐役であった私に度々そう漏らしていた。
大公女殿下のお人柄について、平静を保って語ることは難しい。アカーツィヤ大公女殿下は、ヤルルィーク君帝陛下の時代に帝位継承権第一位となられた経験をお持ちである。しかし殿下は当初より帝室の「変人」として知られており、臣民の心は現君帝陛下であらせられるインターリ大公女殿下へと離れてしまっていた。イヴァングラート通信社は881年に、殿下のお人柄を以下のように報じている。

  • 幼少期、雄のカマキリを食べている雌のカマキリの頭を食べる
  • 新年の一般参賀に集う帝国民を見て「人がゴミのようだ」と言う
  • 複数の男性および女性と関係を持つ
  • ご成婚を祝うコンサートにバラライカ片手に飛び入り参加する
  • その他「君帝は男が就くのが当然」「帝国民とはウィンウィンの関係を築きたい」などの問題発言

殿下のお人柄は、帝位継承に関わる問題にまで発展してしまった。ガトーヴィチ民主帝国は882年に「ガトーヴィチ・ツァーリ国」との内戦に突入した。そして民主帝国は「スヴャトホースト合意」において殿下を継承ラインから外し、インターリ大公女殿下への継承と共に内戦の終結を実現させたのである。突然に帝位継承者とされたかと思えば、臣民に反対を突きつけられ、挙げ句に伯母君に君帝位を攫われた殿下の心労は並大抵のものではなかっただろう。
その後のアカーツィヤ大公女殿下のご動向について、私は十分たる情報を持ち合わせない。しかし私が初めに謁見した以来の印象として、881年に報じられたお人柄は時を経て…取り返しがつかないまでに悪化しているように見える。それは臣民と伯母君に君帝位を攫われた衝撃が原因かもしれないし、あるいは935年の第44回選挙で共産党が躍進したことへの焦りもあるのかも知れない。しかし…私が言えた資格は当然に全くないのであるが…殿下はヴォルネスク大公としての資質を欠いているとしか思えない。殿下には、ベロガトーヴィチの地への、もはや一般的な道徳の範疇からは考えられもしない蔑視がある。殿下は確かに、ベロガトーヴィチの臣民からは好かれている。しかしそれらは、臣民が大公女殿下のお言葉に直接触れる機会が無いからこそであろう。―大公女殿下のお言葉を極力非公開とすることを決したのは、宰相ミハイル殿下だ。
私は、宰相殿下の補佐を務め始めたころ、大公女殿下は自らの権利欲のためにこの地に移ったのではないかと疑った。
…そして、それは残念ながら、真であった。

「時にミハイル、我がベロガトーヴィチには軍隊があるのよね?」

「は、諸国に対抗できますよう、陸・海・空での戦闘能力を備えてございます」

「いいわね。じゃあちょっとお願いがあるのだけども、いいかしら」

「は、なんなりと」

「マリヤ宮に急襲を仕掛け、私を君帝にしてもらえないかしら」

「…は?」

当然、受けられるはずもない。ミハイル殿下は大公女殿下を丁寧に説得し、その時は丸く収まった。
しかし大公女殿下は、諦めなどしていなかった。

「ミハイル、先日言ったマリヤ宮急襲計画、当然もう出来ているわよね?」

出来ているはずがない。大公女殿下の提案は大公軍事顧問団に掛けられることもなく否定されている。しかし、こうなってしまえば宰相殿下としても無視するわけにはいかない。宰相殿下はその場を取り繕った後、軍人らに作戦を練り上げるよう指示し…そして「不可能だ」という結論が得られたわけだ。

数度に渡る宰相殿下と大公女殿下のやり取りの末、アカーツィヤ大公女殿下はミハイル殿下に対し暇を言い渡した。そして「宰相」の職は補佐役であった私に回り、同じような問答が繰り返されているわけである。

「どうしてこうなったんだ…」

何度も検討されていることだが、当然に急襲計画など実現できるはずもない。おおよそストルボヴァ政権に対する焦りが大公女殿下を突き動かしているのかもしれないが、そんな事をすれば却って共産党を焦らせ、最悪の結果をもたらすだけだろう。

物思いに耽る私の執務室に、顔なじみの部下が入ってきた。

「宰相、ガトーヴィチ人によって諍いが…」

「ああ、またか…」

私を挟み撃ちにするうちの下からの圧、それが急増したガトーヴィチ人による社会の不安定化である。ここベロガトーヴィチの地は元来粗放農業が主流であり、殆どの者は都市化とは無縁に暮らしてきた。そうした地に、大量の難民が流れ込んだ。ミハイル殿下は彼らに住居を提供すべく都市開発を進めたが、急速な流入の前にガトーヴィチ人は瞬く間に溢れかえり、国内には大量のスラム街が形成される事態となった。
共産党政権はガトーヴィチ人資本家らをも流出させているわけだが、彼らもまた我々の頭痛の種となっている。その有り余る資金をもって地主から土地を買い叩き、同胞のためと称し強引な都市開発を繰り返すのだ。我々はより協力的に振る舞うよう求めたが、彼らは正当な対価を支払っているとして譲らない。このような状況のもとで、環境悪化、地域社会の破壊は進む一方であり、ベロガトーヴィチ本来の粗放農業経済は崩れつつある。ヴォルネスク人の不満は貯まり続け、そしてガトーヴィチ人難民も同胞を救う気概がないと政府に不満を蓄積する。端的に言えば、我々は難民を受け入れられる状況などでは全く無いのだ。

「あの、宰相、ガトーヴィチ人難民につきまして、受け入れるなとは申し上げません。しかしせめて良心的であってもらうべく、もう少し制限を設けるべきかと…」

「アカーツィヤ殿下の御前で、それを言えるかね?」

「…」

共産主義の魔の手に堕ちた帝国と異なり、我々は民主、自由のような概念を信用していない。政府に不満ありし者は、その自助努力が足りぬことを恥じるべきことは当然だ。…しかしここ最近、私の持論も相当に揺らぎつつある。ガトーヴィチ人難民の行いによって受けた不幸を、果たしてヴォルネスク人の自助努力不足を原因とすべきであろうか?あるいは、共産党政権による命の危機からベロガトーヴィチに救いを求めたガトーヴィチ人らに、自助努力が足りぬと叱責すべきなのであろうか?…こうした疑問に、私は答えを出せずに居る。そして、それは目の前の国難に対しても同じであった。自助努力が足りないのは、もっぱら私なのかもしれない。

「…宰相」

「ちょっと一人にしてくれないか…」

「宰相、またですか。毎回そう仰りますが、結局根本的な解決には一度も」

「いいから、頼むから…」

「…わかりました。失礼致します。」

明らかに、私は立ち往生している。運のめぐり合わせで偶然この地位に就いたに過ぎぬ私などに、この問題の解決策を見つけられるのだろうか。あるいは、この問題に答えなど無いのだろうか。そんな開き直りにも感じられる考えが去来したことに私は自嘲し、両頬を叩き気合を入れ直す。私の下でこの誇りある故郷の状況は良くなるどころか、ますます悪くなっているように感じられる。しかし、歩みを止めることなど出来やしない。そうだ、我々ヴォルネスク人は、幾多の困難を乗り越えてきたじゃないか。理想を捨てなければ、結果は必ず付いてくるはずだ。そう考え直し、私は部下に送る指示書を書き始めた。いつもの対症療法と代わり映えしないが、これこそが最善の道に違いないのだ。そして書き終えた私はいつものように部下を呼び出し、いつものように送り出す――

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【政治】世俗国家法が成立

帝国議会は935年—イェゴール51年—9月1日、世俗国家法案を可決、成立させた。国体回復法では、宗教主義・反動主義的傾向をもつ結社・集会・出版が禁ぜられる。

【政治】国体転覆の咎 帝国発展党員百余名を逮捕

イヴァングラート市警は935年—イェゴール51年—9月30日、帝居マリヤ宮への乱入を煽動して国体転覆を図った容疑で帝国発展党員百余名を逮捕した。この中には帝国発展党所属議員42名が全員含まれていた。裁判は昼となく夜となく異例の早さで進められ、一審、二審の禁錮刑の判決を不服とした党員が上告したものの、帝国司法院もまた禁錮刑の判決を下して11月3日に結審し、帝国発展党所属議員42名は全員失職した。

【政治】補欠選挙 左派完勝

 失職に伴う第44回帝国議院議員選挙補欠選挙は935年—イェゴール51年—11月25日に投開票が行われた。結果は以下の通り。

  • 正教保守党:1議席
  • 立憲進歩党:3議席
  • 社会民主党:8議席
  • ガトーヴィチ共産党:30議席

これにより、新しい議会の勢力図は以下の通りとなった。

  • 正教保守党:29議席
  • 立憲進歩党:31議席
  • 社会民主党:36議席
  • ガトーヴィチ共産党:104議席

ガトーヴィチ共産党・社会民主党は、議会の7割を占める大勝を果たした。

【政治】帝国廃止法成立

帝国議会は935年—イェゴール51年—9月1日、帝国廃止法案を可決、成立させた。帝国廃止法には、国号を改めること、民主帝国法に残された全ての反動的要素を廃止すること、斡旋庁と監督庁を発展的に解消して救貧庁を設置し、社会主義的相互扶助を推進すること、帝室・教会等の財産を全て国家の財産として接収することなどが盛り込まれている。
参考リンク:民主帝国法成立

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「…」

「あのー、大公女殿下?」

「何よ、集中しているだけよ 続けなさい」

「承知致しました。えー、ガトーヴィチ人難民向けの都市開発については現在第6計画が進行中でございますが…」

ベロガトーヴィチの悪夢のような年から早1年以上、私は未だ「宰相」の立場にあり、そして未だ国難への答えを見出だせぬままここに居る。

ガトーヴィチ人難民の問題は終わりが見えない。ガトーヴィチにおける政情が悪化の一途を辿るのと共に、難民もまた流入する一方であるからだ。難民たちは打ちひしがれたようであり、このベロガトーヴィチの地を魂を失ったかの如く彷徨っている。そして、この国はますます危機に瀕しているとさえ言える。1年前からの問題に加え、近頃は哀れな難民に混じり共産主義者が流入するようになったからだ。彼らは大公政府への敵意を煽るのみならず、臣民の生活に対する破壊行為までも働くのである。

こうした現状を認識してのことだろうか、あるいはガトーヴィチの地に残る帝室を案じているのだろうか。アカーツィヤ大公女殿下はこの半年、「急襲計画」を持ち出すこともめっきりなくなり、静かに我々の話を受けるようになった。…我々に一切の期待をしなくなっただけなのかもしれない。
ただし、大公女殿下からの重圧が解消されたわけではない。急襲計画の代わりに、殿下の指示は実に単純明快な一つに絞られるようになった。

「この国に暮らす全ての臣民、そしてこの国を頼る全てのガトーヴィチ人に安息を与え、守りなさい」

「重々承知致しております …失礼致します」

それこそが、この国難の全ての原因なのだ。この1年にて、私の知名度は随分と上がった。それは、私に不満を持つ者にとって非難をぶつける恰好の的が出来た事を意味している。そうした不満はこの国の誇るべき統治機構によって私の耳に届かぬよう配慮されているわけであるが、私は知っている。ガトーヴィチ人らは、ヴォルネスク人の父母から生まれた私を同族贔屓だと憎んでいる。ヴォルネスク人は、イヴァングラード帝国大学卒の私をガトーヴィチ被れだと蔑んでいる。しかし、どんなに惨めであろうとも、私はこの国の宰相だ。私には、この国に生ける全ての臣民を導かねばならぬ義務がある。
歩みを止めてはならない―私は、口癖のようにそう呟くのだった。

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【政治】第1回大統領選挙 ストルボヴァ氏が制す

新生ガトーヴィチの国家元首を選出するための第1回大統領選挙は936年12月24日に投開票が行われた。
正教保守党、立憲進歩党など保守政党らがボイコットする中で選挙戦はガトーヴィチ共産党、社会民主党の2党候補者の間で争われ、第47代為政院総理大臣を務めていたリュボフ・ボグダノヴナ・ストルボヴァ委員長が圧勝した。

氏は帝国議会において、規範的な社会主義国家を建設すると表明した。

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「えー、ですから、リーソフ帝室の状況につきましては現在調査中の段階でございまして」

「調査中とはなんだ!ベロガトーヴィチはヴォルネスク人だけではなく、ガトーヴィチ人の国でもあるのだぞ!」

「ですからね、我々といたしましては人民政府とは安定的な関係を築きたいものでありまして、過干渉と取られかねぬ闇雲な行動は避けたく」

「大公女殿下のお心は一つに違いない、武力による奪還だ!帝室の権利も守れずして何が大公政府であろうか!今すぐに宰相の職を降りるべきだ!」

「そうだ!」「辞めちまえ!」「売国奴!」

「インターリ君帝陛下万歳!(Ура!)」「万歳!」「万歳!」

ボリス・イリイチ・ギンクゴーネン、「共産党より命からがら逃げ延びた」とされるその男は、帝国回復党の初代総帥であり、近頃ガトーヴィチ人からの支持を急速に集めている。
その男と私が不毛な議論を交わすこととなったのは、大公国議会の設置によるものである。
ガトーヴィチ人難民の増加とその保護は、大公国の統治機構にまで影響を及ぼし始めている。彼らは始め、難民として大公国における権利には無関心に近かった。しかし共産主義者による扇動は、彼らに紛れ込んでいた自由主義や民主主義のような価値観―帝国においては一定以上価値あるものと見なされているそれを思い出させるきっかけとなった。
無論共産主義者はガトーヴィチに送り返されるか、あるいはこの国で銃殺に処されており、その対応は今後も揺らがないだろう。厄介だったのは民主主義者である。彼らは等しく君帝陛下を敬愛しており、それはここベロガトーヴィチの大公殿下に対しても同じことであった。しかし彼らの民主主義的意識は次第に私への疑念に繋がり始めており、ともすれば反政府に転じかねない危険性を孕んでいたのである。
そこでアカーツィヤ大公女殿下に上申した所、殿下は御聖断を下した。それがガトーヴィチ帝国の統治機構を参考にした、この大公国議会の設置である。私は「宰相」として、この議会にも責任を負う立場となった。

しかし大公国に民主主義が導入されたとは言えど、この国難を前にして政府の交代という事態は避けねばならない。そこでこの議会の議席は、私が所属する事となった全面統一戦線ベロが確実に政権を構築でき、なおかつその他の諸政党にわずかながら華を持たせる程度に調整されている。私の政権与党は、全面統一戦線ベロとベロガ正教保守党の連立ということになった。

そのような調整を経てもなお、大公国議会はやはり私の懸念していたように、各政党の足の引っ張り合いの様相を呈していた。第二党の帝国回復党は少し前の大公女殿下のような無謀な主戦論を唱え続け、逆に自由主義や左派の政党は大公国憲法を不十分と言い続けるのである。議員同士の殴り合いは、最初の一週間だけで8回にも達した。こんな状況では建設的な議論が出来るわけもなく、私はあたかも議会に対する啓蒙者の如く振る舞わざるを得なかった。これほどまでに不毛な政局が、本当にこの国のためとなるのだろうか。

不毛な議会を乗り越えると、私は大公女殿下に謁見し報告する。議会が機能しているのかを案じた殿下の御心により設けられた、特別の機会である。

「―といった次第でありまして、私といたしましては、やはり議会の設置は失敗ではなかったかと僭越ながら考えざるを得ません。」

「…なるほどね。とりあえず、ご苦労だった。そのまま根気強く続けなさい」

殿下の近頃のお考えは読み取りにくい。我々への指示が減ったこともあるが、このところは私生活の噂さえも耳にしなくなったからである。「ヴォトカのガラス瓶で執事に暴力を振るった」、「『大公国民は私に勝手に付いてくるだろう』と仰せられた」、などと、最初期において私の耳に入る殿下に関する噂は数知れなかった。しかし今や耳にする噂といえば「あの部屋のあの窓から見る景色がお気に入りである」のようなもので、それらのスキャンダラスな雰囲気は一切ない。
殿下のお考えは、一体どこにあるのだろうか。

「もったいないお言葉です。」

そう返し、退室の挨拶を述べようとすると、突然に入ってくる者が居た。
私はその者の正体にすぐ気づくことができなかった。しかし、大公女殿下は見るなりすぐに呼びかけた。

「お前は、バリェーリシク…帝室での仕事はどうしたのです」

バリェーリシク公殿下。その名を聞き私はようやく思い当たった。アカーツィヤ大公女殿下をこのベロガトーヴィチの地に迎えるに当たり、私もわずかに会話の機会に恵まれたことを思い出す。大公女殿下のご子息だというバリェーリシク公殿下は、「帝室の仕事があるため」と仰られ、大公女殿下を残し帰国なされていたのだった。その殿下が、なぜ今この場にあられるのだろうか。大公女殿下のご質問にはお答えにならず、殿下は話される。

「母君。イェゴール52年、937年1月16日の今日、『ガトーヴィチ人民共和国』の建国は宣言され、帝室の廃止が決定されました。これが、その記事になります。」

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【政治】ガトーヴィチ人民共和国成立

937年1月16日、ストルボヴァ大統領は、ガトーヴィチ人民共和国の建国を宣言し、是に於いてガトーヴィチ人民共和国が成立した。

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「あら…」

大公女殿下は、予想されていたかのような反応を示された。バリェーリシク殿下は続けられる。

「しかし帝国発展党、正教保守党、立憲進歩党の3党はこれに反発し、官邸を襲撃。ストルボヴァ氏は一時避難を余儀なくされ、帝都にてインターリ君帝陛下より『神聖ガトーヴィチ帝国』の建国が一時宣言されるに至りました。」

「それならばバリェーリシク、お前はますますここに居るべきではないでしょう」

大公女殿下は微笑まれた。しかしバリェーリシク殿下は表情をお変えにならない。私はただならぬ雰囲気を感じた。

「しかし『神聖ガトーヴィチ帝国』に国際社会の支持は薄く、国連は『ガトーヴィチ人民共和国』の正統性を強調しました。それを受け人民共和国は帝室全員を含めた神聖ガトーヴィチ帝国関係者らを反逆罪に認定しました。強硬な鎮圧により瞬く間に帝国政府は瓦解しました。たった今、インターリ君帝陛下は共産主義者の魔の手により崩御せしめられたことが宣言され、帝室制度は崩壊の過程にあります」

「なんと…」

大公女殿下は絶句なされた。君帝陛下の葬去という事態への驚愕か、あるいは何らかの予想が外れてしまったのか。いずれにしても、この国にとっての悪報であることも間違いない。しかし大公女殿下は取り直し、

「アパラートはどうしたのです。まさか、お前が見捨てたわけでもないのでしょう?」

「アパラート大公は、最後まで帝国の臣民と共に在りたいとの御心でありました。その折には大公より私に伝言として『次期君帝をアカーツィヤに』とのことでありました。帝国政府は、この内容に完全に合意する意向でした。私はその伝言を受け止め、帝室の望みを紡ぐべくここに渡りました。インターリ陛下が崩御されし今、この伝言は効力を発揮しておりましょう。御即位をお祝い申し上げます。全ガトーヴィチの君帝、ベロガトーヴィチの大公女にして新コンスタンティノーポリ・イヴァングラート及び全地総主教…アカーツィヤ陛下。」

「…」

私は、状況が飲み込めずに居た。ガトーヴィチ帝国の崩壊と、新たな君帝のご即位。この2つの瞬間が、私の予期せぬ時に突然目の前に現れている。このベロガトーヴィチの地で第26代君帝にご即位遊ばされたアカーツィヤ陛下にとっても、それは同じであられたことに違いない。しかし私は目撃した。君帝陛下は急速に冷静さを帯びられ、帝室の望みを紡がれる御聖断を下されたのである。

「わかりました。バリェーリシク、アパラートの事は大変に残念でありました。しかし、お前は帝室の運命を左右する重大な責務を見事に果たしたのです。疲れているでしょうから、今は体を休めなさい。お前は、帝室の希望となるのですよ」

「ありがたきお言葉です」

大仕事を成し遂げられたバリェーリシク殿下はご退出された。陛下は私に向き直られる。

「さて宰相。あなたはこのベロガトーヴィチの地を、あらゆる国難に直面しようとも導き続け、そしてガトーヴィチ人の拠り所としての大公国を見事に作り上げました。ここに感謝します。ありがとう。」

「もったいないお言葉です。」

この2年、私が十分な仕事を為すことが出来たのかは、分からない。しかし陛下のお言葉は、国難を前に迷い続けていた私を勇気づけた。様々な出来事があったが、陛下の元で仕事をしていたことが私の誇りとなった一瞬だった。

「さて、今やベロガトーヴィチの地の民の心は一つです。私は幾度もこの地に要求をする立場でしたが、今こそは私が皆の心に応えなければならないでしょう…」

このベロガトーヴィチの地が、今まさに最も望んでいることだ。

「私は、帝室の希望を紡ぐと共に、このベロガトーヴィチの地の希望を紡ぐ存在とならねばなりません。幾多の困難にも関わらず、君帝を敬愛するガトーヴィチ人、ヴォルネスク人のため、君帝こそは民の模範となるべきです。この地に集う、全ての民の規範となる存在となるべく、私は『ガトーヴィチ帝冠連合』の設立を宣言します。」

それはガトーヴィチ人が望むとも果たせず、あるいはヴォルネスク人が求めるとも出来なかったことであった。この時、ベロガトーヴィチの地がようやく振りに歓喜に湧いたように感じられた。
この地を包む展望は、B星の正中のごとき様だ。しかし、私達は理想に歩み続ける。その先に何も見えなかろうとも、希望を捨てることはない。薄明の中、篝火は強く灯っている。

「おい見てみろよ!あいつ社会主義に手を出したぜ!」
「草」
「…ふーん?」

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