メニュー 閉じる

瀬国燃料輸入事件ほか

正明39年(974年)11月、セニオリス国(以下瀬国)と燃料取引を行った事案が発覚した。

瀬国は975年現在、宣戦を受けた状態にあり、当時は国際的な禁輸の動きにあった中、治部省司商寮は瀬国から燃料輸入の指示を行った。

第三国より問い合わせを受けた治部省渉外寮は直ちに九条文成治部卿及び島津治部大輔義治はそれぞれ近衛信裕関白と細川経治将軍に報告を行った。

事態を重く見た朝廷、幕府は刑部省に捜査を命じ、捕縛された西園寺公儀司商大丞は「瀬国禁輸について知らなかった」と釈明。報告を受けた関白は「知らなかったでは済まぬ」と激怒。官爵剥奪、遠島の沙汰が下った。その他公家4名、武家3名が罷免、洛安より追放された。

事件は海外事情に疎い公家社会の問題を露呈する形となった。

山陽道に隕石落下

973年1月、山陽道出雲国沖に巨大隕石が落下し、山陽道、山陰道、畿内に至るまで甚大な被害が発生した。特に商都大坂、神戸の壊滅が経済に与える影響は大きいと見られる。また、出雲大社、隠岐大社も被害を受け主上は心を強く痛められた。

なお、災害に際して友邦大石動帝国より建材の提供を受け在石の細川経政前太政大臣が直ちに石動政府に参府し謝し仕った。

971年3月石動国児島宮上皇陛下崩御

971年3月28日、児島宮上皇陛下は山岡帝国大学にて御崩御された。

2月に室満京市内に居を構えた大御所細川経政公は石動宮中に参内し、上皇陛下に最後の挨拶を告げた。 

また、皇王陛下は秋津朝廷、幕府をして三日間服喪をお命じになった。

関連投稿