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上皇陛下御崩御 他

【政治】上皇陛下御崩御。大喪の礼挙行さる。

(公方府広報:景雲十五年(971年)5月22日)

 畏くも 児島宮上皇陛下に於かれては、去る3月28日、山岡帝国大学にて御崩御あそばされた。宝算81歳での御崩御であらせられた。侍医団によると、ご死因は肝臓がんの再発であり、ご体力の都合上手術が困難であり、投薬治療の甲斐なく御崩御あそばされたとの事である。

 宮内省は昨21日に 児島宮太上皇帝陛下の大喪の礼を挙行。億兆臣民は 上皇陛下との最後の別れを惜しみ、式場である幸楽園に挙って葬儀場に列をなした。

 またこの大喪の礼に四ヶ国より以下の国賓が出席された。

レゴリス帝国

 カリーナ・リュッツオウ副総統閣下

神聖ガトーヴィチ帝国

 イヴァングラート大公ブラクノート皇太子殿下

ヴェールヌイ社会主義共和国

 エレーナ・ザラフィアンツ閣僚評議会議長閣下
 ウラジーミル・ゼルドヴィッチ外務大臣閣下
 イヴァン・ゴロフチェンコ駐石動大使閣下

リブル民主主義人民共和国

 ドンデン外交部長閣下

ベロガトーヴィチ大公国

 ミハイル=ウラジミロヴィッチ=ベロリーソフ大公殿下

 大喪の礼に最多の出席者が参加しているのは意外にも維国であり、また同国首脳が石動へ訪問するのは今回が初であった。

 大喪の礼に際し 皇帝陛下は以下の御誄をご披露あそばされた。

扇宮謹みて
皇考の靈前に白す
皇考より朕の身命を給い四十五年、朕皇考より十善の徳を習い、百官の法を授かり、和漢の趣を共にす。此の恩巫山の雲より遥けくして、天下の四海より遠大なり。
朕皇考無くして高御座に就く事能わず、朕位に就かずして本朝の再興能わず。殯宮に候いて今ぞ皇考の大恩思い出ださるこそ哀れなり。朕皇考の隠れ給うを思い嘆き涙を枯らす事、将に億兆臣民と心を同じうす。嗚呼、哀い哉。

 幸楽園に於ける大喪の礼を終え、上皇陛下のご遺体は操山御陵へ埋葬された。

【社会】将軍継嗣足利高子殿下、ガトーヴィチ防衛大学校へ御留学

(公方府広報:景雲十四年(970年)4月2日)

 昨四月一日、偉大なる天竜寺の空に輝く星にして、我が民族と我が国家の領導者、 足利輝子征夷大将軍殿下のご長女におわす将軍継嗣 足利高子殿下は、神聖ガトーヴィチ帝国防衛大学校へご留学あそばされた。将軍継嗣が他国の軍学校へ御留学されるのは、 二代将軍足利晶子殿下が大幹帝国防衛大学校に、 三代将軍足利満子殿下がエーラーン救世軍大学校へ御留学された例に続き三例目となる佳例であり、 三代将軍以来実に380年ぶりの出来事である。入学式当日のガトーヴィチ防衛大学校は、正門に大石動帝国国旗である八重十四花弁三ツ横見菊菊花紋旗を掲げる歓待ぶりであった。また御留学に際しては高子殿下の付き人として、細川興子奉公軍中佐(奉公軍幕僚府作戦課戦力班長)長女の細川忠子女史、一色充子守護軍大佐(守護軍第三機甲師団第12戦車連隊長)長女の一色定子女史がそれぞれ入学した。

 高子殿下の御留学にあたり 恐れ多くも将軍殿下は「神聖ガトーヴィチ帝国はWTCOという陣営を同じくする友好国であり、イレギュラー級軍事衛星を保有する世界有数の軍事先進国の一つだ。私に代わり石動の未来を担う高子には、かの国でしっかりと我が石動をより確かな強盛大国の道へと誘へる様、しっかりと学問を修めてほしい」と仰せになられた。

【国際】細川経政前上将軍殿下、辞太政大臣。石動へ御移住

(旭日新聞:景雲十五年(971年)2月1日)

 大秋津国前上将軍殿下たる大御所、細川経政殿下が、秋津朝廷に太政大臣位を返上された。経政大御所殿下は、我が国が国際社会への復帰を果たしたその時に上将軍位にあらせられ、我らが 将軍殿下と二度に渡る会談を行い、その石秋の邦交を一層厚くせんがためご尽力され、石秋友好修好条約・石秋友好協力・相互安全保障条約の締結を実現された、石秋友好の尽力者ともいえる大秋津国の偉大なる指導者である。

 経政殿下は御遁世にあたり第二の住まいとして光栄にも我が石動をお選びになり、治部省と駐秋津石動大使館の調整を経て、山岡府室満京市内の西園寺家の別邸、奉還町東六条殿を住居として譲り受けることとなった。

 経政上将軍殿下の石動移住について九条房子権宮内卿兼治部卿は「石秋友好の立役者である経政上将軍殿下の御移住を心より奉迎したい。殿下が第二の住まいとして石動をお選びになられたことは、まさしく我が石動が東方の光り輝く住みよい国であることの証左であり、また石秋関係が完全に盤石であることの証左である」と語られた。

 経政上将軍殿下は1月28日に住居となる奉還町東六条殿の下見に来石され、将軍家別邸南山第に宿泊し将軍殿下・大御所殿下とご歓談。翌日宮中に於いて皇帝陛下より大勲位桃花大綬章を受勲された。

【国際】混迷極める塞国情勢。スラブ主義国成立か

(毎朝知報:景雲十五年(972年)8月6日)

 971年のクーデター以降、セニオリス共和国を不当に占拠する救国評議会は、国連安全保障理事会31号決議を評議会議長声明を以て拒絶し、二度にわたるSSPactからの是正勧告も黙殺した。安保理は同国に対する全面禁輸制裁に踏み切ったものの、同国の経済構造上直ちに効果は表れず、一方の同国を加盟国として抱えるSSPactでは、同国解放の為武器の使用を仄めかす態度がとられており、識者の間ではクーデター以上の流血を齎すことに懸念が持たれている。

 そのような中渦中のセニオリスでは救国評議会主導のもと憲法改正が行われ、同国は国号を「セニオリス・スラブ共和国」へ変更。同国の中でも多数派のスラブ人による民族主義的イデオロギーを前面に打ち出す政権が成立した。スラブ人を中心としつつも、ハルクステン人やランガル人・カルス人を国内に抱える多民族国家である塞国に於いて、多数派であるスラブ人による民族主義の発露は、同国における諸民族の弾圧に繋がりかねないと専門家は警鐘を鳴らしている。特に短期間であったとはいえかつての第三帝政期にランガル人・カルス人国家のラングラード・カルス帝国と片務安保関係を持ったこともある石動に於いては、ランガル人・カルス人の民族的アイデンティティが損なわれる様な結果が大いに憂慮されている。

 同問題について九条房子治部卿は定例記者会見で質問に答える形で、「これまで我が国は率先して安保理加盟国としての責務を果たすため、塞国問題について協議してきたが、これをあざ笑うかのような救国評議会政権の跳梁には怒りを覚える。国連安保理の主導によって、一刻も早く同国における法的秩序が回復されなければならない」と語られた。

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