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首都ベルクマリ解放へ 他

首都ベルクマリ解放へ

972年4月中旬の普蘭情勢

972年3月上旬、首都ベルクマリは数か月ぶりに普蘭中央政府の支配下を回復した。首都における市街戦を避けたい討伐軍は791年10月下旬頃から首都一帯を包囲。フリーダム・フリート側に対して以下の宣言を行った。

1.フリーダム・フリートは首都ベルクマリを不当な占拠から開放し、普蘭合衆国中央政府へ明け渡しを行うこと。
2.フリーダム・フリートの構成員の中で、普蘭合衆国中央政府の正当性を認めこれに従うものは憲法下における反革命罪の適用を除外し特例で不問とする。
3.フリーダム・フリートの構成員の中で、普蘭合衆国中央政府の正当性を否定するものは速やかに国外退去すること。
4.フリーダム・フリートの構成員の中で、普蘭合衆国中央政府の正当性を否定しかつ普蘭国内で活動を継続するものはこれを討伐する。

当初首都一帯に防衛線を構築し抗戦の構えを崩さなかったフリーダム・フリート側ではあるが、包囲2か月を経過したあたりから討伐軍への投降者が続出。宣言を受け入れるに至った。フリーダム・フリートの総戦力は10万人規模であるが、その内の8万人はマリンライト州兵である。弊誌取材によるとフリーダム・フリートはマリンライト州兵を動員するにあたり、あらかじめ支配下にあったマリンライト州政府高官および州軍の高級士官に「イーチマータ教主国に首都ベルクマリが占領された為、これを奪還のため出兵する」との命令を発信させており、この虚報を信じた一部師団が命令のまま首都ベルクマリへの強襲に参加した様である。これら参加者は討伐軍による包囲が始まると動揺も激しく、時間の経過と共に投降者と化してフリーダム・フリートから離脱していった。同時期に離脱した幹部の1人は「近年、我々は国際的な存在感の低下に苦しんでいた。一連のイーチマータ騒乱で普蘭国内が乱れている現状を利用すれば根本的な状況の打開を図れるのではという甘美な魅力には抗えなかった。」と発言した。とある政治学者は「フリーダム・フリートは数十年前からマリンライト州内に地域政党を結成し、民主的な手続きを経てマリンライト州政府に構成員を大量に送り込んでいた。彼らが州政府の運営を通してマリンライト州の発展に寄与していたことも事実であるし、このまま過激な暴挙に走らず議会政治を通して自らの主張を反映させることはできなかったのだろうか。」と評した。普蘭合衆国と恒常的な戦闘状態にありながら、一方で地域政党を結成して内部への合法的侵食も画策する。一見すると狡猾かつ有効な戦略に見えるこの方法は、いつしか本来の武力闘争を忘れて体制に取り込まれていくことに他ならず、彼らにとって危機意識を煽る以外の何物でもない状態になっていたのであろうか。我々市民としては、首都ベルクマリにおいて市街戦が展開されず、平和的な引き渡しが行われたことに安堵するばかりである。

フリーダム・フリート残党、セニオリス方面へ国外退去。

972年4月中旬のセニオリス情勢
※地理関係は弊紙取材による独自解釈です。

972年3月上旬、首都ベルクマリを普蘭中央政府に明け渡したフリーダム・フリートは、引き続き抗戦することを選択した構成員を中心にマリンライト州内の本拠地薔薇の園まで撤退した。しかし同月中に討伐軍が包囲すると抗戦を断念。先の宣言に含まれていた国外退去を選択して薔薇の園の放棄を決断した。薔薇の園からは武装商船を中心とした船団が続々と出港。セニオリス方面へと退去していった。薔薇の園における抗戦を断念した理由として、とある政治学者は「マリンライト州におけるフリーダム・フリートの政治的地盤の喪失が大きい」と指摘した。マリンライト州政府に送り込んでいた構成員は挙兵後に全ての役職から解任されており、薔薇の園に撤退したものの希望ある展望は無きに等しく、包囲下で継戦しても自滅しかないことから国内退去する選択しか残されてはいなかったといえる。また、セニオリス方面への退去を選んだ理由として、救国評議会によるクーデターが発生し支配構造が不安定にある同国に地盤を求めたとする説が有力である。弊紙独自の取材によると、フリーダム・フリートはベルクマリ退去前に救国評議会と何らかの接触を持っていた様である。交渉は不調に終わった模様だが、いずれにしても退去先として選択できる地域はもはや権力地盤が不安定な地域しか残されておらず、それはフリューゲルにおいてセニオリス地域一帯しかなかったと言える。退去したフリーダム・フリート残党はその構成員を2000人程度まで減らしたものの、セニオリス共和国エンデルヴァルト県北西にある無人島に上陸。簡易的な港を建設して駐留を開始した。普蘭中央政府は「引き続き監視を行いつつ、セニオリス情勢の安定をもって同国の政府と対処について協議を行いたい。」との声明を発信した。政権内部では「宣言を履行して国内退去した以上は討伐軍派遣などの介入はもはや不要ではないか。」という声や「イーチマータを鎮圧しない限り放置するしかない。」といった消極的な声が目立っている。

リブル国軍、セーラン州の制空権を確保。

リブル国軍が確保しているセーラン州上空

971年9月頃より、イーチマータ教主国を名乗る邪教テロ集団に対してリブル国軍の出兵が開始された。イーチマータ側はセーラン州を比較的少ない戦闘で占拠したことから、あらかじめセーラン州に構築していた防衛機能・軍事施設をそのまま利用している状態である。リブル国軍は出兵数日で同州一帯の制空権を確保。戦局を有利に進めてはいるが、徹底した守勢を維持するイーチマータ側の防衛線を突破するには至らず、膠着状態に突入している。ゴドウィン・ライル首相は定例会見において「リブル国軍による降伏勧告を拒否し、防災都市を用いて市民に犠牲を強いるゲリラ的防衛戦を選択したイーチマータを強く非難する。」と発言しリブル国軍への信頼を表明すると共に、セーラン州に留まっている市民に犠牲が出ている状況に苦渋の表情を浮かべた。中央政府では、セーラン州内にレジスタンス組織を結成する工作を行い、可能な限りの市民保護と防災都市機能の無効化を行うべく特殊部隊による州内部からの攻勢も開始している。首都ベルクマリの支配権を回復し、イーチマータ教主国への対応に全力を振り向けれる状態になった中央政府は、リブル国軍と共同しながらセーラン州奪還を引き続き進めていく方針を力強く宣言した。

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