読者の皆さまにお詫び致します。
本記事について、一部分に国際的合意に背く内容があるとのご指摘を頂きました。ハイネセル・タイムズ及び掲載元のレゴリスの声で精査した所、確認不足の結果起きた事象であることが発覚致しました。
謹んでお詫び申し上げますと共に、当該部分につきましては削除し記事を再公開致します。
この度はご迷惑をお掛けし大変申し訳ありませんでした。ご迷惑をおかけしましたことを心よりお詫び申し上げます。今後はこのようなことがないよう、報道内容を常に精査した上で公開するよう努めてまいります。
今後とも、ハイネセル・タイムズをご愛顧賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。
Die Heinesel Times AG / ハイネセル・タイムズ株式会社
【政治】レゴリス帝国、建国650周年を迎える
(本記事は国営放送である『レゴリスの声』の記事を掲載したものです。)
(16日 ブリンスト)フリューゲル歴957年8月16日。この日レゴリス帝国国民1億7383万8千人は歴史的瞬間に立ち会った。そう。世界に冠たる我がレゴリス帝国が建国されてか650年という記念すべき瞬間を。偉大なる我が帝国は幾度もの国難を乗り越え、国際社会という戦場に立ち続けた。そして遂にフリューゲルに於いても2例しか無い建国650周年という歴史上稀な快挙に至ったのである。その慶事を祝うため、本日、帝国の全ての都市では記念式典が催され、建国の功労者たる帝国軍によるパレードも実施された。その中で最も規模が大きな式典は帝都ブリンストのガストン・ホルスマン記念広場で、第56代レゴリス帝国総統シャーリー・イェーガー女史を始めとした政府・軍関係者、偉大なる帝国の節目を祝う帝国国民、そして世界19ヶ国から建国の慶事を祝いに参られた各国貴人の臨席の元、盛大に催されたのである。
式典は下記の如く挙行された。
1 帝国国旗及び帝国軍旗の入場
2 国防大臣による閲兵・激励(国防大臣アーデルハイト・グレーニング帝国元帥)
3 帝国総統祝辞披露
4 国歌斉唱
4 帝国4軍閲兵式
ガストン・ホルスマン記念広場では、まずシャーリー・イェーガー総統を始めとした帝国要人や各国来賓等の方々が入場し、次にレゴリス帝国軍の将兵らが隊列を組んで入場し、広場に整列。
続いて総統連隊によって掲げられたレゴリス帝国国旗及びレゴリス帝国軍旗が4軍合同軍楽隊が演奏する『ホーエンフリートベルク行進曲』に伴われ記念広場に入場した。
次に国防相であるアーデルハイト・グレーニング帝国元帥が入場し、記念広場を通っているレスタディアン通りの中央に陣取った中央軍管区司令官のターニャ・ディンドルフ陸軍上級大将と相対し、ディンドルフ陸軍上級大将が記念式典の準備完了の旨を報告した。
報告を受けたアーデルハイト・グレーニング帝国元帥がディンドルフ陸軍上級大将と共に整列したレゴリス帝国軍の将兵らを閲兵・激励し、レゴリス帝国軍の最高司令官であるシャーリー・イェーガー総統に将兵らの準備が整ったことを報告。報告を受けたイェーガー総統は演壇に立ち、式典の参加者、来賓、全てのレゴリス国民に向けて、次のように演説した。
「敬愛なるレゴリス国民の皆さん、ご臨席頂いた各国来賓の皆様、退役軍人の方々、我らが兵士、水兵、軍曹、曹長、准士官、准尉の皆さん、将校、将官、提督の皆さん。建国記念日おめでとうございます。 ノルスモールに大勝利し、レゴリスが解放された栄光の日から650年後の今日を皆様と迎えられたことを嬉しく思います。
299~307年の祖国解放戦争における歴史的勝利から650年の歳月が過ぎました。8月16日は目に涙を浮かべながら迎える祝日であり、ノルスモールから祖国を解放し、統一された帝国を建国した国民の不朽の偉業の象徴です。この慶事を迎えるに当たり、偉大なる我が帝国が650年に渡ってこのフリューゲルに刻み続けた歴史を振り返りたいと思います。浅学ではありますが、暫くの間ご容赦頂ければ幸いです。
今からおよそ652年前、レゴリス諸島は大いなる政治的混乱の最中でありました。我が国の前身たる小国家時代のレゴリス帝国を同盟国の力を借り武力で以て追い出した、虚栄と腐敗が蔓延ったノルスモール連邦は、その後連邦構成国である3カ国から独立宣言を突きつけられ最早自力での解決が出来ませんでした。そこでノイエクルス連邦が仲介を申し出たものの、独立側は一貫性に欠いた提案を何度も提示し続け、問題解決の意思を見せません。当時天鶴帝国に身を寄せていた我々の祖先であるレゴリス帝国亡命政府はこのような惨状に対して武力による最終的解決を図る事を決定。天鶴帝国に協力を要請しノルスモール連邦と独立側に宣戦を布告。そしてほぼ同時にノイエクルス連邦も仲介時に於ける双方の態度から統治能力不足と政権の腐敗を察知し、事態の最終的解決を図る為に宣戦布告を行い、ここにレゴリス帝国の完全解放を目指した祖国解放戦争の逆襲戦が勃発したのです。
祖国解放戦争に於いて帝国軍は全戦力の凡そ半分である約18万人もの犠牲者を出しつつ、天鶴帝国とノイエクルス連邦の大規模な支援を受けながら各地を解放していきました。その時、レゴリス諸島に残留していたレゴリス国民達も自ら進んで武器を手に取り戦場に向かい、自らの身を顧みず果敢に戦いました。結果として凡そ100万人以上もの犠牲者が出してしまいましたが、その自己犠牲と英雄的行動により祖国解放戦争は一挙に終局へと向かうのでした。 307年8月16日、ノルスモール連邦政府は提示された講和条約に調印。発効された講和条約に基づきノルスモール連邦は解体され、後継国家としてレゴリス帝国の成立が亡命政府首班であったガストン・ホルスマン初代総統によって高らかに宣言されました。これが世界に冠たる我がレゴリスの、650年に及ぶ歴史の始まりなのです。
祖国解放戦争後、天鶴帝国とノイエクルス連邦の心温かい支援を受けながら戦火に飲み込まれたレゴリスの復興に政府・国民が一丸となって取り組み、結果として当時のフリューゲルで第三位の生産量を誇る農業大国として復活しました。しかしその一方で早急な復興を行うため、国家社会主義レゴリス労働者党による一党独裁体制が構築され、民主主義とは程遠い政治環境となってしまったという負の面がありました。復興が完全に完了し、発展へと段階を移った355年4月、これを是正しようとしたエルヴィン・アーレルスマイヤー第二代総統が暗殺され、同時に帝国軍の一部がクーデターを起こし政府閣僚を纏めて暗殺するという事件が勃発。その後政府機能が崩壊したレゴリス帝国は内戦状態に陥り、以後25年近くに及ぶ内戦、第1次レゴリス内戦がレゴリス諸島に於いて繰り広げられました。
そして380年1月、内戦を終結させた稀代の名将グレーテル・バルシュミーデが第三代総統に就任し帝国の復活を国際社会に高らかに宣言。バルシュミーデ総統の政治手腕、そして敬愛なる国民の皆さんの弛まぬ努力によって10年後帝国は国際統計上で第10位、人口3800万人を数える商業国として廃墟からの復活を遂げました。392年には5世紀末までの帝国の安全保障の根幹となるアースガルド条約機構に加盟。以降ATOの主導国として盟邦ミッドガルド帝国と共に様々な国際的問題に取り組みました。399年にはレゴリス帝国憲法が改正され、国家社会主義レゴリス労働者党による一党独裁が廃止され、完全な民主化を達成。嘗て抱えていた負の遺産を消し去ることに成功しました。こうして繁栄を続けていた我が帝国でしたが、455年に一部の軍人によってクーデターが、そしてそれに呼応して共産主義者をも武装蜂起し第2次レゴリス内戦が始まってしまいました。一時は3つの陣営に分裂してしまった我が帝国はATOに介入を要請。それを受け入れたATOは直ちに部隊を派遣し、ATO軍を主体とした「ドゥーム作戦」により反政府勢力は一掃され、以て帝国は秩序を回復しました。
内戦終結後の帝国は内戦の傷を癒やすどころかさらなる発展を遂げ、490年には国際統計上で第5位、人口8000万人を数える大国となり、文字通りの列強入りを果たしました。そして491年にはフリューゲルで2度目の大規模戦争…フリューゲル初の世界大戦たる491年戦争に帝国はアクアマリン・ATO連合側で参戦し、他の双方の参戦国共々血を流しました。累計で凡そ8000万人以上の死者を出したこの苛烈な戦争の悲惨さは今尚フリューゲルの至る所で語り継がれており、帝国が忘れてはならない負の記憶の1つです。
………491年戦争終結後、普欧帝国やアクアマリン王国、ブリテン王国等の主要な国家が消えていきました。時の総統ヴァルター・ディットリヒの主導により帝国再開発計画が発動され、これにより国際統計上第2位の大国に至った我が帝国ですが、ATOの解体、同盟関係にあったクラーシェ誓約者同盟の乱心、FENAへの加盟拒否、エーラーン教皇国駐屯地への誤爆等、帝国に対して様々な逆風が吹き荒れた冬の時代でありました。その冬の時代を終わらせたのが盟邦ミッドガルド帝国との永久同盟の締結でした。永久同盟の締結によりミッドガルドと一心同体となった我が国は永久同盟として、時には単独で様々な国際的問題に対して強力に介入しました。何度も起きてしまったエルツ帝国やフリューの内戦、日ノ本共和国の講和条約不履行、ベルサリエーレ王国による自国民虐殺疑惑、ヴァノミス問題等が代表例として挙げられましょう。更には当時の列強であった成蘭連邦王国、ティユリア連合王国による神聖同盟との連携が行われ、より国際社会への影響力を強めました。正に我が帝国は黄金の時代を迎えていたのです。
しかし、この黄金の時代も長くは続きませんでした。629年頃からミッドガルド政府の機能が停止した上、今まで続いていた商品取引も止まり我が帝国の経済が麻痺すると言った障害が出始めたのです。これに対して時の政府は様々な対応を打ち始めました。ENECとの協力体制構築に始まり、PDECの創設、ソサエティの創設、フリュー第二帝政の工業化、後の盟邦となるロムレー湖畔共和国等といった当時の非同盟諸国との関係強化等を行いました。ですがその努力も虚しく、ミッドガルドはもとより、成蘭連邦王国、ウェールリズセ連邦共和国といった盟邦を相次いで失い、影響力の源泉たる強力な安全保障環境を失いました。外交では甘い考えからヴァノミス危機を引き起こし、491年戦争をも超える未曾有の世界大戦の引き金を引きかけるという大失態を負いました。更には帝国経済を支える国家が相次いで失われたことにより2度の経済危機を引き起こし、総額1400兆Vaもの負債を一時抱えることになりました。
この国難を乗り越えるのは至難の業でした。ですが我々は一致団結しこの困難を乗り越える事に成功し、偉大なる帝国として復活を遂げられました。こうして復活を遂げた我が国は813年戦争で行き過ぎた主張を行ったセニオリス共和国に掣肘を加え、これを鎮めることに成功しました。更には冰州連合の貿易レートに端を発する貿易レート問題に於いてもヘルトジブリール社会主義共和国、カルセドニー社会主義連邦共和国といった主要な列強と連携して問題に対処し、無事解決することが出来ました。経済面ではさらなる飛躍を遂げ、世界初の1期当たり商業売上高50兆Va超え、年間商業売上高2000兆Va超えを相次いで成し遂げ、帝国経済の復活の象徴となりました。
然しながら国難はまたしてもやってきます。831年には時の総統リーゼロッテ・ヴェルトミュラーの事実上の独断により国民との合意形成も、同盟国等への事前説明もせずセニオリス共和国併合を強行しようとし、これが国際的な大問題に発展しました。帝国議会上下院の懸命な判断により批准は成されず、以て併合も破談となりましたが、国際的な影響力・信用力に大きなキズを付けました。
この新たな国難を解決し乗り越える為に、我々は国民らと一心一体となって様々な行動を起こしました。結果としてそれは盟邦ロムレー湖畔共和国との新たな永久同盟の締結に結実し、盤石な安全保障環境を、影響力を取り戻すこととなりました。また、フリューゲル国際連合にも原加盟国として参加し、「フリューゲル経済諸国同盟及びレゴリス帝国と直接または間接に安全保障条約を締結している諸国」の同盟理事国としてFUNで最も重要な機関である安全保障理事会の一翼を担うことにもなりました。永久同盟と国連という両翼を得た我が帝国は、国際社会での地位を取り戻し、そして今現在に至る我が帝国、ヘルトジブリール社会主義共和国、カルセドニー社会主義連邦共和国の3大超大国を中心としたフリューゲルの平和と繁栄を築く事に成功しました。この平和と繁栄は1世紀以上も打ち破られる事が無く続いており、フリューゲル史上最も長い平和な時代が今訪れています。
この長い、とても永い平和と繁栄の時代は、かつて、私達の祖先らが望んだ世界です。この平和と繁栄の時代を維持し・擁護するのが我が帝国の役目であると私は考えています。我が帝国は今後も強力な国力、軍事力、そしてそれに裏打ちされた外交力を以てしてこの平和と繁栄の時代を護る為に全世界に於いて様々な垣根を超え活動を続けます。護るために必要な国力を更に高め、軍事力を近代化し、同盟関係を拡大強化します。然しながら、それを成し遂げるには我が帝国の力だけでは到底難しいものです。ですから、永久同盟の契を交わしたロムレー湖畔共和国を始め、普蘭合衆国、昭栄国、カドレン共和国といった盟邦は元より、ヘルトジブリール社会主義共和国、カルセドニー社会主義共和国、ロシジュア平和連邦を始めとした友邦らと協力し、この時代を護っていきます。
我が帝国はこの650年に及ぶ長い、とても永い歴史において、多くの血を流し続けました。祖国解放戦争から始まり、二度に渡るレゴリス内戦、龍鮮戦争、491年戦争、フリュー・エルツ両国の内戦、瓦辺戦争、日ノ本戦争、813年戦争、そして歴史に名前が載らなかった様々な小規模の”戦闘”…。あまりにも多くもの血が流れていきましたが、これは我が帝国が自国の平和と繁栄は元より、フリューゲルの平和と繁栄にどれだけ力を注いできたかを示す印であり、例え自国が戦火に包まれようともフリューゲルの平和と繁栄を護るという偉大なる先人たちから受け継がれ続けた我が帝国の決意なのです。ですが、フリューゲルの平和と繁栄を維持するために必ずしも血を流すことはありません。盟邦や友邦らと協力しつつ、外交努力によって問題を解決させられるのであればそれに越したことはありません。然しながら、外交だけでは解決できない場面も出てくるでしょう。その場面が実際にあることを我が帝国の歴史が、そしてフリューゲルの歴史が教えてくれます。そうした時が訪れたならば、私達は躊躇なく武器を手に取り、自らの血を流すことを厭わず、フリューゲルの平和と繁栄の為に戦います。それが偉大なる先人たちから私達が継承した決意であり、子孫たちに言い伝え後世へと継承すべき決意でもあるのですから。
偉大な勝利、そして建国の日おめでとう。レゴリスに栄光あれ。万歳!」
イェーガー総統が演説を終えた直後に、レゴリス帝国軍将兵が万歳三唱を行った。
万歳三唱後には国歌である『世界に冠たる我がレゴリス』が4軍合同軍楽隊によって力強く、壮大に演奏された。
国歌演奏終了後にレゴリス帝国軍の軍歌や行進曲が演奏され、中央軍管区司令官であるディンドルフ陸軍上級大将を先頭にレゴリス帝国軍がパレードを行った。
パレードにはレゴリス帝国軍の全軍種の代表部隊や兵器が参加。続いてパレード終了後にレゴリス帝国陸軍・海軍・空軍・海兵隊による航空機の編隊飛行が行われた。
輸送ヘリコプターから始まり、攻撃ヘリコプター、Pe-1H戦略爆撃機ヤタガラスとPe-4戦略爆撃機バズヴ、Pe-9戦略爆撃機ネヴァンやステルス戦闘機Le-22ヴリコラカスやLe-35ヴルコラク等がガストン・ホルスマン記念広場の上空を通過。そして、曲技飛行隊スカーレットマイスターズが記念広場上空に噴煙で帝国のシンボルたる五稜星を描き、建国650周年を祝った。
五稜星が風によって薄れていく中、ガストン・ホルスマン記念広場に最後まで残った4軍合同軍楽隊が軍歌『ラインの護り』を高らかに歌い上げ、『プロイセンの栄光』を演奏しながら行進し広場を去った。こうして世界に冠たる我がレゴリス帝国の建国650周年記念式典はその幕を閉じた。偉大なる祖国レゴリス帝国は今後も飛躍を続け、平和と繁栄という大翼を広げフリューゲル全体を包むことだろう。
記念式典には、アプリル・ヴァンデルモーナント前総統やラウラ・ディーツゲン元総統を始めとした帝国の政府要人の他、多数の各国からの来賓が臨席した。
【建国記念式典に御臨席いただいた各国・地域・企業来賓】
(順不同。確認順)
神聖ガトーヴィチ帝国
バリニーツァ・アンゲローヴナ・リーソヴァ大公女殿下
ニキータ・ミハイロヴィチ・アフトルーチキン外政大臣閣下
セニオリス共和国
バーバラ・オリーン大統領閣下
ヴェールヌイ社会主義共和国
エレーナ・ザラフィアンツ閣僚評議会議長閣下
ウラジーミル・ゼルドヴィッチ外務大臣閣下
セルゲイ・スフォリム駐烈大使閣下
リブル民主主義人民共和国
コーリャマ・ミズポ書記長閣下
大石動帝国
和気宮皇太女殿下
足利輝子征夷大将軍殿下
二条治子権宮内卿兼治部卿閣下
冷泉廸子宮内参議兼駐レゴリス大使閣下
ロムレー湖畔共和国
アンリエット・ブランディーヌ・ビュファン中央議会議長閣下
クロティルド・ニネット・ダニエル・ランヌ外交局長閣下
デルフィーヌ・イネス・コルネイユ駐烈大使閣下
モイーズ・ニコラ・ル・スュール安全保障局長閣下
イレール・ジュスタン・アウイ参謀総長・空軍大将閣下
フランセット・リュシー・シャノワーヌ第二艦隊総司令・路烈合同軍団指揮官・海軍中将閣下
ヘルトジブリール社会主義共和国
レイラ・ローレライ国家評議会議長閣下
御岳大社領御岳山諸島
神代小春御岳大社大宮司様
民族自治軍管区ハルィチナー
評議会外交部人民代表閣下
ヴェニス株式会社
カリスト・アロCEO様
普蘭合衆国
ジョン・ジョブ・ロゴス在レゴリス大使閣下
トラハト=ラシュハ連合王国
ベンヤミン・ヴァイス首相閣下
大秋津國天照院幕府
由仁伝皇王陛下
皇后陛下
細川経政将軍殿下
鳥羽高麿関白殿下
成蘭王国
国王陛下
春上輝彦首相閣下
ネオ下北沢帝国
NKTIGKSG総務大臣閣下
ロシジュア帝聖平和ドミニウム
アーニャ・イノセンティナ中務ソシアート代表閣下
香麗国
朴成華皇帝陛下
尹賢秀皇配陛下
カドレン共和国
バルフォア大統領閣下
ノイエクルス連邦
アルセリア・レイノソ連邦外務評議員閣下
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