国家人民軍、訓練再開
965年4月、国防省は国家人民軍の定例訓練を再開したと発表した。
国土再生や経済復興に国家リソースを集中する方針から、軍の再整備は後回しにされてきたが、再建から28年を経てようやく着手された格好だ。
これを記念する形で、西軍管区の地上軍部隊では訓練開始式が催され、ザラフィアンツ首相とヴォルコヴィチ上級大将(地上軍のトップ)が参加、首相が訓示を述べている。
ザラフィアンツ首相「(前略)かつてに比べ国際情勢が複雑さを増す中で、国の存立を全うし、生命と財産を防衛することは、共和国政府の変わらぬ最重要任務です。人民軍将兵の皆さまにおかれましては、労働者と農民の軍隊としての誇りを胸に、良い伝統を受け継いで一層鍛錬に励まれることを期待します。」
中央軍管区でなく西軍管区で記念式典が催されたのは、ヴォルネスク独立戦争後の不安定な国内情勢下において発生した武装集団事件(753年4月-グムラク市を中心に大きな被害を出した)が念頭にあったと見られる。
開始式を訪れた市民からは、軍の再開に喜ぶ声があがる一方、兵士の家族だという女性は本紙のインタビューに以下のように答えた。
「同盟国との協力が大切なのはわかります。けれども無用な戦争に巻き込まれないか心配です。エレーナ同志はよく過去を問題にされているので、平和外交を一層頑張ってほしいと思います。・・・・あ、純粋社会主義万歳」
大石動帝国と国交正常化
964年5月、政府は大石動帝国と国交を開設したことを発表した。
一般に、同国とは間接的な利害対立があったとされることが多く、はじめての国交開設は660年代に入ってからと時間を要した。紀元250年の国際閲兵式に国家人民軍衛兵連隊が派遣されるなど、関係改善が進んでいたが、間もなくしてサンピエル問題が発生すると、それを受けたソサエティ合意に連動して674年2月に国交を停止することになり、以来関係が途切れていたもの。
宮殿の定例会見では「歴史ある国と友好関係を築いていきたい」との首相コメントを紹介した上で、両国元首が未来志向の関係構築に前向きな姿勢を示したことで国交開設が実現したもので、双方の努力によるものという見解を示した。
961年に催された同国の紀元550年祝典においては、ザラフィアンツ首相が祝電を送り、これが国交のない国としては異例の紹介を受けており、かねてから水面下で交渉が行われていたと見られる。
なお、国交開設に伴って同国治部省による公式漢字表記が公開されており、共和国は「維爾努意(維)」となっている。
国際慣習上は引き続き「別」が用いられることになるが、漢字圏国家が公式に定めた音訳として関心が持たれている。
「良い漢字が使われていて嬉しい。共和国の漢字表記を見ると両国関係が近くなったように感じられる」(大学生:成蘭語専攻)
「人民にとって石動は知っていることが少なく未知の国です。これを機会に書籍などが輸入されると嬉しいですね」(労働者)
「ISGでのバレーが記憶に残ってます。あの時はじめて石動国歌を聞きましたが、言葉はわからないけれど荘厳で悲しいイメージ。我が国にはない旋律で、神秘的に感じました。あとあれ中の人が突然一発目にダイス振ったのが流れをおかしくしたよね」(農民)
(その他ヘッドライン)
・ソサエティ解散。5ヶ国首脳会談「オブシサヴェート」発足。「一定の価値観を共有できている有力国と同じテーブルで話ができることは意味がある。ソサエティ発足時、その提唱国が想定したものとは全く異なるものとなるだろう」(政府筋)「広くの国際協調は国連の機能と役割強化で推進されるべきとの考えを持っている」(外務省)
・セビーリャ・レスポンサブル成立。「責任セビーリャの責任は今しばらくはロムレーにあると見るだろう」(ノルシュテイン大・国際政治学教授)
・ヴェニスと国交開設。AI大使館に驚きの声。「中央政府と直接対話できているようなもの。新しい国の形と交流する事は我々の知見を広げることにもなり喜ばしい」(外務省)「ヴェニス社が共和国に進出することは法的制約から考え辛い。向こうが難しいと判断するだろう」(工商計画省)「ヴェニスちゃん同志カワイイヤッター!」(労働者)