メニュー 閉じる

紀元550年祝典挙行他

紀元550年祝典挙行。帝国の再建を高らかに称揚

(公方府広報:景雲五年(961年)5月15日)

公方府前広場を行進する守護軍憲兵隊特別儀仗隊

 フリューゲル歴961年、もとい景雲四年にして明日香宮皇帝紀元550年を迎える昨日5月14日、畏くも 皇帝陛下に於かせられては、 天龍寺の空に輝く星にして百戦百勝の霊将、本朝再建の実現者、偉大なる 足利輝子征夷大将軍殿下に、明日香宮皇帝紀元550年祝典の挙行を命ぜられた。畏くも 征夷大将軍殿下に於かせられては、公方府をしてこの石動史、ひいてはフリューゲル史に遺る一大祝典を企画せしめられ、大石動帝国建国550年を寿ぐに相応しい祝典を挙行するよう命ぜられた。祝典は初代将軍 足利高尊子殿下の御稜威見守る公方府前の霊安門広場にて挙行され、 上皇陛下、 皇帝陛下、 大御所殿下、 征夷大将軍殿下以下、 すべての公方府閣僚級職員と公方府・軍高官が出席された。

 かかる石動史の節目とも謂える一大祝典は以下の如く執り行われた。

〇式次第

  1. 国家奉唱
  2. 開会の辞(細川幽子管領)
  3. 皇帝陛下勅語下賜
  4. 征夷大将軍殿下寿詞御披露
  5. 各国祝辞(カルセドニー・リブル・秋津・ヴェニス)
  6. 帝国五軍閲兵式
  7. 空軍による航空演武展示
  8. 雅楽奉納(女舞五常楽)
  9. 経典奉読(金光明経)
  10. 閉会の辞(三階敏弘副管領)

 またこの一大祝典の慶びをより多くの諸友邦と共にせんがため、畏くも 皇帝陛下は治部省に、国交を有する全ての国家に対し招待状を送付する様命ぜられ、実に13ヶ国からの来賓が本祝典に出席された。各国の出席者は以下のとおりである。

神聖ガトーヴィチ帝国

 アパラート・イェゴローヴィチ・リーソフ君帝陛下
 ブラーガ・アパラートヴナ・リーソヴァ セヴェロモルスク大公女殿下
 ミェーチ・シリブローヴィチ・ゾーラトフ商工貿易大臣閣下

リブル民主主義人民共和国

 田母神ミズポ書記長閣下
 鳩川千兵衛外交部長閣下

株式会社ヴェニスグループ

 セフィロトシステム セフィラ10 「マルクト」

御岳大社領御嶽山諸島

 御岳大社祭主 大道寺初音臺下
 御岳大社大宮司 神代梅花閣下

レゴリス帝国

 シャーリー・イェーガー総統閣下
 シェリー・ベレスフォード外務大臣閣下

セニオリス共和国

 アナ・クラリツ外務長官閣下

ベロガトーヴィチ大公国

 ニコライ・ミハイロヴィッチ・ヴィチャスラフ公殿下

大秋津国

 皇王実仁陛下
 皇后教子陛下
 皇太子通仁殿下
 皇太子妃英華殿下
 関白鳥羽高麿殿下
 上将軍細川経政殿下
 世子 細川経治殿下

大香麗国

 朴成華皇帝陛下
 尹賢秀皇配陛下
 左相李知英閣下

ロシュジア帝政平和ドミニウム

 エレオノラ・コンポージナ中務ソシアート代表閣下

普蘭合衆国

 アルカンジェロ = ポルセッリ外務大臣閣下

カルセドニー社会主義共和国

 トーネ・ユーファストーン大統領閣下 ペレン・アメシスト外交委員長閣下

ノイエクルス連邦

 エリゼオ・コッティネッリ駐石動大使閣下

  畏くも 皇帝陛下は祝典に於いて 勅語を発せられ、これに続き 征夷大将軍殿下が寿詞をご披露された。

勅語

 朕茲に本朝二代皇帝明日香宮陛下初国治らせしより実に五百五十年の悠然たる年月経たるを知れり。而して朕征夷大将軍をして、斯かる一大祝典の庭に文武百官億兆良民を相会さんと催せしめ、八紘一宇天下万邦より貴人を招かせしめ、古の皇祖大皇祖日本神皇本朝人皇諸皇霊に粗相なき慶祝の礼を執らんとするは此れ朕が本朝君主たるが故の大事にして、本朝人皇が先期先例当に斯くの如し。朕伏して皇祖大皇祖日本神皇本朝人皇諸皇霊に本朝愈々栄えに栄たるべきを敬白し、謹んで天下万邦の諸友邦が君臣に本朝言祝がるる御礼を謝し、慈しみて文武百官億兆良民の国を興し公に奉ず役を労う。

 本朝三度の朝廷の末に人心興廃し国を失すと雖も、朕が第一の忠臣たる征夷大将軍の燦然たる武功に扶けられ、当世に於いて将に四度の朝廷復さんとす。此れに依りて当世海内には眞金打つ白煙絶えずして、城外には兵の篝火絶えざるが如し。汝臣民の紡ぎたる精緻なる品々は鉄の大船に積まれ、広く四海の耳目を驚かす事極み無し。此れ単に朕が第一の臣下たる征夷大将軍の善政にして、文武百官の善仕にして、億兆良民の勤労が為に他ならざる事、疑わざる所なり。

 且又本朝の栄華を実現せる所以は本朝海内のみに求めざる所釈然たり。朕伏して、社稷の賊に辱めらる折には朕が皇統と朝廷を守護し、再建の後は本朝の第一の友人として本朝の再建を扶翼せる架社会主義共和国、本朝と共に地球日本の光輝ある伝統を堅持し、その歩みを一にする大秋津、本朝の同胞にして当世に一層その邦交を固くせんとする利布爾民主主義人民共和国三国に甚だの謝意と御礼を白す事極みなし。

 斯くが如き本朝の栄華を一層輝かさんが為、汝臣民克く大業に励み或いは剣を持ち或いは筆を執り或いは槌を振るい、仏神の趣旨を護り国体の基を支え、億兆一心と成りて各々の大業に当たるべし。

征夷大将軍殿下寿詞

 帝国臣民の皆さん、そしてお集まりいただいた各国御来賓の方々。この度我が大石動帝国は、幾度の政変と、幾度の天災、幾度の国難を乗り越えて、この日、初国治らす本朝二代皇帝明日香宮陛下御即位より550年という輝かしい節目を迎えることとなりました。今日の良き日に、私、足利輝子がこの一大祝典を預かる名誉を賜りましたことに、慎みて 主上に御礼申し上げます。

 さて、紀元550年を迎える我が大石動帝国が歩んできた歴史は、まさに波乱に満ちた盛衰の繰り返しでした。第一帝政期の発展と滅亡。第二帝政期の菜良島に於ける繁栄と国土喪失。そして第三帝政期の本州統一と南北朝動乱。これを乗り越えて齎された我が国の最盛期と経済破綻による滅亡。そして、我ら公方府が戦乱状態となった本州を再統一して成し遂げた今日の第四帝政があります。こうした本朝の歴史を顧みて確信できる事実はただ一点です。我ら石動人は、如何なる困難にも屈する事無く、不死鳥の如く何度でも立ち上がることが出来るという点です。これは我が石動帝国が永遠に滅びることはないという天命とも受け取ることが出来ます。

 天命、有体に言えば運命とでも申しましょうか。キリスト教に於ける宿命論は教義上未だ議論の余地を出ておりませんが、「天命」の概念は遥か地球時代の周代に確立されました。「天命」とは天帝、すなわち天の命令です。私がこの「天命」を感じ取ったのは、私が14歳の頃、まだ将軍位に就いて間もなく、未だ本州が統一されていなかった頃です。私は逆臣松永秀久の差し向けた30余人の刺客に三発の銃弾と七ケ所の刀創を蒙りました。普通なら命を危ぶまれる重傷を負いましたが、私はこうして一命を取り留め、この場で皆様に語りかけています。この奇跡を私は「汝が石動本州を統一せよ」と命ずる「天命」の顕れであると考えました。私はこの「天命」に応じることこそが、征夷大将軍として生まれ落ちた私にとっての、何事にも代えがたい使命であると感じ、本州統一の為の闘争の日々に明け暮れました。果たして、本州統一は実現されました。畏くも 皇帝陛下は本州統一を成し遂げた我々公方府の正統性をお認めになり、我が帝都に帰洛頂き、石動の再建を実現することが出来ました。これを「天命」と謂わずして何と呼べばよいでしょう。

 皆さん。「天命」は君主や為政者のためだけのものではありません。皇族・公家・武家・平民の身分を問わず、すべての人には必ず「天命」があります。これは決して天下国家に関わるような大事とは限りません。帝国臣民の全ての皆さんが各々の「天命」を感じ、これを実行に移すことで、我が石動は必ずより良い方向へ向かっていき、三代将軍鹿園院足利満子公の齎された黄金の世紀を取り戻すことも夢ではないのです。

 しかしながら、ただ我が国の独力でこれまでの我が国の工業立国としての再建が実現しなかった様に、これからも我が石動は、これまで邦交を温めてきた諸友邦と共に、そしてこれから邦交を温めてゆくであろうまだ見ぬフリューゲルの諸国と共に、これからも万邦協和の精神のもとに連帯していく所存です。ことにこの度の祝典でご祝辞を賜りますカルセドニー社会主義共和国、大秋津国、リブル民主主義人民共和国の三ヵ国に最大限の感謝を表すと共に、これからも変わらぬ友諠を重ねてゆければと存じております。

 浅学ゆえお聞き苦しい所もあったやもしれませぬが、これにて私の祝辞を終わらせたく思います。そして改めまして、この紀元550年という輝かしい節目を祝わんがために、万歳三唱を以て私の寿詞を締めくくりたく思いますので、しばしご列席の皆様のお手を拝借したく存じます。

 明日香宮皇帝紀元550年万歳!万歳!万歳!!

 以上の如く石動史の佳例ともいえる見事な 勅語 寿詞を披露された 皇帝陛下、 征夷大将軍殿下に続き、カルセドニー社会主義共和国、リブル民主主義人民共和国、大秋津国、株式会社ヴェニスグループの祝辞が披露された。

カルセドニー社会主義共和国 トーネ・ユーファストーン大統領閣下祝辞

 明日香宮紀元550周年という歴史的な節目において、祝辞を差し上げる栄誉を賜り、大変光栄に思いますとともに、このような機会をいただけましたことを感謝申し上げます。

 カルセドニー島に我が国民の父祖が入植を開始した616年当時、貴国は既に200年を超える歴史を刻んでおり、石動第三帝国はまさに最盛期に入らんとしていました。おりしも7世紀フリューゲルはファシズムの暴風が吹き荒れる激動の時代であり、ヴァノミス危機やサン・ピエル問題など、国際社会の様々な課題に対する貴国の立ち回りは、風に流されずに一国の独立したスタンスを貫く、強力な軸を持った外交政策として当時のカルセドニー島共和国の国民にも受け止められていました。

 石動第三帝国が崩壊した際、旧共和国が当時の直衣宮皇帝陛下の亡命を受け入れた当時の大統領府の判断は―その政府を革命によって打倒した父祖を持つ我々がこのようなことを述べるのは妙な話ではありますが―正しい判断であったのだろうと私は考えています。貴国が2世紀半に及ぶ分断と戦乱の時代を経たのち、再度の国際社会への復帰を果たした際に、我が国において貴国皇帝家が存続されていたことが、統一―政治的・軍事的統一のみならず、ネイションとしての統一―に大きな役割を果たしたということは、旧共和国以来350年にわたって共和制を掲げる我が国の市民には想像もつかないことであっても、疑いようのない事実であります。

 949年に貴国が再び統一され、国際社会に復帰されてから、貴国は急速に発展を続けております。かつての石動第三帝国時代の栄光を取り戻し、さらにそれをはるかに上回る繁栄を手にする日もそう遠くはないでしょう。一方で、フリューゲルの景色も7世紀当時とは大きく異なっております。暴風は過ぎ去り、先進国同士が砲火を交えることも絶えて久しくなっています。直近150年にわたって続いているこの凪の時代を次の150年にも守っていくために、我が国は、そして国際社会は、貴国の力をまた必要としているのだろうと私は思います。貴国がその力によって統一を取り戻されたように、フリューゲル世界の団結もまた、築き上げられ、守り抜かれていくことを願っています。

 改めまして、明日香宮紀元550周年を迎える貴国の歴史と、伝統と、それらによってもたらされる栄光に対して敬意を表させていただきたいと思います。ありがとうございました。

リブル民主主義人民共和国 田母神ミズポ書記長閣下

 この度は盟邦の実に慶ぶべき式典にご招待いただき、感謝いたしますとともに、リブル人民を代表して大石動帝国建国550周年の佳日をお慶び申し上げます。

 お祝いに、我が国の国歌、リブル音頭を一曲披露させていただき、祝辞とさせていただきたいと思います。

エーサテは一座の皆様よ
チョイと出ましたわたくしは
お見かけどおりの若輩でヨーホイホイ(ハーエンヤコラセードッコイセ)
まかり出ました未熟者 お気に召すよにゃ歌えぬが
石動との友情を
リブル国歌ハノイ音頭に乗せまして 精魂込めて歌いましょ (ソーラヨーイトーコサー サーノーヨイーヤサッサ)
フリューゲル世界の国々よ
その中にも悠然とヨーホイホイ(ハーエンヤコラセードッコイセ)
栄光輝くダイ石動よ
地球の昔大東洋
その名も日の本から
今に伝わる皇統 大石動帝国
きいておくれよ 荷物にゃならぬ
きけば心もチョイとしゃんせ
気から病も出るわいな
歌の文句は小粋でも
私しゃ未熟で
とってもうまくもじっさい
きっちりこまかく読めないけれど
八千八声のホトトギス
血を吐くまでも血を吐くまでも つとめましょ
(ソーラヨーイトーコサー サーノーヨイーヤサッサ)

お粗末さまでございました。

大秋津国 皇王実仁陛下御祝辞

 同胞国大石動帝国明日香宮皇帝紀元五百五十年ノ慶日ヲ朕深ク焉レヲ嘉尚ス
 抑々大秋津及ビ大石動ハ遠祖ヲ同ジクスル兄弟国タリ、過去ノ行違イハ悠久ノ歴史ニ於イテハ瞼ノ一瞬キト思ウ所ナリ
 今、燦爛ノ紀元五百五十年ヲ迎エ大石動ノ国威当ニ天ヲ衝カントスル勢イヲ示ス所此レ皇祖皇宗ノ導キニ深甚ナル感激ヲ覚エル所ナリ
 天佑ヲ有ス大秋津国モ又勤勉忠良ナル大石動臣民ニ倣イ万邦ノ協和トニ寄与スルアランコトヲ期スル物ナリ
 大石動帝国ノ栄エアル前途ニ皇祖皇宗ノ天佑ノ有ランコトヲ禱リ朕ノ祝辞トスル 

ヴェニスグループ セフィロトシステム セフィラ10 「マルクト」祝辞

セフィロトシステム セフィラ10 “マルクト”です。
明日香宮皇帝紀元550年を心からお祝い申しあげます。
大石動とは近年相互の関係構築が始まり、独立後には国際社会における基本的価値観を共有する重要なパートナーとなるでしょう。
今後もヴェニスグループは大石動の皆様と共に歩み、より大きな繁栄した国になるよう努力していく考えです。
大石動帝国の益々の発展と国民の皆様の御多幸を祈念し、私の御挨拶といたします。
(著名)
ad8fc31c7477d80b342ee321b715cd3d

 各国祝辞はいずれも一様にして本朝の再建を寿ぎ、その再興ぶりを称えるものであり、紀元550年を迎え益々の発展を志向してゆく我ら石動人の背中を後押しするが如き素晴らしい内容であった。特に第三帝政期の本朝の外交姿勢を評価するユーファストン大統領閣下の祝辞は多くの石動人をに本朝の歴史上の大義を再認識させる内容であり、祝辞を終えたのちに喝采が巻き起こった。

 また国交がないながらも、ヴェールヌイ社会主義共和国から紀元550年を祝う祝電が到来しており、この内容が紹介された。

国際社会への復帰をされ、その悠久の歴史を継続して、ここに紀元550年を迎えられたことに対し、共和国の政府と党、人民を代表して、心から祝意を表します。石動帝国が政治、経済、文化の面でさらなる発展を遂げ、国際社会の活性に良い影響を与えることを確信します。

ヴェールヌイ社会主義共和国閣僚評議会議長エレーナ・ザラフィアンツ

 治部省内に於いては「再建以来20年以上の歳月がたっているにもかかわらず、本朝と国交正常化を行わない国家の祝電など披露しなくてよい」とする意見まであったが、畏くも 将軍殿下は「国交がないにもかかわらず祝電を送ってくれたのであるから、これを無碍にしてはならない。またそうした態度は万邦協和を旨とする我が国の外交方針と異なるものだ」と治部省筋を御説得あそばされ、祝電の紹介が相成った。

 その後近衛軍、奉公軍、守護軍、空軍、海軍の帝国五軍による閲兵式と、空軍第501特別飛行戦隊「コバルトウィッチーズ」による航空演舞がとり行われ、再建された帝国五軍の精強さを世界に知らしめることとなった。

 これが終わると舞楽「女舞五常楽」が奉納された。これは雅楽の中でも唐楽に分類されるものの女舞版で、「五常」とは儒教に於けする「五徳」、すなわち仁・義・礼・知・信を宮・商・角・徴・羽の5音に配したことが由来とされている。この「女舞五常楽」の4人の舞人を務めたのは以下の人々であった。

山名政子守護軍参謀本部第二部第一課長 守護軍大佐
細川興子奉公軍第一師団第三降下猟兵連隊第三中隊長 奉公軍大尉
九条房子宮内省宗秩頭兼近衛軍第一師団第二騎兵連隊長 近衛軍大佐
勧修寺光子治部省玄蕃寮外交政策司 近衛軍予備役中佐

 贅と趣向を凝らした衣装に身を包んだ石動の未来を担う若き公武の嫡子達の優美なる舞は会場の人々の目を奪い、石動の前途ある未来を象徴する一幕となった。畏くも 皇帝陛下は四人の舞人による見事な舞を称え、褒美として金覆輪の太刀や大鎧、狩衣などの褒美を下賜された。

 舞楽奉納の後は仏典「金光明経」が、天龍寺住職智以登逸上人により奉読された。「金光明経」はこの経を広めまた読誦して正法をもって国王が施政すれば国は豊かになり、四天王をはじめ弁才天や吉祥天、堅牢地神などの諸天善神が国を守護するとされる経典であり、こうした性格から地球時代の奈良時代から朝廷の儀式に於いて盛んに奉読されている。石動もこの伝統を継承し、特に紀元祝典の際には必ずこの経典が奉読されている。智以登逸上人による功徳に溢れる読経により会場の帝国臣民は一人残らず感化され、これからの石動の輝かしい発展に各々が思いを致した。

 こうして全ての式次第を終えて三階敏弘副管領による閉会の辞を以て、石動再建以来の一大祝典は幕を閉じた。会場では祝典出席者に紀元550年祝典記念章、記念金貨、切手、絵葉書などが頒布され、またこの祝典の為に軽犯罪者120人が恩赦された。

 また祝典の後に皇帝陛下主催による宮中での御陪食が催され、海外各国の祝典参加者は広く石動の上級公家・武家、名士らと交流した。

 かくてフリューゲル史に遺る一大祝典は成功裏にその幕を閉じた。古の第三帝政期の一大祝典である紀元250年祝典には及ばないものの、この一大祝典を以てまさに我々石動臣民は3世紀前の 三代将軍殿下の黄金の治世を取り戻しつつあることを確認し、この様な素晴らしき治世を齎された百戦百勝の霊将、 足利輝子征夷大将軍殿下に頭を垂れざるを得ないのである。

大秋津国で第二回石秋首脳会談開催。「石秋友好協力・相互安全保障条約」締結。

(公方府広報:景雲四年(960年)1月15日)

 昨14日、 足利輝子征夷大将軍殿下は大秋津国をご訪問。鳥羽高麿関白同席のもと皇王陛下に謁見したのち、幕府政庁「天照院」に訪問し、細川常政上将軍殿下と、第二回目に当たる首脳会談を実施された。

 前回の953年会談に引き続き終始和やかにおこなわれた本会談は非常に有意義な結果を遺した。両首脳は両国通商関係の発展に合意したほか、石動の基本外交方針である「一部列強国による侵略的策動の否定」-すなわちソサエティの否定と同枠組みを解体すべきであるという議案に事実上合意し、両国のより一層の外交面に於ける連帯を期することとなった。また会談に於いて大秋津国に対する国連加盟の打診が行われ、細川経政上将軍から前向きな返答があったことから、早晩大秋津国による国際連合への加盟申請が行われるものと見られている。

 また本会談に於いて両首脳は、一衣帯水の関係である両国の一層の連帯と東方地域の安定寄与に利さんがため、「石秋友好協力・相互安全保障条約」に調印した。

 また会談後 足利輝子征夷大将軍殿下は細川経政上将軍殿下ほか秋津武家重臣と酒宴を催し、上将軍殿下と親しく盃を酌み交わされた。

石動・リブル初の首脳会談実現。「利薄民主主義人民共和国と大石動帝国間の平和友好並びに相互安全保障に関する条約」締結。

(公方府広報:景雲二年(958年)6月1日)

 先月30日、リブル民主主義人民共和国の田母神ミズポ書記長が来石した。ミズポ書記長は宮中に参内し皇帝陛下・上皇陛下に謁見したのち、山岡府室満京市の山岡通成ビル5F「タワー茶屋」室満京駅前店に於いて 征夷大将軍殿下と会談した。そもそもゲスト国から会談会場の指定があること自体が異例である上、会場として居酒屋が選ばれるという事例は石動史始まって以来の異例中の異例であったが、同「タワー茶屋」は再建後の石動に初めて進出した海外資本であり、両国の飲みにケーション文化の共有を象徴する存在であるとして、 征夷大将軍殿下の御叡慮により、リブル側の会場提案を快諾することとなった。

 両国の飲みにケーション文化の促進を期するため、居酒屋に於いて無礼講の形で執り行われた首脳会談は、非常に突っ込んだ議論が交わされた有意義な会談と相成った。また本会談に於いて 征夷大将軍殿下とミズポ書記長がお互いに「テルちゃん」「ミッちゃん」と呼び合うことが申し合せられ、両首脳の親密さが強調された。

 以上の様な至極有意義な結果に終わった石利首脳会談の成果として、両国は「利薄民主主義人民共和国と大石動帝国間の平和友好並びに相互安全保障に関する条約」を調印した。本条約は会談に於ける種々の合意事項を条文として纏めたほか、両国の相互安保を規定しており、再建以来初の相互安保条約となった。

 また会談の席上宴もたけなわとなった両首脳は、日本民族に伝わる伝統芸能「野球拳」で勝負し一層の友諠を深めた。仮初にも外交の場であり男性出席者も居たため、二条治子治部卿の提案で「下着以外に脱ぐものがなくなった側の負け」というルールで争われた野球拳は、序盤こそ 将軍殿下優位だったものの、中盤からミズポ書記長が逆転勝利。 麗しき征夷大将軍殿下がその玉肌を出席者一同に御開帳あそばされた。

 かくして石利首脳会談は両首脳の結びつきを強固なものとし、両国の経済・文化・軍事面に於ける連帯を期する有意義な結果を遺し終了した。会談後  将軍殿下はモトダ・ハイパーカブをミズポ書記長に進呈され、その乗車方法を親しく説明された。また翌31日には 将軍殿下が御水からミズポ書記長を守護軍三軒屋駐屯地に案内され、ミズポ書記長は守護軍主力戦車である六〇式重戦車ジハに試乗。同車両のリブル陸軍への採用の意向を一層強めることとなった。

空軍、気象衛星「アメノミハシラ」打ち上げに成功

(旭日新聞:景雲四年(960年)8月14日)

 空軍宇宙戦略総軍は本日未明、再建以来初の人工衛星である気象衛星「アメノミハシラ」の打ち上げに成功したと発表した。空軍宇宙戦略総軍によると、アメノミハシラは石動全土の気象状況を観測し、台風や豪雨等の水害を察知する気象衛星であり、本衛星の取得する情報は石動の防災体制に強力に貢献するとしている。宇宙戦略総軍司令官の一色晴子空軍大将は「再建後わずか21年で気象衛星の打ち上げが成功したことは、我が国の軍事技術がk驚異的なスピードでのし上がっていることを物語っている。今後も我が空軍宇宙戦略総軍は偉大なる 征夷大将軍殿下の先軍主義の領導を頂いて、一層の軍事技術向上を図り、宗廟社稷を安寧たらしめんと最大限の努力を発揮する」と語った。

空軍、観測衛星「アメノトリフネ」打ち上げに成功

(旭日新聞:景雲六年(962年)5月28日)

 空軍宇宙戦略総軍は本日未明、気象衛星「アメノミハシラ」に続く再建以来二機めの人工衛星である観測衛星「アメノトリフネ」の打ち上げに成功したと発表した。空軍宇宙戦略総軍によると、アメノトリフネはアメノミハシラに比してより高精度なフリューゲル地表観測を可能としており、より高精度な気象観測と偵察任務に利する高性能衛星であると発表した。宇宙戦略総軍司令官の一色晴子空軍大将は、「アメノミハシラからわずか二年で観測衛星の打ち上げに成功しているという事は、それだけ我が軍の軍事技術の進歩が日進月歩の歩みを見せていることの証左である。今後も我が空軍宇宙戦略総軍は偉大なる 征夷大将軍殿下の先軍主義の領導を頂いて、一刻も早い隕石迎撃衛星の実用化、ひいては軍事衛星の実用化を目指し、本朝の守りを盤石たらしめんと最大限の努力を発揮する」と語った。

押井護監督最新作「紅い色眼鏡」、週間映画興行収入ランキング一位を達成。

(毎朝知報:景雲五年(961年)9月8日)

 サ二輪野球代表監督を務め、元野球監督からアニメ映画監督へ転向した押井護監督の第二作にあたる実写映画、「紅い色眼鏡」が良好な売り上げを達成し、先週5日の映画興行収入ランキングに於いて一位を達成した。押井監督は956年公開の処女作「天使たちの卵」のあまりにも難解な内容から「わけのわからない作品を作る監督」というレッテルを貼られ、実に五年間に渡り仕事を干されていたが、今回有志によるカンパにより制作されたきわめて低予算な作品が思わぬ反響を呼び、週間興行収入ランキング一位を達成した。

 同作品は第二帝政期に成立し第三帝政期に解体されたの首都圏治安警察機構の隊員らの、組織解体後の動向を描いた歴史フィクションであり、史実をテーマとした作品であるにもかかわらず、きわめて幻惑的な構成となっており、口コミで多くの話題を集めた。

 映画評論家の岩動中仁氏は同作について、「ストーリーに明確な『正解』を出していない、難解であるが魅力的な作品と言えます。前作『天使たちの卵』に通じる押井監督の重厚で仄暗く幻惑的な世界観も踏襲されており、まさに押井監督のスタイルが決定づけられた作品と言って過言ではないでしょう」と評した。

「紅い色眼鏡」あらすじ

 3世紀中庸、凶悪化する反政府テロに対し、政府は首都圏治安警察機構を結成。プロテクトギアと重火器で武装した彼らは<ケルベロス>の俗称で呼ばれた。
 国土喪失と南北朝動乱を乗り越え石動に於いて治安の番人の栄誉を独占した彼らであったが、非情とも言える苛烈な鎮圧活動には世論の非難が集中し、4世紀末に組織は解体を余儀なくされる。しかし、組織の一部は武装解除に抵抗、特機隊・都々目紅一だけがプロテクトギアと共に国外逃亡を果たす。
 3年後、大きなトランクを抱えて紅一が帰ってきた。しかし『街』はあまりにも変わり果てていた・・・。

 なお同作品は有料でのインターネット配信が開始されており、こちらで視聴可能。

近衛稙子宮内卿、内大臣に栄転。後任に二条治子権宮内卿兼治部卿。新治部卿に九条房子宗秩頭。

(公方府広報:景雲七年(963年)3月15日)

 今月二日に一条兼子内大臣が薨去あそばされたことにより、後任として近衛稙子宮内卿が内大臣に就任した。近衛稙子新内大臣は宮内卿を辞し、後任に現権宮内卿兼治部卿の二条治子卿が就任。二条治子新宮内卿は治部卿を辞し、後任の治部卿には宮内次官の九条房子卿が就任した。外交政策を統括する石動と公家社会の顔と言える治部卿就任に際し九条房子卿は「石動公家の本懐ともいえる顕職に就くことが出来、恐懼に絶えない。ゆめゆめ本朝の光輝ある歴史に泥を塗らぬような仕事をしていきたい」と語った。

【政治】二条治子宮内卿、治部卿退任演説で「SSPactはソサエティ残滓であり危険」と発言

【広告】レーシングスピリッツが、この一台に生きている。インテェーグラル、タイプアールゥ!(Power is Justice. MOTODA)

関連投稿