過去総括/人民議会特別委員会
956年5月、人民議会は賛成多数により、共和国の過去総括に関する特別委員会の設置を決定。
この特別委員会において、600年代後半の経済外交政策の鈍化と、700年代に至る民族主義運動及び関連する紛争介入について、過去資料に基づく集中的な分析と、今後の共和国の国体安定化に向けた必要な処置について議論がなされた。
特別委員会の第一回では冒頭、エレーナ・ザラフィアンツ首相が「過去を顧み、必要な反省と対策を講じて、共和国と純粋社会主義の未来を明るく照らしたい。その責任を果たすためにも、本委員会に対し、労働党の内部資料等も、私の責任で可能な限り開示していきます」と表明。文化自由連盟のセルゲイ・クレメーニュ代表が「首相閣下の決意に敬意を表すと共に、存命の当時の関係者についても積極的に招致を求めていく」と応えた。
※RP上、寿命がないわけではないが、フリューゲル歴に対して年齢の整合性をとることはしていない
957年12月、特別委員会は最終報告を取り纏め、これを採決し、人民議会に対して報告した。
概要は以下の通り。
・SEACOM体制の成立後、完全自給の定義に反して、レゲロ産の銀に関しては交易収入に含めて管理されていなかったことが確認された。→シェレスト政権が工商計画省に対してレゲロを国内処理とする指示文書が発見された。
・シェレスト政権及び当時の労働党中央委員会(以下党委員会)は、当時の報道(①/②)にも見られるようにENEC/FENAに対して不満を有し、これは既存の友好国や国際機構との関係に見切りをつけ「軸替え」又は「新たな勢力圏の構築」を図っていたと結論。レゲロ銀の瓦輸出、当時新興国の天、加への接近はその一環であったと見られる。(その結果が後年のサンサルバシオン条約への参加決断に影響を与えていたことも指摘される)
・上の外交政策は、当時の共和国経済や安全保障の実態とは乖離しており、国内各方面で懐疑的に捉えられていた。この後に労働党は(現在と同様に)史上初めて人民議会での過半数を失っている。退任するシェレスト氏が「不本意極まる」と発言しているように、党委員会は歴史的大敗を受けてなお方針を変えなかった。開示された党委員会の資料によれば、後任のフェリックス・ティシチェンコ氏は「調整役」であり、党委員会及び前シェレスト政権の方針を引き継ぐことが至上命題とされていた事がわかる。
・ティシチェンコ政権は連盟との(史上初めての)連立政権であったが、トゥイニャーノフ代表をはじめとした当時の連盟は、福祉向上と宗教規制緩和を本分と捉え、外交及び経済政策への関心は薄く「議会政治の経験という意味で共和国は未熟」と述べるに至り「かつての衛星政党根性のまま存在していたと言わざるを得ない」(特別委員会での連盟代議士の発言)として、報告書では連盟にも一定の責任があると指摘された。
・こうした国内政治情勢のもと、世界的な幸福度減が発生。瓦による、ヴォルネスク特別行政区への不正送金など、対ノ分離工作/帝国発展党ファグネルスキー政権による大スラーヴ主義標榜なども同時期の出来事である。
・幸福度減の影響を最も受けなかった先進国が共和国であった。「他大国がこの対応に資源を割かねばならない時期にあって、その影響を受けていない共和国をして、真に主体的な国際関係を構築する契機とし(中略)ガトーヴィチの極右政権が、有する大国の潜在力を発揮するであろう事は、50年先の国際におけるパワーバランスに決定的影響を与える」(当時の党委員会の議事録)として、スラヴ主義による混乱が国内で発生する以前から、労働党は帝国発展党政権下のガトーヴィチに、既に関心を寄せていたことが確認された。
・635年のガトーヴィチ・ベルサリエーレ戦争の結果と、これの当時国となったレゴリス(超大国)及び成蘭(それまでの最友好国)の煮えきらぬ対応は、瓦への接近を決断する決定打として作用した。
・レゲロ滅亡が確実視される中、予想される経済弱体と、ブロックとして見た時の友好、協力国(明確なものではなかったが、事実上のFENA圏)への見切りによって、ガトーヴィチ基軸論が党内で勢いを増した事実があった一方、ヴォルネスク情勢について歴史的経緯からも関心を抱いていなかった。スラヴ主義についても軽視していたと見られ、当時の報道は基本的に党の意向をそのまま反映していたと見て間違いない。「公共放送や各紙の報道については、宮殿と具体的に事前調整が行われていると認識している。」(ヴェールヌイ公共放送関係者)
・民族主義、優越思想の類が純粋社会主義に基づく国家統制に対して悪影響であることは自明であったが「この時勢にあってガトーヴィチの政権にマイナスのメッセージを送るべきではない」(当時の党委員会の議事録・首相の発言として)とされ、スラヴ主義に対する表立っての批判や規制は行われなかった。加えて、あえて抑制的な対応方針を示したことが、結果として国内への伝播を助ける結果になった。
・当時の政権や党委員会において、スラヴ主義擁護を示すような資料は皆無であった。ヴォルネスク独立戦争への参戦は、前述の瓦基軸論と、スラヴ主義に動揺する国内の結束を図る両面で決断された。しかし、スラヴ主義を国是とした国によって、スラヴ主義を背景に引き起こされた戦争に加担しながら、スラヴ主義に同調せずに、国内に平穏を取り戻す術を見出すことはできていなかった。資料によれば、国家保衛省は宮殿に対して、参戦に強く反対する報告をあげており「政府にその意図がなくとも、世界は共和国がスラヴ主義に飲み込まれたと判断する。国内に対しても誤ったメッセージを発することになり、体制そのものを揺るがす」としていた。なお同時期に保衛省の外事部門責任者が更迭されていることがわかっているが、関連するかは不明のまま。
・特別委員会では、民族主義が伝播する素地が、当時の共和国に何故存在したのか、歴史を大きく遡っての議論となった。ベルーサ地域は、スラヴ圏(主に東スラヴ)の連合によって組織された移民船団により開墾された。当初それは汎スラヴ主義的側面を持つ緩やかなコミュニティであり、やがて消極的な多文化主義(エスノセントリズムを否定しながらも、同化を恐れない立場)へと変質、5世紀においては狭い民族主義的概念そのものが消失していた。この状況が変化するきっかけとなったのは、ベルーサ地域を版図と定め、その住民に国籍を与えた社会主義共和国建国という事象そのものであった。(他地域との本格的な接触(外交)が発生することによる自民族の相対化)
各地を治めていた在地領主(現在の各行政区に概ね近しい区域をそれぞれに有していた)を廃して、人民主権のもとでの生産統合を訴えたユーリ・ノルシュテインは、当初自身が社会主義者であるとは認識しておらず、そも社会主義に対する体系的な知識を有していなかった事は広く知られている。
ブルースター紙解説員
彼が社会主義という語を使用したのは、運動組織としての※ヴェールヌイ結成からさらに後年、ヴェールヌイがヴェールヌイ労働党と名称を変えたと同時、建国約一年前のことである。※ヴェールヌイはノルシュテインのもとで結成された政治運動組織の名に起源を持つ。
ノルシュテインの目指した人民主権と、直接的な富の再分配を伴わない生産統合は、当時の地域住民の大多数を占める被支配層には理解が難しく、彼への支持に基づく地域統合を阻害する要因ともなっていた。その解決の糸口とされたのが、既に地球の歴史において類型化されつつも、宇宙移民から数世代を経て、その歴史と功罪への理解が遠のき(ベルーサ地域においては)理想主義的側面が残されていた社会主義思想であった。
ノルシュテインの思想と、現実に存在した社会主義とは乖離著しいものの、それを許容してなお社会主義の看板の「わかりやすさ」は重宝された。
(その結果として、現実に存在した社会主義との乖離だけでなく、フリューゲルにおける社会主義・・・それはレゲロであり香麗でありヴォルネスクであった・・・との乖離が、黎明期共和国の外交・安全保障に重大な懸念を与えることになる。ノルシュテインの思想は、後に彼以外の手によって「純粋社会主義」の名を与えられ、多様な役割を背負わされることになるのだが、それはまた別の話となる。また既存社会主義との乖離があるにせよ、生産の私的所有を禁ずる前提をもって、ノルシュテインの思想や純粋社会主義が、社会主義の一形態であることは事実である。)
社会主義の語が利用されたのは、ノルシュテインの思想との類似性が着目されたからに他ならないのだが、地域統合の旗印として、そうした「政治思想」以外を軸にできない地域特性も影響している。ベルーサ地域に定住した宇宙移民者は単一(に変化していた)東スラヴ人だけであり、またヴェールヌイ社会主義共和国の建国以前に、同地域で国家が作られたことはなく、他地域からの移民もなかった。500年代まで(奇跡的に)隔絶され続けていたベルーサ地域は、相対化する他者の存在を意識する機会を与えられず、民族主義・愛郷主義といったものが発露する前提要件を有していなかったのである。
・社会主義は、元来は国際的制度として発案された背景を持っているが、純粋社会主義は外国の資本主義を問題とせず、廃絶の必然性自体に懐疑的な立場をとる理論であり、民族的観念とは直接的には対立していない。このため「天賦の民族的単一性を無視して、多民族社会主義国家を標榜している。」としたスラヴ連合の声明は誤りである。
・そうした前提がないにも係らず、歴代の政権(労働党)は一貫して民族主義の発揚防止に取り組んでいた。人民に対して直接的に特定の活動や言論を規制することはないが、公文書においては「ベルーサ」を使用せず、民族衣装を着た人物等を、機関紙や公共放送上で映さない「存在しないかのように扱う」ことが徹底されていた。これは労働党だけでなく、連盟や農民党も含め、表向きに共有された方針であった。国が恐れたのは、民族主義の帰結として、優越思想・選民思想に基づく国粋主義の形成である。これは「純粋社会主義を共通の理想とする民主的団結」を否定するか、または逆に純粋社会主義の独自性と結合し増幅される可能性を有している。後者の場合においても、(誤った風評や意図しない勢力圏抗争の影響を与えうる他国の社会主義・共産主義に対して警戒しなければならない実情はあるが)他国制度を尊重し、国力に依らない対等外交を是として、体制そのものを国際的理解の中で育もうという純粋社会主義の土台(ノルシュテインの思想)を否定するだろう。
・たとえそれが緩やかなものであったにせよ、一世紀以上に及ぶ規制は、着実に大衆心理の中で不満として蓄積されていた。ベルーサの文化は、農村部で農民が作った文化である。亜麻から作った織物を身にまとって結婚式をあげ、素朴な伝統料理を食べ、民謡を歌い踊る事は、否定はされないまでも「公共」においては冷淡に無視され続けてきた。着実な経済成長を遂げ、国際評価を日増しに高めていた時代を過ぎ、先進国規模での完全自給経済を維持するだけの実力が失われていく中で、大スラーヴ主義をアイデンティティの一部として受け入れようとする人民大衆がいても不思議ではない。ベルーサ民族主義労働連合がいかに結成された組織であるのかは不明な点が多いが、その名を持って「ベルーサ」を公にしたことが、人民大衆に与えた影響は大きかった。
・人民大衆に必要な教育を与え、豊かな精神性を育むことは、純粋社会主義によって人民が享受すべき富のひとつであり、優越思想・選民思想のような偏狭なナショナリズムを否定することはその一環でもある。しかし、民族(俗)文化をも無視する歴代の姿勢は改められるべきであり、ベルーサ人の文化と歴史、その団結によって形を成している純粋社会主義共和国に対して等しく誇りを持ちながら、フリューゲル世界での共存共栄を志向しなければならない。
(ブルースター紙/労働者の勝利/ヴェールヌイ公共放送ほか全報道)
規制方針転換/連盟・農民も方針共有
958年1月、ザラフィアンツ首相は、地域名称としてのベルーサ使用や、土着文化の表現について、忌避しないとする考えを閣僚評議会において述べ、これを政府方針とすることで閣議決定した。
元来、これらの規制を定めた法律は存在せず、慣行的なものであったが、過去総括に係る人民議会特別委員会での報告を受けて、慣行廃止を明確化した格好だ。
同日、文化自由連盟、民主農民党の両党代表が共和国宮殿を訪問、首相から直接説明を受けた。この模様は記者公開された。
説明を受けた連盟のクレメーニュ代表は、人口の30%にも及ぶ正教徒の存在について触れ「正教文化そのものや、それを起源とした慣習も多いが、エレーナ議長はどうお考えか」と述べたのに対し、ザラフィアンツ首相は「特定の宗教権威が政治に関与してはならない事は、憲法にも明記された純粋社会主義の前提要件であり、堅持する必要がある。信仰が正しい社会生活を営むことの糧となるかぎりにおいて、人民の享受すべき自由の範疇です。実際にそうであるように、営みの一つとして広く理解されていくべきで、恐れることはいたしません」と応えた。
(ブルースター紙)
党職追放と名誉回復について声明/労働党中央委員会
958年1月、ザラフィアンツ書記長は、ヴェールヌイ労働党中央委員会において、600年代後半から700年代、その中でも特に720年におけるヴォルネスク独立戦争介入を主導した当時の中央委員会メンバー(書記クラス)について、これを弾劾する声明を発し、党職追放を決議した。
720年前後の期間において、党職追放を受けていた党員並びに、更迭された各行政組織官僚が多数に及んでいることから、調査を継続し、関連する事象によるものと確認されたものについては、名誉回復を図っていくと表明した。
(党機関紙:労働者の勝利)
「歌の時間」を正しく実施して生産性をあげましょう
みなさんの省は、共和国の再建、特に経済分野での事業推進について、これに取り組む各企業や労働者の精度と意欲を増して、さらなる強力化を図る必要性があると考えています。そこで、事業場ごとに実施される主たるレクリエーションであるところの「歌の時間」において、これまでの「サプサンのごとく」「ノルシュテイン同志の歌」「幸福で支えあう祖国」などに代表される多数の人民歌謡に、新曲となる「純粋社会主義の勝利へ!」を加えることといたしました。
「純粋社会主義の勝利へ!」は、先の共和国政府による、規制方針転換を反映した楽曲の第一号であり、私達の労働がいかに重要な意味を持ち、それが純粋社会主義共和国はもちろん、世界の友人たちの幸福にも連なっているという、共和国人民が持つべき視野を正確に提供しています。
各事業所の歌の時間担当者は、よくよく予習をして、職場同僚に歌唱指導ができるよう取り組まなければなりません。期間中、定められた時間に公共放送での放送もありますので、これを用いて浸透を図るのも良い方法でしょう。
(労働福祉省/環境整備局/企業・事業所向け指導ペーパー 958年6月1日版)