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安保理理事国巡る交渉妥結か

949年10月8日付革新党機関紙〈赤光〉

 我が国、ガトーヴィチ、新洲府、ヴェールヌイ4ヶ国は相次いでフリューゲル国際連合事務局に対し「961年~970年次一般理事国としてロシジュア、971年~980年次一般理事国としてガトーヴィチ」を推薦すると通知した。この推薦を行った国は現時点ではこれら4ヶ国に留まっているが、外交委員会関係筋によれば他に数ヶ国この枠組みを支持している国が存在するとみられており、955年の961~970年次一般理事国推薦締め切りまでに手続きが完了すれば、ローレル共和国の消滅以来生じている「一般理事国ロムレーのみ」の異常事態は解消されることになる。また、これまで理事国経験のないロシジュアが一般理事国の席を10年間とはいえ得ることは同国やその他の「国際社会への影響力著しいにもかかわらず一般理事国の席を得られない国」にとって朗報であり、我が国や既存の理事国にとってもFUNの普遍性がより強い形で担保されることになることは国際社会の平和と安定、繁栄のために極めて有意義なことである。
 大統領退任後党顧問に就任しているクルト・ムトロライト前大統領は我が党を代表してコメントを発表し、「安全保障理事会の一般理事国が柔軟に運用されることは、すべての国が力ではなく言論によって国際社会に影響を及ぼすことができるという理想への最善の手段であり、ロシジュアが一般理事国に就任するのであれば、これを歓迎する。同国が我が国と異なる同盟に所属していることは、この国際協調の時代においてもはや問題ではない」と声明した。クルト前政権が総会に提案し、現時点までいずれの国も反対意見を述べていない「一般理事国推薦の代行制度」もこの言葉に現れているような「一般理事国の柔軟運用」のための一手段であり、今回のロシジュアの一件はこの目標が国際社会全体に共有されていることの表れであろう。我が党は、あるいは我が国は、一部の強硬路線や排外主義、反動主義の言葉に惑わされず、この路線を引き続き推し進めていくべきなのである。

天別首脳会談、ソサエティに言及

 948年7月21日に行われたヘルトジブリール・ヴェールヌイ両国間における首脳会談で、ソサエティが議論の俎上に上ったと発表された。発表によれば、「両首脳は、現在の国際情勢を広範に渡って整理した結果として、ソサエティの枠組みが、国際の活性化の一助となりえる新たな存在意義を有しているとの認識で一致した。」とされているのみであり、これ以上詳しい内容は公表されていない。
 天別首脳会談について外交委員会は「第三国同士の個別の外交交渉についてむやみに言及することは礼を失する」と記者団の質問に対して回答を避けた。しかし、「ソサエティ」が7世紀のフリューゲルにおいて一部先進国が意見を異にする国や我が国を含む途上国を圧迫するために用いられてきたという見解は国内の歴史学者におおむね共有されており、国内世論は「ソサエティは歴史の遺物にとどめておくべきだ」という見解が一般的である。そのため、外交委員会の若手からは「7世紀の悪夢のような国際社会を再現しようとする試みが行われようとしているのではないか」(人民党系委員)「ガトーヴィチをソサエティという餌で共和国と別扱いすることで加瓦関係を引き裂くことを狙っているかもしれない」(連合党系委員)などの声が上がり始めている。
 本紙は、そして我が党は、決してこのような過激主義的な解釈を支持しない。天別両国は良識を知る国であり、そもそも7世紀の国際社会が「悪夢のよう」であったことはソサエティそれ自体ではなくそれを悪用し「対立国を圧迫するために用いた」別の主体に責任があることは冷静に考えればすぐに理解できることであろう。ソサエティやそれに対する言及は国際社会への復帰後時間がたっていないヴェールヌイ社会主義共和国がかつて有していたような「力ではなく、良識的な言論によってフリューゲルの平和と安定に貢献する国家」としての地位を明確化させるための1つの手段として用いられることこそあれ、世界2位の大国たる共和国やここ200年間に建国された様々な新興国を疎外することになる枠組みが、それが悪用されていた時と同様の目的で用いられることはあり得ないだろう。
 また、フリューゲルにはFUNという「すべての平和愛好国に開放されている(FUN憲章第4条1項)」国際協調の安定した枠組みが既に存在している。天別首脳会談においてもFUNについては当然言及されており、FUNの国際秩序の維持に対して貢献していることも認められている。FUNへの肯定的な言及を無視してソサエティばかりをセンセーショナルに扱うことは好ましいことではないであろう。

【特集】「石動国皇帝」にざわつき

 943年2月16日、神聖ガトーヴィチ帝国(外交委員会はこの正式名称を極力使いたがらず、単に「ガトーヴィチ」と呼ぶことが多いが)において、同国の第26代君帝として即位したアパラート君帝の戴冠式が行われた。共和国からもアンク・モスアゲート外交委員長が出席したが、そもそも海外の君主制に対する興味に乏しい世論はほとんどこの報道を気にしていなかった。しかし、戴冠式自体から5年以上経過した現在に至ってようやくこの情報が(「南の風」系列の再生紙メーカーが原料として本土から購入した古新聞の束に混じるという形で)ガーネット州に届き、静かな困惑を州内に広げている。アパラート君帝戴冠式の来賓の1人として報じられている「石動国皇帝・山城宮陛下」の名前がその火種である。
 そもそも、ことの起こりは時を遡ること2世紀半の昔、未だ我が国が旧態依然とした資本主義体制を採用していた時代にある。石動第三帝国は682年の足利滿子大御所薨去を契機に国内混乱に陥り、695年に就任した足利教子第六代将軍も700年3月11日に暗殺され完全に国家としての体裁をなさなくなっていた。そのような中、石動皇帝家は旧共和国への亡命を求め、体制崩壊寸前のリヨネ・アメシスト大統領以下大統領府がこれを認めたことで700年10月31日から11月7日にかけて石動第三帝国第九代皇帝である直衣宮皇帝やその他の石動皇帝家関係者の救出作戦を行った。その後発生したカルセドニー革命による混乱こそあったものの、その第一皇女である高麗宮が社会学研究者・石動共産党名誉顧問という経歴を買われて革命下のヘゲモニー政党としての地位を確立した労働党(760年代の分裂を経る以前の旧労働党)に入党したこともあり、それ以降も高麗宮の子孫は共和国で「石動皇帝家」として遇されるに至っている。現在の当主である扇宮はガーネット州モリオン市に居住しているとされている。
 すなわち、瓦国アパラート君帝戴冠式に出席した「石動国皇帝・山城宮陛下」が共和国と一切かかわりを持っていない以上、この「皇帝」は石動第三帝国から続く正統な皇帝であるかはかなり疑わしいことになる。実際、本紙が在架石動人協会に取材を行ったところ、同協会会長であり「在架石動朝廷宮内卿」でもある近衛植子氏より「石動人コミュニティの中では未だにガーネット州内に居住する石動皇帝家が正統であるという認識であり、それ以外の自称皇帝は偽帝であるとの見方が支配的である」との回答が得られた。
 本紙がガトーヴィチ政府に照会したところ、911年に成立した大秋津国(天照院幕府)が保護国化している石動国の皇帝としてアパラート君帝戴冠式に参列したとの回答が得られた。一方で、石動本土とも未だある程度のパイプを持つという近衛氏によれば秋津系勢力が石動地域の支配権を掌握したとする情報には裏付けが得られないとされている。例えば、在架石動人協会は「南の風」系の漁業組合と協力して石動近海における遠洋漁業に用いられる海図作成なども行っているが、その際に遭遇した石動地域の漁師から「かつての足利将軍家の末裔が率いる旧公方府勢力が(石動)本州では巻き返しを図っており、足利将軍家が本州を統一するのではないか」との噂を耳にしているとの情報が得られている。
 このように、「石動国皇帝」についてはかなり不可解な点が多数存在している。取材の最後に、本紙は石動地域の現状把握について政府に問い合わせを行ったが、外交委員会から「8世紀前半の鎖国期に外交関係の部署が廃止された際に消滅国家との外交関係に関する資料は散逸しており、現在の外交委員会は旧共和国の外務委員会の後継組織ではないため旧共和国の外交については回答しかねる」との回答を受け取るに留まった。

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