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第63回人民院選挙実施 ほか

880年9月13日付

第63回人民院選挙実施 左派退潮と右派躍進

879年9月、任期満了に基づき第63回人民院選挙が実施された。本選挙以降選出議員の任期は15年となり政治家への送り込みとしては重要な役割となる一方、改憲や選挙制度改革など大規模な国政改革に一段落付いたことで各界の熱意はここ15年程度の中では低い状況で始まった。
目下の話題は経済省・産業省の二大象徴の行政改革だった。議会では所属政党も問わずに、市民生活向上をスローガンに個性ある複数の案が挙げられた。

以下に選挙結果を掲載する。

政党 改選議席数 議席数 増減
社会民主党 151 151 0
共和人民党 52 72 +20
緑の党 40 35 -5
トルキー労働党 119 95 -24
共産党 27 15 -12
公正党 10 29 +19
無所属 1 3 +2

選挙結果はトルキー労働党、共産党の左派勢力が軒並み大幅に議席減となり、共和人民党、公正党が大幅に議席を伸ばす左派退潮右派伸長の結果となった。
公正党代表のフズル・ウンは会見で勝利宣言を行い「社会自由主義と平和愛好の精神をこの国に浸透させる」と語った。
一方トルキー労働党のアイス・クルト代表は労働党史上初となる3桁議席割れに謝意を表し、責任を取るとして代表の辞任を表明した。同氏は選挙区においても共和人民党候補に敗れ落選している。労働党の大幅議席減は第60回人民院選挙より繰り返されており、党内部には「労働党の時代は終わった」との悲観論も聞かれる。

選挙結果について、イスタンベル大学のハーフューズ・ディンチョズ准教授(政治学)は「煩雑な行政に対する民衆の不満が表れた」と語る。
「今般の選挙では共和人民党及び公正党が『煩雑な行政は労働者への害』とするキャンペーンを繰り広げた。労働者の権利向上という側面を強調することで左派の浮動票を吸収できたのだろう。」と分析する。
しかし公正党や共和人民党右派が訴えた「行政の集中と選択」に対し与党内でも社会民主党左派を中心に慎重論が根強い。
左派重鎮は「あからさまに社会主義理念を壊しに来てるよね。あれをやった時点でこの国の社会主義は終わりだよ」と強く反発する。また産業省の幹部も「社会主義国家としての行政サービスの簡略化は労働党政権時代も含めて試みられていることであり、現実的にこれ以上の行政サービス簡略化は(社会主義理念に基づく限りでは)難しい」と語った。
与党内部からの批判に政権でも共和人民党左派出身のバイェーズィート・ギュチリュ厚生大臣も 「人民に必要な行政サービスが撤廃されるようなことは一切ない」と話すなど火消しに追われた。
選挙結果こそ右派躍進であったものの、その政策の実現は遠そうだ。

都市型演習場禁止条約批准 首相「平和愛好の精神前進」

880年9月2日、共和国議会は「平時における居住施設に対する軍事演習禁止条約(通称都市型演習場禁止条約)」の批准動議を共産党一部議員を除く賛成多数で可決し、同日付でフリューゲル国際連合事務総長に対し批准書が寄託され一連の手続きが完了した。

同条約は共産党急進派議員から「自らの過去を隠滅し、国際連合の憲章理念を踏みにじることすら厭わぬ身勝手なレゴリス帝国主義の表れである」とする反対を受けていた。
エミーネ・イスラフィル首相は議会通過に感謝を表すると共に、「本条約はフリューゲル世界の平和愛好の精神を前進させる有意義な条約であり、この場を借り条約成立に関わった各国に感謝申し上げたい。」と語った。

同条約は9月2日までに共和国を含め6カ国の著名と5カ国の批准が完了しており、発効には残り5カ国の批准が必要となる。条約の発効を待たずに都市型演習場を禁ずる第一条規定の履行を認める条項が存在するが、その適用は見送られた。
適用見送りに関しては首相は「当該条項は循環参照的であり、厳格たる国際会議の場における自国の政策アピール以上の効果を生じない懸念より見送った。いずれにしても我が国としては条約の基本理念に合意するものであるし、第一条で定める規定と同様の規定は軍指針に盛り込み済みである。我が国は条約の早期発効を望むものである。」と話した。

【局説】没落する労働党、二大政党制の夢は露と消えるか

トルキー労働党の議席喪失が止まらない。
879年9月の第63回人民院選挙の結果が確定するにつれ、トルキー労働党の幹部は次第に表情を失った。中選挙区制導入により大政党に有利となった情勢下においても大幅な議席減を喫した労働党のプライドが粉々に砕かれたことはもはや疑いようがない。

847年3月の第53回人民院選挙以降単独過半を獲得できていないトルキー労働党は、その間に幾度とない代表交代を経た。第53回選挙以降に就任したジャンダン・ディクメンオウル=人民院議員(当時)は、中道派より選出された。右派票の吸収も狙い女性から選出された彼女は、労緑連立政権の元で党勢回復を施行し地方議会選挙の選挙指揮など手を尽くし、一定の成果を上げたが国政では奮わなかった。最終的に第60回人民院選挙で32議席減で政権交代という屈辱の大敗を受け代表を辞任した。

直後の代表選挙は各派閥が焦燥状態と化し混沌の情勢となった。左派から4名、中道派から2名、右派から5名の候補者が乱立する選挙はこぞって現状の労働党に不足する部分を指摘する展開となり、異例の第四回投票までもつれた末に左派の中でも最も強硬派と言われたスレイマン・イルテギュン=人民院議員が選出された。
スレイマン元代表は社会主義理念重視の重要性を訴え続け、「階級闘争は第四共和政の根幹を成すもので建国の父メフメト・セキの目指した理想そのものである」などと発言して社会民主党などから猛反発を受ける等度々政界を騒然とさせた。また国政では共産党守旧派へ接触し「第四共和政黎明期における不慮に関する和解」を行い選挙での連携を確認するなど急進左派路線を貫いた。
しかしこれらの左派路線が却って右派票の労働党離れを生み、第62回人民院選挙で10議席減の大敗を喫し代表を辞任する。

続く代表選挙は火中の栗を拾わぬ精神からか、有力な候補者が全く出ない情勢となった。各派閥が牽制状態となる中で手を上げたのは、今回代表辞任したアイス・クルト氏だった。クルト氏は県議時代に無所属から共産党に入党し、その後労働党に移籍した異色の経歴の持ち主だった。左派派閥ながらも派閥方針に度々異を唱えるなどの異色の人物として知られる彼は各派閥より反対を受けるが、代わりうる候補者も出ぬままに代表選挙戦が進んでいき、最終的に無投票によって代表選出を受けた。
クルト氏の党運営を一言に表現することは難しい。共産党からの移籍という経歴を持つ彼は共産党との連携を再び強化するものと見られたが、代表就任後「第四共和政が重視する理念は社会主義と民主主義の両面であって、独裁は建国の父が目指すものではない」と発言し共産党との連携を一時断ち切った。しかしその後月が変わらぬ間に共産党守旧派議員らと会談し、一転して「社会主義体制重視の統一的見解を得た」などと連携を再開させる。
クルト氏の特徴は党内人事にも現れる。名目上左派に属しながらも党内では一人野党のごとき存在であった彼は就任直後痛烈な批判に晒されながらも中道派からのみ幹部を選出した。しかし後に右派派閥からのみ幹部選出すると、代表辞任に至る選挙を控える後期には左派派閥からのみ選出するとの不可思議な行動を採った。これらの人事についてクルト氏本人は「必要なときに必要な人材を採用しているだけだ」と以上のことは何も語らなかった。
各派閥の重鎮はこぞって「こんな代表じゃ大敗するに決まっている」などと痛烈に批判する。しかしこれらの批判に晒されようともクルト氏が自らの方針を転換することは無かった。
ある記者は「まるであえて共通の敵になろうとしてるかのようだ」と語る。落選し代表も辞任した彼はその後一切メディアの取材等を断っており、その真意は不明なままだ。

社会民主党は第四共和政の多くの期間を通じ単独でトルキー労働党に対抗できる二大政党制の片翼を担うことを目指し活動していた。また共和人民党の「二大政党制研究会」は中道右派勢力の結集を目指して活動している。
労働党の没落によりこの努力は新たな一党優位政党制を生む結果に終わってしまうのか。労働党の行く先は見えない。

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