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虚構世界のミルズ通信 皇国の一番長い年

※本記事は貿箱アンソロジーです

混迷を極めるミルズ皇国。865年11月には女皇が軍部により拘束される事件が勃発するなどもはやその混沌は留まるところを知りません。
これは、虚構世界におけるミルズ通信の報道です。
半ば失敗国家と化した彼の国は、どのように歩んでいくのでしょうか?


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号外 首都停止!ミルズシティにおいてゼネスト敢行される

緊急ニュースです。
866年1月11日にあらゆる業種を跨ぐ一斉ストライキが敢行され、首都ミルズシティは大混乱に陥っています。
あらゆる種の公共交通機関は止まり、商業サービスは軒並み営業を停止しました。水道その他のライフラインが止まるとの噂も広まっています。
ストライキを主導するミルズシティ労働組合総同盟の代表デニス・ジョセフは決起集会においてこのように啖呵を切りました。
「勤労人民の諸君!この国は腐っている!政府は諸君を都合のいいように利用し、使い捨ての駒扱いにしている!7月のデモにおける我々の声は歪められ、腐敗者どもの権力強化に利用された!自分の権力強化のためなら平気で嘘を付くし手のひらも返す。それが奴らの正体だ!奴らの言う政治改革は完全に嘘っぱちである!やはり我々には抵抗以外の手段は残されていない。今こそ真のミルズ人民のための政府を作成するときだ!真の歴史は我々の手によって為る!ミルズの労働者よ、団結せよ!」
この演説を受け集結した労働者120万は万雷の歓声を挙げ、広場には赤旗や「腐敗破壊」「人民団結」などの看板が天をも埋めん勢いで振られました。
このストライキに対し首相は「何も問題はない」とコメントしましたが、首都の機能停止に国民には不満が蓄積しており事態は混迷を極めそうです。

流血の惨事 首都でのゼネストに皇国軍が介入 死傷者多数

866年1月11日より続いていた首都でのゼネストに政府は「反乱の解決」を決定し、866年2月1日に皇国軍12万が首都を包囲しました。皇国軍は「ゼネストの解消」を要求し、要求が達成されない場合には「然るべき報復」が行われるなどと警告しました。
しかしストライキの主導者デニス・ジョセフ氏は断固として譲らず、皇国軍に向け「腐れきった権力者共」などと罵声を浴びせました。
反応した一部旅団はジョセフ氏に向け発砲。これがキッカケとなり労働者と軍の間の大規模な衝突へと発展しました。
丸2日間に及ぶ戦乱の末に最終的に皇国軍は首都の奪還を宣言し、炎と血の海と化した広場には皇国の旗が大きく掲げられました。
この騒乱によってストライキを手動していたジョセフ氏を含む約1万8000人が死亡し、巻き込まれた市民など10万人以上が負傷しました。
これら惨劇に対し首相は「当然の結果であり何も問題はない」とコメントしました。

アダム皇「私はもう皇ではない」異例の宣言 皇国崩壊か?

866年2月15日、アダム・フォン・ミルズ皇は未だ煙くすぶる首都ミルスシティにおいて演説を行い、曖昧なままだった自身の退位を宣言しました。
演説においてアダム皇はゼネストを軍事力により鎮圧した政府を痛烈に批判すると共に、鎮圧によって死亡した国民に哀悼の意を表し、またかつての皇として結果的にこのような国家を作り上げてしまったことへの深い後悔の念を語りました。
ただ退位により完全に皇の立場となるメイル・フォン・ミルズ女皇は現在軍の幽閉下にあり、「皇国は終わりか」との声も囁かれます。
これに対し保守党会のジュリア代表は「皇国は終わらない。建国の功労者として国へ尽力し続けたアダム皇に改めて敬意を表する。」としましたが、政府批判に関しては口をつぐみました。
首相は「当然の結果だ。何も問題はない」とコメントしました。

ジュリア代表、自身の”摂政”就任を宣言

866年2月26日、保守党会のジュリア・メリックス代表は「皇は著しく職務に支障をきたす状況にある」として自身が皇の職務を代理する”摂政”に就くことを発表しました。
現在皇の地位にあるメイル・フォン・ミルズ女皇は865年11月以降軍の幽閉下にあると思われ、今回の摂政就任により皇国の脱君主制が一歩進んだと言えそうです。
ジュリア代表は摂政権限の乱用などを繰り返し否定しましたが、専門家は「これによりジュリア氏は皇国のハンドルを握った」と話します。反発する国民は早速3月16日に自然の町アイルベルンにおいて大規模な抗議集会を行うと宣言しており、混乱を生じそうです。
首相は「当然の結果 何も問題ない」とコメントしました。

急転直下 全国統一ゼネスト為る 政府は事実上機能停止

866年3月16日、自然の町アイルベルンにて行われた、ジュリア氏の摂政就任への抗議集会に合わせ、全国各地で一斉ストライキが敢行されました。今回のゼネストは1月11日のミルズシティでのものを優に越す300万人超の労働者が参加していると試算されています。
ストライキには各地の公務員や中央政府の官僚までも参加しており、政府機能はあらゆる行政サービスを含め停止しています。
今回のストライキは各地の労働組合が各々で決定した総合的な結果であり、主導者無きストライキに一部政府関係者は「どう手を付けたら良いのか」と手をこまねいています。
ストライキに参加する労働者は我々の取材に以下のように語りました。
「ニ・一事件(注:866年2月に行われたゼネストの軍事制圧)は政府の腐敗を露わにしました。そんな政府は今、皇の立場をも作り変えてさらに権力を増そうとしています。戦うタイミングは、今しかありません。」
首相は「当然だ 問題はない」と話しました。

皇国軍が労働者集会に発砲 ゼネストは革命運動へ

866年4月2日、政府は長引く全国的なゼネストの解消を目指し、皇国軍を派遣し交渉に当たることを決定しました。
交渉は自然の町アイルベルンの広場にて、労働者らの目の元で行われました。皇国軍は「ゼネストの即時解消」を要求し、達成されない場合「最大限の制裁」が行われると強気に迫りましたが、町にある労働組合の代表者らは口々に拒絶しその場から退出をはじめました。
これに軍の代表者が激昂し発砲。再び大規模な闘争へ発展し、アイルベルンは炎に包まれました。最終的に死傷者1500人を出しながらも労働者側が自然の街アイルベルンを占拠。その場において「革命統治評議会」と呼ばれる政府が組織され「ミルズ評議会共和国」の結成を宣言しました。
その代表たる「革命統治評議会議長」の立場に就任したホーカン・ヘードストレーム氏は以下のように演説しました。
「政府からの”交渉の余地なし”の返答、非常に残念である。政府に期待できぬ以上、未来への道は我々自身で切り開く以外に無い。たとえ蔑まれようとも我々は立ち上がる。それはこの国、この国の労働者、そしてこの国に生まれるだろう我々の子孫の世代のためである。時期は満ちた。各地で我々の同志達が既に立ち上がっている。真の戦いが幕を開ける。ミルズの労働者よ、団結せよ!」
既にいくつかの労働争議はこの「革命統治評議会」への参加を表明しており、三度の国家を割る内戦が始まろうとしています。
首相は「当然 問題ない」としました。

左派政党ら、革命統治評議会への参加表明

ミルズ社会民主主義連盟と労働者連合は866年4月5日、2日より各地の労働争議を統合し皇国軍との全面闘争へと乗り出しつつある「革命統治評議会」へ参加することを表明しました。
既に一定の国民の支持を得ているニ政党会の参加は革命統治評議会を一層強化すると考えられ、労働者側にとって大きな進展と言えそうです。
首相は「問題ない」としました。

革命為る 首都ミルズシティに評議会軍入場し赤旗はためく

866年8月12日、4ヶ月に渡る内戦の末皇国軍は降伏し、皇国軍最後の拠点となっていた首都ミルズシティに評議会軍が入場しました。
革命統治評議会議長のホーカン・ヘードストレーム氏は内戦の勝利と共に「ミルズ評議会共和国」の正式な建国宣言を行いました。
「腐敗し原型すら留めなかった旧政府は崩壊し、ついに我々労働者による真のミルズ国民のための政府が成った。これはまさしく我々の輝かしき勝利である。しかしこれは物事の終わりではない。今まさに我々は始まりに立ったばかりだ。目下に於いても4ヶ月の内戦で国土は荒廃している。経済の立て直しは急務であるし、旧政府の病巣であった政治の刷新も必要である。革命精神を忘れてはならない。我々の戦いはまだまだこれからだ。ミルズの労働者よ、団結せよ!」
ヘードストレーム議長の演説は1月ゼネストの決起集会の舞台となった広場にて行われ、広場は労働者や評議会軍、そして評議会に参加した政治家らの万雷の歓声に包まれました。
ミルズ評議会共和国新政府は革命に従事した労働組合などの他、国民の認知を集めている社会民主主義連盟や労働者連合からも要人を輩出し、安定性と国民からの支持を保つ構えです。
一方で社会民主主義連盟が”最穏健派”と言われるほどの体制には極端に左傾化する懸念も一部から持たれており、未だ国家の行く先は定かではありません。
首相「問題ない」

旧政府要人らが拘束 処遇が決定される

866年9月、ミルズ評議会共和国新政府はジュリア・メリックス元”摂政”、ラルバ・アイゼンシュタイン元首相、そして皇国軍の幽閉下だったメイル・フォン・ミルズ元女皇を拘束し、簡略的な裁判を元にその処遇を決定しました。
ジュリア・メリックス元”摂政”は政府を強力に牛耳り続け、自らの権力欲求を満たすためのみにあらゆる力を行使していたとして死刑、ラルバ・アイゼンシュタイン元首相はジュリア氏の操り人形に成り下がり、ミルズの地位を著しく貶めたとして無期懲役、メイル・フォン・ミルズ元女皇は放漫な言動によりミルズの政治を大きく混乱させる元凶となったとして無期懲役が言い渡されました。
また旧皇族や旧貴族ら旧政府において一定の特権的身分を得ていた人物の財産は多くが国有化され、一般の身分が与えられることとなりました。
ヘードストレーム議長は「これは旧政府の”精算”の一歩に過ぎない」と話しています。
元首相は処遇が言い渡された後に「当然の結果であり何も問題ない」とコメントしました。

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