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チシヤ新外交委員会安全保障局長「新外交」唱える

855年7月1日付〈中央通信〉

 前任のローネ・スティショバイト安全保障局長が外交委員長に専念するために退任したことを受けて行われた選出投票を制し、連合党から外交委員会安全保障局長に就任する運びとなったチシヤ・モスアゲート氏が、就任直後の記者会見において「新外交」を提唱して注目を集めている。連合党は長く「社会主義諸国との協調」をその外交政策の基盤としていたが、これを大きく転換することとなる模様だ。チシヤ新安全保障局長は「共和国の外交的安全保障体制の不安定さ」を訴え、労働党<国際主義派>の主導してきたFUNを基盤にした国際体制を表面から批判することは避けつつも「実現なき理念に終わらないためにも友好国、同盟国との協力体制をより強化しなければならない」とした。具体策についてはWTCOを通じた経済協力体制の充実化などを提起し、「WTCO加盟国であることが有意義な価値を持つようにするべきである」との表現を使ってWTCO中心外交路線を強調している。

 連合党の「社会主義国中心」外交は、そもそも大多数の社会主義国がSSPactに加盟し、数少ない例外である中夏人民共和国も「同盟国とするには外交が不安定すぎる」との理由で関係強化が見送られ続ける状況にあって実効性を伴っていなかった。そのためか連合党の外交政策における成果はヘルト・ギルガルド両国との経済協定や、WTCOにおけるSSPactとの連携協定成立などにとどまり、FUNに結びついた労働党の外交政策と比べて影が薄かった。840年に連合党が外交委員長ポストを久々に奪還した後にも、独自路線を発揮する前に普蘭事変の影響でトレン外交委員長(当時)が失脚するなど、連合党の外交委員会における情勢は散々であった。そのような状況の中、中夏人民共和国の崩壊やガトーヴィチ民主帝国における右翼政権誕生など「国際社会主義」路線にとって逆風とも言える事態が起こり、連合党もついに「社会主義国中心」路線を見限るに至ったと言えるであろう。

 また、「レゴリス民主共和國」事件においてレゴリス帝国がミルズ皇国との外交関係断絶を行ったことについても、「関係の悪化はミルズ側の自業自得」とする意見が根強い一方、WTCO加盟国であるミルズ皇国に対して(単なる外交関係断絶を超えた)外交的圧力が加えられるような事態になればWTCOの存在意義が問われかねず、FUN体制のもとレゴリス帝国との関係を重視する労働党(国際主義派)外交のアンチテーゼとして「WTCO中心主義」が浮上してきたと言える。チシヤ新安全保障局長が次回選挙において連合党の外交委員長候補となる可能性は極めて高く、今回の方針転換は連合党が外交政策に関して「巻き直し」を図ったということだろう。

「ミルズ共和国」事変収束

 「ミルズ共和国」と称する集団が出現、ミルズ皇国のアダム皇を誘拐の上殺害するなどして国際社会を混乱に巻き込んでいたが、安全保障理事会決議により「国際犯罪集団」と認定され、列国からの攻撃を受けた挙句全住民が当該地域から逃亡して消滅した。我が国は安保理の議論を主導し、4本の安保理決議の採択に至ったものの、実際の作戦行動は実施せずミルズ皇国とライン共和国による軍事行動に解決を任せた。この件については「もはやどうでもいい」(外交委員会幹部)など、終わったこととされておりほとんど国内では問題視されていないが、「安全保障理事会における紛争解決のモデルケース」になったとする評価も存在する。

 一方で、「ミルズ共和国」に対してライン共和国が砲弾10万メガトンを誤送し、これが「レゴリス民主共和國」の手に渡り、さらにこれがミルズ皇国に対するレゴリス帝国の国交断絶に飛び火するなどの事態が生じており、「火事は終わったが灰の処分は終わっていない」など、事後への影響を懸念する声も上がっている。

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