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改憲の機運高まる

858年7月18日付〈中央通信〉

 労連両党はそれぞれ860年の共和国議会選挙に向けた公約を発表したが、両党ともに改憲を指向しており、次回選挙後に改憲に向けた両党による協議が行われる公算が高くなった。実現すれば803年以来の大規模な改憲となるが、その主要な内容は行政府の改革となる見通しである。背景にあるのは803年改憲で大統領制度が廃止されて以降の各委員会の独立性の著しい拡大が事実上の「委員会による当該分野に関する独裁化」を招いたとする指摘である。特に、外交委員会においてその傾向は顕著であり、共和国の外交政策は議会の多数党や9人の委員長の労連比率などはほとんど関係なく、「外交委員長がどちらの党に所属しているか」によって事実上決定されることになった。この状況は、特に労働党内で<国際主義派>と<孤立主義派>の対立が顕著になった近年問題視されるようになり、<孤立主義派>が議会や他の委員会で優勢な状況にもかかわらず外交政策は一貫して<国際主義派>が主導していることは「民主主義制度の根幹を揺るがしかねない(ある労働党中央処理委員)」との批判を招くに至っている。
 労連両党の改憲案は「委員会の暴走」を抑え込み、国家全体として優勢な政治勢力がすべての委員会に対して十分な影響力を行使できるようにするという点で共通しているが、具体的な制度については差異がある。
 労働党は国民による直接選挙による大統領制を復活させることを公約に掲げている。803年改憲(及びそれに至る795年選挙)においても労働党は大統領制の維持強化を主張したが、連合党との協議を経てこれを取り下げた経緯があり、この方針を復活させたものと言える。現在の各委員会委員長は各委員会に所属する自主管理連合組織の代表委員の互選により選出されているが、下部組織から選出できるのは各委員会の局長クラスまでにとどめ、委員長は大統領により任命されるものとしている。労働党改憲案における大統領には強力な権限が与えられており、議会による選出ではなく国民の直接選挙であることも踏まえると共和国初期の803年改憲以前の大統領制というより、むしろかつてのカルセドニー島共和国の大統領制に近い内容と言えるだろう。
 一方の連合党による改憲案は、各委員会を統括する上位組織として「行政委員会」を置き、議会の任命する行政委員会議長(首相)がその長を務めることとされる。議会は首相に対して不信任を決議することも定められており、連合党改憲案は議院内閣制を採用していると言える。労働党改憲案同様に、各委員会の委員長は政府首班たる首相に任命され、互選による委員会内の最高ポストは「事務委員長」と呼称されることになる。首相任命の委員長と委員会内の互選による事務委員長は前者の優越が明確化される。また、この制度を機能させるため、連合党改憲案においては議会制度にも大きなメスが入れられることになる。共和国議会はこれまで基本的に任期途中での解散が認められたことはなく、ほぼすべてのケースにおいて10年おき(連合期は5年おき)の選挙が行われてきた。しかし、連合党改憲案においては不信任決議が可決された際には首相は解散権を行使できるものとされ、カルセドニー史において一度も制度化されたことのなかった議会解散制度が提案されている。なお、首相の解散権は制限され、解散が可能なのは不信任決議が可決された時か首相の提出した解散動議を議会が(過半数の賛成で)可決した場合に限られるとされている。
 但し、次回選挙における非改選議席は労連両党が拮抗しており、非改選議席のうち多数である178議席を有する労働党も、次回選挙で300議席中222議席の獲得が必要であるため、一方の党が単独で改憲発議条件である3分の2を獲得することは困難であるとみられる。このため、選挙結果を踏まえて両党による調整が行われることはまず確実であり、両党の改憲案のどちらかが単純に採用されるとは考え難い情勢である。

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